『撃剣』が指すのはどこからどこまで?
1.みんみんぜみ氏の問題提起
X(旧Twitter)で武術史に興味がある方で知らない方はいないだろう碩学、みんみんぜみ氏がカクヨムで非常に面白い記事を公開された。
本記事をご高覧下さっている方は既に読了済とは思われるが、もし未読の方が居れば長い記事ではないので是非目を通して頂きたい。
私なりにこの記事の内容を梗概を纒めさせて貰えば、
『近代に於いて剣術~撃剣~剣道という単語は概ね同じものを指す言葉として使われてきたが、大正時代に「剣道」という正式呼称の設定で、流派性を持った型稽古が「剣術」と呼ばれるようになり、竹刀稽古流派の後継団体が、剣道と差別化する一種のレトロニムとして撃剣を用い出した流れが存在する。これらの撃剣の用法は誤りではないだろうか』
という問題提起である。
私はみんみんぜみ氏の撃剣観には概ね賛成である。撃剣は稽古法というより、剣技の総称として用いられてきた側面が強い言葉である。
しかし、氏の
という意見には、肯んじ難い部分を強く感じる。
以下にその理由を説明する。
2.撃剣の意味を遡ってみれば
撃剣という言葉を現代の剣道家が目にする場合、それは概ね剣道の古称だろう。大正時代初頭に『剣道』という言葉が武徳会で正式名称として採用されるまで、『撃剣』は『撃剣世話掛』『弥生社撃剣大会』など、現代の剣道を指す用語と同様に使用されてきた。明治から大正にかけては『剣術』という言葉も同様のものを指すものとして併存していたが、『撃剣』は公用語として使用される側面も強かった。
みんみんぜみ氏の分析された、近代に於ける『剣術・撃剣・剣道』の三種の語のNDLでの出現頻度分析を見ると、大正時代の正式名称『剣道』の制定を境に、撃剣という言葉を剣道という言葉が取って変わったことが見て取れるだろう。
だが、撃剣という言葉は、後述するが現代の用法への連続性がある形で出現した18世紀前半から、公用語としての役目を終える20世紀初頭まで、200年近い期間使用された言葉である。『撃剣叢談』などの書が著され、一般化した18世紀後半から数えても130年は超えるだろう。撃剣という言葉の指す対象を一意に取ることは難しい。各時代毎に分類して整理してみたい。まずは、最も近しい明治維新後の近代から紹介していこう。
①近代~剣道の古称としての撃剣~
先に述べたように、語彙史として分析するなら、撃剣という言葉は、現代から見れば剣道に取って変わられた古称と見るのが、最も一般的である。
明治時代後半、旧制高校には現代の剣道部と同じように撃剣部が存在し、明治の気風は残していたが、その活動はまさに現代の剣道部と同様だったと言えよう。
撃剣大会では、居合や流派剣術の形の演武が行われ、その後メインイベントである競技大会に移る。現代の剣道祭を彷彿とさせる光景だ。
この時代は、剣道家は「撃剣家」と呼ばれていた。
上は、大正十三年の剣道大会の映像である。既に剣道への改称が終わった時期であるが、本間三郎や門奈正といった、その人生に於いて大半を撃剣家と呼ばれた剣士たちの試合を動画で目にすることができる。
彼らの出身流派の剣術や、現代の剣道と比較してみるのも面白いかもしれない。
更にもう少し遡った時代の、撃剣と名が付く書を見てみよう。
柔術撃剣独習法は初期の剣道教本といった趣だが、礼式の方法が現代の剣道と違い、一刀流系の古流を思わせる。
根岸信五郎の著した撃剣指南では、剣道具の形がほぼ現代と同様の形に整理されていることが見て取れる。撃剣流派として名を馳せた神道無念流の出身で、その門下からは近代剣道の発展に大きく貢献した中山博道らを輩出し、自らも日本剣道形の主査を務めている。
②近世後期~剣術の新流としての撃剣~
紹介した通り、撃剣という言葉は草創期の剣道という意味合いを強く持つ。
だが、同じ明治時代でもあっても、最初期では撃剣は剣術の総称という意味合いが極めて強い。
これは、明治初期に発売された撃剣と柔術図解であるが、明らかに剣道に準ずる竹刀稽古(あるいは試合)ではなく、船中や屋外での真剣を使用した実際の戦闘を想定した心得が書かれている。
また、撃剣という言葉のつく明治のテキストでは、川路利良大警視の『撃剣再興論』があまりにも有名だが、その内容は撃剣を日本剣術という意で使用したものである。
近世日本に於いては、撃剣はしない打ち剣術のみならず、剣術全般を指す用語として用いられてきた例は枚挙に暇ない。
嘉永3年(1850年)の手紙には、「擊劔も型稽古などとぼとぼ仕り」という表現があり、型稽古も撃剣に含まれるという意識が見て取れる。
『撃剣叢談』に於いては、撃剣流派諸流を紹介しているが、その中には、
上記の通り防具竹刀を持ちない事が明確である流派も、撃剣流派の一つとして数えられていることが分かるだろう。
しかし、この論文(18世紀における剣術の変質過程に関する研究『撃剣
叢談』の分析を中心に)を著した長尾進氏も、著者の三上元龍がこの書を『剣術叢談』と名付けなかったのは、しない打ち稽古を行う流派が圧倒的多数を占めるようになり、以前の剣術との変質を感じ取ったのではないか、という見解を示しており、撃剣をただちにそれ以前の剣術とイコールと結びつけることはできない。
その後、更に防具竹刀を使用した撃剣流派は発展し、山田次郎吉が日本剣道史で語った、所謂新流の興隆へと繋がっていくことになる。
③近世前期~剣術に導入された稽古法としての撃剣~
さて、これまで、その『その時代に於ける剣術の総称』に近い撃剣を語ってきたが、そもそも撃剣の言葉の起源はどこだろうか。
全剣連の『剣道の歴史』には撃剣とかいてタチカキと訓を振るものが奈良時代まで遡れるらしい。中世の古語としての撃剣は、近世に撃剣という言葉を使い始めた知識人が参考にした可能性はあるが、技術的な連続性は無さそうである。
現在まで連続性のある撃剣の初見と目されているのが、貝原益軒の『武訓』であるという研究結果を、剣道史研究の大家である榎本 鐘司氏が発表している。
その中で、榎本氏は武訓に於いては、撃剣は剣術とは明確に違う用語として用いられている所に着目している。
この学会発表にあたって、一橋大学の坂上氏から『撃剣』という語の、初出を尋ねる質問があったが、武訓以前には遡れなかったという回答があった。
18世紀初頭に於ける撃剣意識に関しては、今後の研究の発展を待ちたい。
流れを大雑把に纒めると、『撃剣』という言葉は、
①自由打突を行う稽古法として出現する
②当時の竹刀剣術のムーブメントに乗じて一般化し、剣術の総称にもなる
③明治維新後は、剣道とほぼ同義で使用される
という流れで、意味を変化させてきたと捉えることができるのではないだろうか。
3.現代に於ける撃剣という言葉
現代に於いて、撃剣という言葉はどのような意味で理解されているだろうか? 上記のような剣道史に於ける200年間の撃剣の用法の変遷を把握している人間が一般に存在するとは、到底思えない。
Wikipediaの剣道の項には、
『剣術の竹刀稽古である撃剣を競技化した武道』
とあり、すなわち、『撃剣=剣術の竹刀稽古』と見なされているようだ。
これは、みんみんぜみ氏の批判した『撃剣=稽古法』という観念と一致する。さて、それでは、武道史研究の最前線――あるいは、剣道連盟の公式解釈としては、どうなっているか見てみよう。
①全日本剣道連盟の撃剣の解説
おっと。
これらは榎本 鐘司氏のテキストであるが、撃剣を剣術と等しい集合と見なしていないのは明白である。
自由打突――あるいは、防具竹刀を使用した、剣道の源流としての稽古を撃剣と称しているように読み取れる。過去に於ける撃剣の用法と、アカデミックの剣道史研究の最前線にいる研究者の用いる撃剣の用法には、ズレが存在するようだ。続いて、現代の主要な剣道史書の表記から、そのズレを探っていきたい。
②テクニカルタームとしての撃剣
それでは、全日本剣道連盟の『剣道の歴史』に於ける撃剣に関する記述を幾つか取り上げてみよう。
撃剣(しない打ち込み稽古)とある。
撃剣は剣術の新しい名称ではなく、剣術流派の中で発生した新たな要素という見解である。
『形の稽古と併修されていた撃剣』
『新たな剣術の形式』等々。
念の為に、榎本鐘司氏のみではなく、長尾進氏や、大保木輝雄氏など、日本武道学専門学会剣道分化会という、アカデミックな剣道史研究の最先端にいる方々の著作や論文を確認してみたが、同様に『撃剣』という言葉は前近代の防具竹刀稽古を指すものである、というコンセンサスを見て取れる。
このコンセンサスは、少なくとも戦前にまで遡れる。
上記は、大日本剣道史である。試合剣術則ち撃剣とある。撃剣という言葉をもって剣術を表す時、専ら防具竹刀剣術(稽古)であるという観念が戦前には存在したのである。
これらを総括すれば、剣道史家は過去に実在した用例をやや離れ、現代という視座から剣道史を眺めた時の、概念を整理するための一種のテクニカルタームとして撃剣という言葉を使用してるとも言えるだろう。
定義のあやふやな撃剣という言葉に対し、研究上概念を整理することは、非常に有効であるとわたしも考えている。
③撃剣の定義を巡るアカデミックな議論
また、撃剣=しない打ち込み稽古、という観念もアカデミックな研究な場に於いても固定されたものではない。
前述の全剣連の剣術歴史読み物『一刀流中西派の革新』には、下記のような註が添えられている。
撃剣に関する最新の研究発表とも言える、榎本氏の、
『江戸時代における撃剣と剣術の相克と融合
―剣道演武『地稽古』の成立にかかる文献資料からのアプローチ―』
の要旨は、下記のようなものである。
撃剣の定義はアカデミックの最前線でも未だ定めかねる部分があり、今後大きく変動する余地を残しているのである。
4.結びに
いかがだっただろうか。
私はみんみんぜみ氏の下記の問いに対しては、
①撃剣という言葉が導入された18世紀前半に於いて、新たな稽古法を指す用法であったことを示す史料が存在する。
②18世紀後半、撃剣という言葉は竹刀打ち剣術の流行に伴って一般化し、大正時代に剣道という呼称が制定されるまで、竹刀稽古流派、あるいはその稽古内容を示すことが圧倒的に多かった。
③現代のアカデミックな剣道史研究に於いて、『撃剣』という言葉は近世のしない打ち稽古を専らとする剣術形態、あるいはその稽古内容を示すテクニカルタームとして定着しており、一般に周知されている。
という三点の理由から、現代の視座から撃剣の意味を語る時、
『前近代の剣道様の稽古形態』
を指す言葉と捉えても、何ら問題ないと考えている。
とみんみんぜみ氏の記事の結びにあるが、この記事で引用した全日本剣道連盟『剣道の歴史』など、剣道史書では、撃剣を試合手法、あるいは稽古手法として記している例が多く見られる。(いずれも、みんみんぜみ氏が例示された2011年の戸山流の例以前に遡るものである)
みんみんぜみ氏のカクヨムの記事から二日程で纒めた稚拙な記事なので、多くの遺漏もあるかと思うが、ここで一旦の結びとする。私が未だ持ちえない視座も多いかと思うので、ご意見賜れれば幸いである。
尚、みんみんぜみ氏が批判的だったドイツ北辰一刀流や天然理新流の撃剣の用法について、それが本当に古態を反映しているか、撃剣という言葉を用いるのが正しいかという問題については、他流の判断であること故、私はそれらを批評・判断する立場に無い事を付言しておく。
参考文献
大日本剣道史 堀正平
剣道 その歴史と技法 大保木輝彦
剣道の文化史 長尾進
剣道の歴史 全日本剣道連盟
平成29年度日本武道学会剣道専門分科会研究会
江戸時代における撃剣と剣術の相克と融合
―剣道演武『地稽古』の成立にかかる文献資料からのアプローチ―
榎本 鐘司(南山大学教授)
http://www.budo.ac/kendo/indexpict/newsletter/Newsletter2018.pdf
18世紀における剣術の変質過程に関する研究-『撃剣
叢談』の分析を中心に-
https://meiji.repo.nii.ac.jp/records/13098
全日本剣道連盟 剣道歴史読み物 撃剣の時代 榎本 鐘司
フィルムは記録する
国立映画アーカイブ歴史映像ポータル
劔道大會 大正十三年五月三十日三十一日
柔術撃剣独習法: 秘訣図解 横野鎮次 著, 横野祐光 閲
撃剣と柔術図解 亀山大城 述, 佐藤景方 画
撃剣指南 根岸信五郎 著, 渡辺昇 閲
向陵史 第一高等学校寄宿寮 編
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