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W5D2 お留守番-집보기

 キムチを売るこの「金田商店」には多くの人がやってくる。
 コリア語以外を話せないおばあちゃんというのもいらっしゃるし、普通に日本語で話しかけてくる人も多い。
 そのほかにもたまに韓国からやってきて、おいしいキムチを探して訪ねてきた韓国人や、おいしい韓国料理を訪ねてやってきた日本人など、様々な人が訪れる。
 そんなお客ひとりひとりにたいして優しく語り掛けるおばちゃんの姿を見ていると、これこそが差別のない対応、バリアフリーなのではないかという観念が植え付けられてくる。

 ルナもそうなりたいと願い、おばちゃんのもとへ、

「僕も接客してみたいです。次、お客さんがいらっしゃったら僕に相手させてください。キムチの種類はこれから覚えます」

 ルナは言うと、おばちゃんは一瞬ルナを真剣な目で見つめ、そして笑う。

「やってみたいならやってみればいいさ。あんたは今日一日あたしの店で働かなくちゃいけない。……そのためにはキムチの味を覚えなくちゃね」

 ルナにそういうと、おばちゃんは奥へと引っ込んだ。
 その間、ルナは一生懸命売られているキムチを覚えるべく、袋を見ていく。

 白菜キムチだけでもつかり具合によって10種類準備されている。
 確かに母国のマートに行けばメーカーごとに様々なものが出ているが、それにしてもおばちゃんはここで手作りでつけていると言っていた。
 その根性というか、手間暇を惜しまない姿勢に、ルナは軽い感動を覚え、口を尖らせた。

「これがよく漬かった奴で、これが浅漬け……なるほど」

 ルナはチョソン式ハングルで書かれた文章を少しずつ判読しながら解釈していく。
 南と北、ソウルから50キロの場所を隔てるラインの向こう側では、もはや異なる言葉が使われている。
 それがどのような言葉なのかは学校で一切習うことがなかった。
 それだけ自分たちもまた知らないことが多く、そして平和のために学ばないといけないことが多いということ。
 その現実に、思わずルナはため息をついた。

 10種類の白菜キムチの横には、カクテキ、ヨルムキムチといった日本ではあまり見かけない、でもルナからしてみたらおなかがすくようなものがいくつか並べられ、ショーウィンドーにはオイキムチや水キムチまで並べられている。
 オイキムチは自分の知るものとはちがい、どこか赤みがかっていた。
 今日のように暑い日には、水キムチのようなさっぱりしたものを食べるといいのかもしれない。
あるいはヨルムキムチを冷麺に入れて食べたら、苦みと辛さが絡まった独特な味わいが楽しいかもしれない。

 そう思うと、不思議とおなかがすいてくる。

 お客さんが入ってくる。

「いらっしゃいませ」

 はじめての日本でのアルバイト。
 就学ビザがどうなのかとか、この際難しいことは気にしないことにする。
 おばちゃんのやったように、目の前のお客様が気持ち良く買い物をしてくれることを祈る。

「あれ、ミンジュハルメのお孫さんかい?」

 中年ほどのおばちゃんがルナを見て話しかける。

「美人だねぇ。でもミンジュハルメにそんな人いたかしら……?」

 少しだけウリマルの影響を感じられる日本語で話すおばちゃんは、何度かルナの顔を見る。

「いや、ちょっとアルバイトをさせていただいています」
「へぇ! ついにミンジュハルメもアルバイトを……。名前はなんていうんだい」
「僕はルナ、范涙奈と言います」

 その名前、そして読み方からおばちゃんは何かを感じたのか、「한국사람?(韓国の方?)」と韓国語で話しかける。

 それに対しルナは韓国語で「はい、ソウル出身です」というと、おばちゃんは「オモォー(あらぁ)」と手で風を仰ぐように振り、感想を述べた。

「あたしもソウルなのよ。シンキョ洞。あなたは?」
「僕はサンアム洞です」
「サンアム洞……ゴミ捨て場じゃない?」
「いえ、最近再開発が行われているんですよ」

 そういったたわいのない話が楽しくて、いろいろと雑談をしている。
 その合間を見計らって、ルナは牡蠣キムチを勧めてみると、新人さんに貢献、といって一つ買い上げて行ってくれた。

 なんだかうれしくなり、ルナはその場でくるくると回る。
 その間におばちゃんは戻ってくる。
 彼女が持っていたお盆には、茶碗一杯にもられたご飯と、5つの皿が並べられていた。

「あんたも同胞だからキムチの味くらいはわかるだろうけど、ちょっとよそとは違うものもある。……あんた、同情されているうちはまだまだ商売人としてはひよっこだよ。店のキムチの味を覚えることから始めるんだね」

 そういうと、おばちゃんはいくつかキムチを食べさせてくれた。
 その中には先ほどの赤いオイキムチが含まれている。
 試しに食べてみると、ほんのりピリ辛の味わいがなんとも新鮮で、楽しかった。

「食べたらお使いに行っておくれ。今日はサンミニの誕生日で、彼の家では焼肉パーティだ」
「サンミニ、ですか」
「そうだ。あたしがおしめを変えていた坊やでね、最近ではふれあいセンターで働いている。彼にはおいしいキムチを食べさせたいのはもちろんだけど、娘たちにも民族の味ってのを教えてやりたいんだ」

おばちゃんは目を細め、幸せそうに語る。
そんな彼女を見て、ルナもまた目をゆっくりと細めた。

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