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W4D2 鶴見、昭和97年-츠루미, 쇼와 97년

15分ほど待つと、電車はゆっくりと侵入してくる。
韓国でも都心暮らしのお嬢様のルナにとって、鶴見駅に入ってきた3両編成の電車はなんだかかわいらしく見える。
ルナは興味深げに車内に入ると、邪魔にならない場所で写真を撮った。
そろそろ工場の職員の帰宅時間であるためか、反対方向の列車には多数客が乗車している、しかし、工場へと向かう電車にはあまり乗客はいなかった。
「次の国道駅で降りて焼き鳥でも食べようか」直也は言う。
 焼き鳥、と聞いて、ルナは「わぁ」と歓迎の声をあげた。

 電車はゆっくりと走り出し、カーブを曲がっていく。
 数分で降りる駅である国道駅にたどり着いた。
 国道駅の階段を降りると、そこには1970年代の韓国のような景色が広がっていた。
 素っ気ないコンクリート壁。
 しかし、それらは風雪のおかげがどこか暖かさを醸し出している。
 ところどころに見える無造作に置かれたのぼりや看板、そして鄙びたに居酒屋の雰囲気。
 それらはどこか、自分の知っているソウルの街のようでもあった。 
 ルナはそんな景色を一枚、写真に収める。
 写真に写った町は、どこか暖かく、どこかサイレンの音が聞こえてきそうだった。

「川崎の近くにもこんな街があるんだなぁ……」ルナは言うと、にこりと微笑む。
 自分の知らない街がすぐそこにある。
 そんな喜びに、ルナは目を細めた。

「行こうか」というと、直也は焼き鳥屋にルナを連れて行く。
 ルナはゆっくりと頷くと、近くの焼き鳥屋さんに入った。
 店内は感染症の後遺症か、誰も店内にはいない。
 不愛想な店員が一人、肉を焼いていた。

「おじさん、ぼんじりください」直也は言う。
 すると店員は何かしらの肉を置き、焼き始める。
 その間、直也はルナの顔を見ていた。
 直也はここでいま、幸せそうに暮らしている。
 あの時、自分が拉致され、改造された日。
 直也はあの時、教会に宿泊したおかげで自分のような災難に遭わなくても済んだ。
 そう考えると、自分が犠牲になったことで直也は救われたのかもしれない。
 その救いをもたらせたという点で、ルナは満足していなければならなないのかもしれない、と思う。
 そして、誰かの傷を、自分が傷ついたことで守られたのであれば、きっと神様は認めてくださるのかもしれない。
 でも、自分は救われるのであろうか。

「ルナ?」
 気づくと直也が不思議そうな目で見ている。

「どうした?」ルナは問う。 

 すると直也が「それは僕の言葉だよ」と、苦笑いをする。

「ルナ、いつも僕たちの世界をありがとう」直也は言う。

 ルナはそんな彼から目線をそらす。
 世界を守っていると言えるのか、自分にとっては自信がない。
 ましてやこれでいいのか、ルナにとっては理解できなかった。

「なぁ、ナオ。僕は本当に世界を救えているのか? 敵の兵士たちはいまだにどこを歩いているのかわからない。それどころか、もしかしたら完全に制圧されてしまったなんてこともあるのかもしれない。僕がたった一人で戦える範囲なんて、本当に小さいんだと思うんだ」

 ルナは自嘲気味に言う。
 直也はそれに対して「そんなことないよ」と言おうかと迷ったが、それをいうことはやめた。
 その代わり、直也は「君一人でもいなければ、この世界はニッポニアに侵略されるままだよ」という。 
 ルナはそれが果たして本当にそうなのか思えなかったが、ルナはただ「ありがとう」といって、水を飲んだ。

「この身体になってしまったせいで、僕は戦う運命を負うことになってしまった。いったいこの身体と、この運命はどんな救いにつながっているのだろうか」

 ルナは思考を巡らせる。
 そしてゆっくりと息を吐くと、水を飲む。
 酒など入っていないのに、意識がぐるぐると酔い、目の前が回っていくような気がした。

「そんな難しいことって、僕にはわかんないけど、そこまで考える必要なんてないんじゃないかな。ただ毎日生きていれば、きっといつかは神様がいいようにしてくれるんじゃないかな、って、僕は思う。僕にはわからないけど、神様はきっとルナばっかりに嫌がらせってしないんじゃないかな」

 直也は言う。
 その言葉に、ルナはじっと考える。
 図らずも自分の生きる意味は強制的に植え付けられ、そして生きていく必要なども出てしまった。
 さらに自殺するという方法はとることができなくなってしまい、自分は生きる以外の方法が分からなくなった。
 それがいいことなのか、ルナには理解できない。
 ただ、生きる意味を与えられたことはもしかしたら祝福なのかもしれないと思うと、なんとも言えず心がむずむずするのを感じる。
 恐らくそれは、自分が何のために改造され、ここに生きているのかという根本的なことに関して、誰も回答を示してくれないからかもしれない。
 そう思うと、一筋涙を流す。
 その涙は止まることなく流れ、顔を濡らしていく。
 直也はそんな彼女に何ができるかを考え、とりあえずティッシュを渡した。

「こんな僕でもそばにいてくれるなんて、お前もどうかしている」ルナは言う。
 しかし直也は、「こんな僕だから、君のそばにいるんだ。君がいなくちゃ、僕は生きていけないほど弱いんだから」というと、静かに焼き鳥の串から肉を外した。

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