The history of the idea of Allergy ~アレルギー概念の歴史~

この記事は2022年8月20日に行われたBea;champ第8回講習会で紹介された一部内容を参考に纏めたものになります。
こちらからMitNak氏及びBea:champについてリンク先へ飛べるので是非お立ち寄り下さい。


さて、今回の主役はアレルギーを造語したクレメンス・フォン・ピルケ(以下ピルケ)だ。

Clemens Peter von Pirquet

先ず結論だ
免疫=アレルギー=中毒=過敏症=デトックスである。
だから、
“免疫系のシステムを免疫と呼ぶ事を止めよう”


そもそも免疫とは、疫病を免れるという意味である事から、免疫システム成るものは疫病を免れるシステムである。
が、そのシステムによって逆に宿主が障害を受ける事がある。この現象を以て、免疫と呼ばれるものを、そのまま免疫と呼び続ける事が正しいだろうか?

“アレルギー”とは”免疫”の概念の再定義としてピルケによって提唱されたものだ。
“免疫系”とは20世紀初頭の生理学者達によって命名された。この免疫系という概念において、宿主への絶対的な保護、利益をもたらすはずのシステムが有害なものに反転するという解釈が受け入れられない。
だから現代の”アレルギー”という言葉の解釈は”過敏症”という限定された意味でのみ使われる事となった。

アレルギーという概念は提唱された当時から今に至るまで違う形で受け継がれてしまっている。
なので、アレルギーの原義をここに残したい。


現代のアレルギーの解釈

ピルケの提唱した”アレルギー”の概念は難解であったため、当時から今に至るまで人々には受け入れ難いものであった。
1900年代初頭~半ばにかけて、西洋医学では“アレルギー”という用語を過敏反応と同義として使用される記事が次々と発表されてきた。
過敏症はⅠ~Ⅴ型まで分類され、1968年WHOによってⅠ型過敏反応を起こす抗体がIgEと命名された。この事が多くの注目を集めた。
そして多くの医師が”アレルギー”という言葉をⅠ型或いはIgE介在性の過敏症と同義として使用し始めた。
ますます”アレルギー”という言葉は「組織障害を引き起こすアレルギー反応」という域を超え、「過敏反応」として、IgE介在性過敏反応のみを意味する言葉として使用されるようになった。
免疫系によって引き起こされる望ましくない反応のみに相当するものとして”過敏症”の意味を使用する事を好んだ。



そして現在、学校教育ではアレルギーについてこの様に学習させる。

『免疫に関する疾患には、過敏な免疫反応が生じることによって起こるものや、免疫系が正常に働かなくなることによって起こるものがある。
ヒトによっては、鶏卵などを食べると蕁麻疹がでたり、スギ花粉によって鼻水や微熱がでたりする。これは、鶏卵やスギ花粉などに含まれる特定の物質を抗原として認識し、抗体を作らせて抗原抗体反応を引き起こすからである。このように、免疫反応が過敏に起こる事によって生じる生体に不都合な反応をアレルギーという。』


アレルギーという言葉の誕生

Wikipediaでピルケについて調べてみよう

ジフテリアなどの血清療法にともなって起こる血清病に興味を持って多くの患者を観察し、それらの研究をまとめて1906年に牛痘法に対する皮膚の反応を血清病の知見で解釈したエッセイを発表、この中で生体が異種の物質との接触によって示す過敏症と免疫を「アレルギー」と命名した。

少なくとも、ここから読み取れる重要な事は
・ピルケは「ワクチン」と「血清療法」の研究をしていた
・生体が異物との接触によって示す反応を観察し、そこからアレルギーという言葉は生まれた

そうだ。Wikiにすらこう書かれているのだ。


アレルギーの原義

ここからはピルケの提唱したアレルギーの本来の概念について、”The history of the idea of Allergy”から要約する。(翻訳ではないので詳しく知りたい方は閲読する事をお勧めします)

概要

約100年前、ピルケは免疫システムの機能は病気の免除という観点ではなく、反応性の変化という観点から合理化されるべきであると理解していた。彼はその考えを表現するものとして”アレルギー”という言葉を作った。
抗原との接触によるシステムの変化が保護から過敏症まで様々な反応を引き起こす事を意味する。
しかし、”アレルギー”の本来の意味は歪曲され、過敏症の状態を説明する事に限定される事となった。

アレルギー概念の歴史

19世紀後半~20世紀初頭にかけて、著名な科学者達が微生物による攻撃から身体を守る防御システムを免疫システムと呼んだ。
提唱された免疫系というシステムには、有害な物質から宿主を保護し、宿主によって有利なプロセスの発生が伴うとされた。
この考えが根底にある事により、免疫というシステムが宿主に害を及ぼす可能性があるとは誰も想像出来なかった。

ピルケは免疫系が感染症の病態生理学における病気の病変において役割を果たしていると考えた。
それは感染によって体感する症状は、微生物とその毒素の作用の結果だけではなく、我々の生体が起こす反応でもあるという考えだ。
抗体が形成されるまでの時間を潜伏期間(この言葉もピルケから)といい、この考えは宿主を保護するはずである免疫システムが、宿主に害を及ぼす可能性がある事を暗示する。

1903年アルザスによって実験が発表された。ウサギにウマ血清を4回皮下注射した後、局所の浮腫反応が起こった。5回目以降は化膿した。繰り返し非毒性の外来タンパク質を注射すると、特異的な感度が増加した。

その後2年間に渡りピルケとシックによる血清病の研究が開始された。
1891年エミール・フォン・ベーリングと北里柴三郎による血清療法が導入された。血清療法に伴う8~12日後に見られる全身性合併症は免疫以外の原因によって起こると解釈された。
が、ピルケとシックはこの全身性合併症=血清病は抗毒素に対する抗体によって引き起こされる過敏反応であると結論付けた。
更に彼らは、感染症の潜伏期間に関する研究と同様に「時間的要因」すなわち最初の注射から血清病が始まるまでの間隔、あるいは注射の反復によって加速される抗体の産生に必要な時間に注目した。血清病は”抗原と抗体の衝突によって”引き起こされる。(抗原抗体反応によって免疫複合体が形成される。その免疫複合体が血清病の原因である。)

この時点で、既存の”免疫”という概念が不適切である事が明らかになった。”免疫”という概念は、このシステムについて何も知られていなかった時代=免疫系が防御的に働くと考えられた時代に生まれた言葉である。

この考えを改め、初めからやり直す必要があった。ある物質に身体をさらすと抗体が産生され、その反応は様々であった。
ピルケは、ある物質に体がさらされると抗体が産生され、その物質に対する被験者固有の反応性に変化が生じることを指摘し、これを「アレルギー」と名づけた。
※Allergy=”反応性/反応能力の変化”という意味で、”他の、異なる”という意味のギリシャ語のallos + ”エネルギー、作用”という意味のergia

このような反応性の変化は、被験者がその物質に反応して症状を現さないようにする保護的なもの(=病気の免除)である可能性も、有害で病気の症状や兆候を引き起こすもの(=過敏症)である可能性もあるのである。

病気の免除から過敏症までの一連の流れは、同じシステムの中で起こる反応である。
ピルケは免疫反応の有害/生体防御という相反する反応に提起し、両方を統括した言葉として”アレルギー”を造語した。


まとめ

現代が解釈するアレルギーの概念は、免疫と過敏症が別々に存在し、過敏症の更にIgE介在性のもののみを意味する言葉として使用されている。
が、本来のアレルギーという言葉は免疫~過敏症までの一連の反応を統括する概念として提唱された。

<ピルケの捉え方>
・免疫という反応、過敏という反応、寛容という反応、これら反応の多様性を免疫系の働きである”病気の免除”という先入観のままでは理解出来ない。
・ピルケは”反応性の変化”に着目した。
・今我々が免疫系と呼んでいる物の本当の働きというものは、刺激に対する”宿主の反応を決定する機構”だと考えた。

感染症含め、生物が体験する症状は異物そのものの”作用”がもたらすものではなく、生物の反応がもたらすものである。

ピルケは歴史上初めて人間相手に抗原投与の観察研究を実施し、その研究で抗原抗体反応で生じる免疫複合体こそが血清病の原因だと特定した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?