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髪を触る癖

私は小さいころから髪の毛を触る癖があります。幼稚園の頃は、くるくると指に髪の毛を巻き付けて遊んでいましたが、中学二年生くらいの時に友達が枝毛とか、傷んでいる毛を見つけては、それを抜くという遊びをしているのを教えてもらい、いつの間にかそれを自分でもするようになり、それがいつの間にか「遊び」ではなく「癖」となってしまいました。

今でもしていて、本当に止めたいですが止められていません。。このことについてネットで調べると、髪を抜いたりする行為は自傷行為と同じだと出てきます。結構ショッキングな内容でガッカリしますが。。最近は自分との時間を意図的に取っているので、このことに関して日々、自分自身になぜそんなことをするのか聞いています。で、今日「ふっ」と気づいたことが、これはきっと自分の完璧主義から来ていて、全ての私生活でのストレスもその自分自身の完璧主義からきていると。そして完璧主義というのは「自分の欠点を受け入れられない」ということ。なので、傷んでいる髪を見つけてはそれを抜いたり切ったりしなくてはいけないという衝動にかられるんだ、そして、ポジティブな事にフォーカスすることをせずに、自分は欠点ばかりに目がいっているんだという結論にたどり着きました。

髪の毛一本といえども、私から生えてきれくれた私の身体の一部。傷んでいる髪の毛一本一本にも愛着を持ち、他と違うというものを異質と解釈するのではなく、個々のオリジナリティを受け入れ、大事に大事に生えていてもらうという気持ちを持つ。無数の髪の毛の中からあえて傷んでいるものだけを探し出すのではなく、奇麗な髪の毛を愛でるという行為に変えていけばいいんだという結論に達しました。

このことを書いていてまた気づいたのですが、私にはとても強い「善悪」の擦り込みがあり、それがなかなか離れていきません。この髪を触るという行為の中には「善悪」が根底にあることにも気づきました。綺麗な髪を「善」とし、傷んでいる髪を「悪」としているから、傷んでいる髪を探し出して抜かなければいけないという思い込みをしているのだと。「~しなければいけない」というのも思い込みです。だって、本来ならば「別にしてもしなくてもどっちでもいい」んです。

まだ時間がかかりそうですが、この解釈をしっかり自分に落とし込み、この癖から解放されることをここに宣言して祈ります!

「他人を愛するにはまず自分を愛することから」というように、基本、人間嫌いな私にとっては自分を愛することは第一歩だと思っています。

同じ悩みを持っている人に、少しでもこれがヒントになればと、私の心からの投稿です(*'ω'*)

Orangyでした!ではでは('ω')



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