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お客さんと同じ目線で「わからない」と言える立場でありたいーー映画編集・佐藤崇の仕事論 【プロフェッショナルストーリーズ Vol.6】

映画『おらおらでひとりいぐも』を題材に、それぞれのプロフェッショナルたちを深堀する連載企画が展開中。

第6回のゲストは、佐藤崇さん。『南極料理人』(09)や『横道世之介』(13)をはじめ、沖田修一監督の作品には欠かせない編集技師であり、山下敦弘監督、吉田大八監督、今泉力哉監督ら、人気監督とのコラボレーションも多数。

業界内で引っ張りだこの佐藤さんは、どんなことを考えてお仕事に取り組まれているのか、普段なかなか触れられない編集技師の“思考”を、特別に教えていただきました。

(聞き手:SYO)

編集技師を目指したのは、お腹が弱かったから⁉

――佐藤さんは、どういった経緯で編集技師を目指されたのでしょうか?

そうですね、強いて言うなら……お腹が弱かったんです(笑)。
もともと映画が好きで、漠然と映画の仕事をしたいなと思い、日本映画学校に進学しました。ただそのころお腹が弱くてしょっちゅう腹痛を起こしていて……。自分は現場には不向きなんじゃないかと思ったんです。

専門学校の実習で映像編集があったので、これならできるんじゃないかと思い、編集の道に進みました。1人でコツコツできる仕事だと思ったんです。でもいざふたを開けてみたら、他部署との連絡が一番多い部署だとわかって。
僕はまず編集技師の助手として入らせていただいたんですが、スクリプターにラボ、撮影部に録音部……とにかく密にやり取りをしなければいけませんでした。

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――ちなみに、佐藤さんが映画の道を志すきっかけになった作品などはあるのでしょうか。

『シコふんじゃった。』(92)です。この作品をきっかけに周防正行監督を知って、『Shall we ダンス?』(96)とか、製作を担当された『がんばっていきまっしょい』(98)とかを観るようになりました。それらの作品の編集を務められた菊池純一さんが率いる「JKS編集室」に入って、編集のイロハを学んでいった、という形です。7年くらい、菊池さんにつかせていただきました。

菊池さんから言われた、「自分を好きにならないと、誰もお前のことを好きにはならない」という言葉は今でも大切にしています。自分はとにかく引っ込み思案で、自分に自信がなかったのですが、その言葉をもらえて、「そうか、そうだよな」とすごく納得した覚えがあります。

沖田監督の“間(ま)”を生み出したのは……

――その後、沖田修一監督の作品に欠かせない編集技師へとなっていかれます。初対面の際のことは、覚えていらっしゃいますか?

テレビ作品だったのですが、初対面の時は、すごく緊張したのを覚えています。完全に初めて出会う監督でしたから。それまでは助監督の時にご一緒したことがある方などが多く、沖田さんのように、本当に「はじめまして」の方はいらっしゃらなかったんです。

――どういった経緯で、お声がかかったのでしょう?

山下敦弘監督とお仕事をご一緒させていただく機会があり、山下さんが当時所属されていた会社に沖田さんも所属していまして。そういった流れで年も近いし呼んでいただけたように思います。
沖田さんの作品を観たときは、まず「面白いな」と思いました。物語っぽくないというか、作為的じゃなくて、ふわっとしたコメディになっている。新鮮でした。

――今おっしゃったような沖田監督の作風のひとつに、独特の間(ま)があるかと思います。編集で入られる方は、このテンポをつかむのが大変なのでは?と感じたのですが……。

沖田さんと仕事している際に、「編集」を意識したことってないんです。ただ、沖田さんが編集した初期の短編を観ると、もうちょっとテンポが速い。沖田作品が長くなるのは、「ひょっとして、自分のせいなんじゃないかな……」と思っています(笑)。
『おらおらでひとりいぐも』も、2時間に収められなくて…。申し訳なかったです。
でも、自分も最初から「ゆったりさせよう」とかは思っていなくて、芝居重視でつないでいった結果、そうなった部分はあります。だからひょっとしたら、撮影段階で沖田さんが思い描いているテンポに近いのかもしれないですね。

お客さんに一番近い存在でいたい

――沖田監督との最新作『おらおらでひとりいぐも』ですが、こちらはいかがでしたか?

難しかったです。ファンタジーに振り切っている作品はあまりなかったですし、『モリのいる場所』(18)でも“夢の世界”の描写はあったけど、どこか現実味があった。

今回は擬人化した「寂しさ」という存在がいて、音楽がない状態で観ると楽しくも感じられるんです。
でも、その奥にある孤独や、それこそ寂しさを見せていかなければならない。それをどう見せていくか……これは編集では無理だと感じました。

桃子さんが図書館に向かうシーンが特徴的だなと感じて、ちょっと寂しげな音楽があればいいんじゃないか?というような提案はしました。

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――そういった、いわば演出的な提案も積極的にされるんですね。

今回は特に、特殊な作品でしたので、単純に「これ、どういうこと?」「わからない」みたいなときもあるので、そういうときは聞きます。

監督やプロデューサーは企画段階から関わっているから「わかっている」ところから始まるかと思うんですが、自分は「わからない」から始めようと考えているんです。

自分は編集技師として、お客さんに一番近い場所にいたいなと思っています。「それだと伝わらないよ」ということを、ちゃんと言えるような立場でいたい。だからこそ、事前の勉強は極力しないようにしています。

いまでは「佐藤に通じるなら、みんながわかるんじゃないか」と思ってもらえている気がします(笑)。

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編集は、個人的な部分が見える作業

――お話しいただいたような編集技師としての技術などは、どうやって培われていったのでしょう?

監督に言われた「こうしてみたらどう?」というような一言や演出が、次の作品に生かされていると思います。

自分の中で大きかったのは、塩田明彦監督の『昼も夜も』(14)という作品です。男性の車に乗っていた女の子が、ほかの人の車に乗って去っていくというシーンがありまして。そのシーンは、女の子が去っていくのを見ている男性の“受け”の芝居で終わっていたんですが、塩田監督が外したんです。そしたらその後のシーンへの流れも、印象も全く変わってきたんです。

どのカットでそのシーンを終わるのか。
『昼も夜も』でそういった経験ができたので、吉田大八監督の『紙の月』(14)の編集を担当するときも、「このシーンはこのカットで終わったほうがいいんじゃないか」と提案できて、結果的により良くなったと思います。

――それぞれの映画監督にはお気に入りの編集技師さんがいらっしゃって、信頼関係で結ばれているかと思います。やっぱり、編集にとって監督との相性は大きいのでしょうか。

そう思います。僕自身、合わない人とはとことん合わないですし、そうなるともう呼ばれなくなる。

編集って、非常に個人的なものだと思うんです。自分のパーソナルな部分、恥ずかしい部分もどんどん見せていかないといけない。そういったものを共有できる人でないとうまくいかないから、どんどん固定化されていく気がします。

――最後に改めて、編集技師の魅力についてお聞かせください。

この仕事をやり始めたときは、ものすごくつらかったです。ただ、少しずつ引き出しが増えてくると、「もっと映画作りについて知りたい」と思えるようになっていく。

やればやるほど面白さが増していくのが、自分のモチベーションであり、編集の楽しさかと思います。

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「うまく喋れるかわからない」とはにかみながらも、編集技師としてのこだわりについて、熱く語ってくださった佐藤さん。

柔和で人懐っこい空気感と、ひたむきなお仕事への向き合い方が印象的な方でした。そうした人柄が、これまで携わった作品には出ているように感じます。

これまでの沖田監督とのコラボレーションの中でも、新たなチャレンジの連続だったという『おらおらでひとりいぐも』。ぜひ、“つなぎ”の部分にもご注目ください。


編集:佐藤崇
1976年生まれ、千葉県出身。『キツツキと雨』(12/沖田修一監督)で、第8回ドバイ国際映画祭ムハ・アジアアフリカ長編部門最優秀編集賞を受賞。主な作品に『苦役列車』(12/山下敦弘監督)、『もらとりあむタマ子』(13/山下敦弘監督)、『紙の月』(14/吉田大八監
督)、『聖の青春』(16/森義隆監督)、『ギャングース』(18/入江悠監督)、『愛がなんだ』(19/今泉力哉監督)、『さよならくちびる』(19/塩田明彦監督)、『風の電話』(20/諏訪敦彦監督)など。『南極料理人』(09)以降、『横道世之介』(13)、『モリのいる場所』(18)、『子供はわかってあげない』(21)など多くの沖田作品を手掛ける。

映画『おらおらでひとりいぐも』11月6日(金)公開




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