「フレンチ」
お店の料理を食するのはそれぞれに特別な時間であり、喜びを享受したいと考える。総合的に自己の基準に達したとき、心からの賛辞を惜しまない。帰り際に「美味しかった。また来ます」と。そうは言っても心の中では、ここに来ることはないだろうと思うときもある。マルクスはこれを疎外と言った。これは資本主義が成長するための機能で、淘汰は市場法則の第一義なのは言うまでもない。
開高健氏の「輝ける闇」に「匂いの中に本質がある」という下りがある。文学の使命は時間がたつと解釈が変わるが、匂いは変わらない。消えないような匂いを書きたいんだと。
言葉に尽くせないものもある。何だろうと考えたとき、そういう五感、あるいは第六感で得られるものだ。
久し振りに宿泊し、テーブルに向かった時間の高揚感や遠い風景。気品に満ち、目を瞠り、壊したくない料理。それらの背後には、透明性、濾過性、スタッフ同士のコミニュケーション、生活の真摯さ、それらが渾然となって料理に現れると言ったら大袈裟だろうか。でも、言外にそれを感じるから心地よく、美味しい。