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結束バンド「結束バンド」アルバムレビュー

結束バンドのことについて、そろそろ書いておかなければならない。


結束バンドは、アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」内で結成されたバンド。このアニメ(以下ぼざろ)は、ギターを愛していて、人とうまく話せないボッチの後藤ひとりが、バンド活動を通じて成長していく姿を描くもの。キャッチコピーは「陰キャならロックをやれ!!!」で、少女たちの日常だけでなく下北沢のリアルなインディーズバンドの内実がうまく表現されている。

アニメ放映は昨年の秋で、年末に突如作品内のバンド「結束バンド」名義で、ファーストアルバムがリリースされた。

まあなんだ…とにかく、僕はこのアニメに心を奪われ、さらに音楽作品としての強度も備えたこのアルバムに一定期間釘付けになった。

今回は、結束バンドの同名のアルバム「結束バンド」について、その魅力に触れてみたい。

「結束バンド」のすごさ

まず、「結束バンド」がなぜすごいのか、個人的な見解を述べたい。

①「ロック」のオルタナティブな側面をアニソンで表現した


原作者のはまじあきはロックが好きな人で、その趣味を詰め込んだのが漫画「ぼっち・ざ・ろっく!」だった。
ロック好きならピンとくるかもしれないが、アジカンの影響をバリバリに受けている。主人公の後藤ひとり(ぼっち)は、まさに冴えないギターボーカルの後藤正文(ゴッチ)を誇張したようなキャラだ。(その他結束バンドのメンバーの名字も、アジカンのメンバーからつけている!)

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2000年代までのシーンでは、ロックとはマッチョでハードなものというのがひとつのイメージだった。(b’zとかboowyとかのイメージ)
そんなシーンを作ってきたアメリカも、1990年代あたりから閉塞感にまみれた若者たちが新しいムーブメントを作ろうとしていた。それがオルタナティブ・ロックだった。反体制から生まれるも、商業化していくロックに希望を持てなくなっていた奴らがいた。

よく取り上げられるバンド、Nirvanaは敢えて薄汚い格好をし、自己嫌悪など個人的な歌を歌った。weezerは「泣き虫ロック」とも評され、女の子にフラれる「ダメな僕」をギターに乗せた。

こうした新しい動きを日本でも取り入れたのが、ナンバーガールやくるり、アジカンといったバンドだったのだ。

アジカンは今でこそ人気ロックバンドのイメージだが、インディーズで出てきた当時は全然受け入れられていなかった。冴えないメガネが歌う等身大のロックは、それまでの日本にはそんなになかったから。
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ここまで読むとおわかりいただけたのではないだろうか。ぼざろで「結束バンド」がアジカンをリスペクトすることの意味が。

現代社会において多くの若者が持つ孤独、疎外感といった感情。これらに真摯に向き合い、生きていくための糧を吐き出すこと。ここにぼっちちゃんとゴッチ(後藤正文)が重なるのである。

アニソンというキャッチーで売れるものを作ることがより求められる世界の中で、一般的にイメージされるものの枠を時に飛び出す、「オルタナティブなギターロック」をやっている結束バンドは、すごいのだ!

② 2000年以降のジャパニーズロックの代弁者となった


結束バンドの活動は、アニメ1期の放送が終わった現時点では、学校の文化祭に出演するところまで。そこまでの活動の中で制作した楽曲が、1stアルバム「結束バンド」としてリリースされている。

脱線するが、1stアルバムの名前がバンド名と同名ってところもかっけ~ロックバンドという感じで最高。ツェッペリン「Led Zeppelin」、ストーンズ「The Rolling Stones」、ドアーズ「The Doors」など。国内ならブルーハーツ「THE BLUE HEARTS」、andymori「andymori」など鮮烈なデビューを飾った伝説のロックバンドばかり。実は日本のアニソンシーンに衝撃を与えた「けいおん!」の最初のミニアルバム名も、劇中キャラが結成したバンドである「放課後ティータイム」!

話に戻ると、結束バンドが1stアルバムとそれに続くシングルで世に放った曲たちは、2000年以降日本のロックシーン、アニソンシーンで活躍してきた世代を超えた様々なアーティストの手によって作られている。

結束バンドという声を、媒体を通して、懐かしいものから最近のものまで、様々なルーツを持つJ-Rockを、様々なギターヒーロー像を感じ取ることができるというわけだ。

制作アーティストを少し見てみると、サウンドプロデュース/アレンジには2000年以降の下北沢ライブシーンでバリバリやっていた中村弦や三井律郎が入り、楽曲ごとに作詞や作曲をKANA-BOONの谷口鮪、ペギーズの北澤ゆうほ、tricotの中嶋イッキュウやSAKANAMONの藤森元生、ZAQなどが担当するという錚々たるメンツ。そこにアジカンのカバーも入るのだ(結束バンドではないが、アニメ劇中で登場する廣井きくりのバンドは、東京の3人組プログレバンド、八十八ヶ所巡礼が元ネタと思われる)

これらのJ-Rockサウンドを、三井と中村が下北のライブハウスで女子高生4人が鳴らしているという設定で矛盾なく仕立て上げていることで、リアルな強度を持った日本のギターロックを体験できるというわけだ。

結束バンドのすごさについて、そのバックグラウンドとサウンドプロデュース面で少し書いてきた。彼らの楽曲、ひいてはそれぞれのアレンジのこだわりについては、次に書いていく。

では、サウンドメイキングにとことんこだわった、結束バンドの音楽をアルバム収録曲を追いながら見ていこう。アニメ劇中歌となった楽曲は、アニメ本編の内容にもふれるため、ネタバレされたくない人は見ないでください。見たら感想教えてください。

「結束バンド」全曲レビュー

M1【青春コンプレックス】

結束バンドの1stシングルであり、ぼざろのオープニングテーマにもなっている代名詞的楽曲。雷鳴の様なギターとうねうね動くベースが走り回る、青臭いぼっちの心に秘めた思いが爆発している青春ロックだ。ラスサビに移行する直前の「私俯いてばかりだ/それでいい/猫背のまま虎になりたいから」というパンチラインは、人見知りだけどみんなにちやほやされたいという相反するぼっちのパーソナリティを肯定する象徴的な歌詞だろう。

M2【ひとりぼっち東京】

東京というテーマは、数々のインディーズバンドが「寂しさの象徴として」歌ってきたものだ。(銀杏BOYZ、くるり、フジファブリック、サニーデイズサービス、きのこ帝国、PEDROなど、現代まで歌い続けられている。)東京という街のなんでもあるけどなんにもない感、希望を胸に飛び込んだ新天地の冷たさややるせなさを、切なさや哀愁をもって表現する系譜の中に結束バンドも位置付けられる。この曲ではそんな巨大でつかめない東京に向かいあい、寄り添おうとする姿勢までみられる。初期衝動のような轟音ロックが歌う、やさしい東京哀歌。

M3【Distortion!!】

KANA-BOONの谷口鮪による提供曲。ミドルテンポのポップロックで、いわゆるテン年代的アニソン感、結束バンドのポップで明るい側面を演出している。喜多ちゃんのボーカルを担当する長谷川育美の、キャラ声とは違ったアプローチを感じられる。

M4【ひみつ基地】

ミセスの「青と春」を彷彿とさせるポップなナンバーで、プロデューサー陣へのインタビューにおいて、デモが送られてきた段階でストリングスが入っていたと語られている。結束バンドの4人で、つまりギター2本、ベース、ドラムのみで完成するものにするためにトラックを一度バラし、ギターのアレンジに変更するという技をやってのけ完成させたものだ。はあ、これはとにかく喜多ちゃんのボーカルがかわいい。ZAQが作詞を手掛けており、アニソン感あふれるポップな世界観満載。「夜更かし お寝坊 ダメぜったい」にやられた人は多いよね。

M5【ギターと孤独と蒼い惑星】

劇中歌として、ライブハウス「STARRY」のオーディションで結束バンドが初めて演奏したオリジナル曲。焦燥感マシマシのオルタナティブロック。バスドラがドカドカ鳴りすぎていたり、ベースがうねる感じやギターのリフひとつとっても、アニソンにおける従来の「ポップパンク感」を逸脱している。消化できないネガティブなエネルギーを音に昇華するものだ。
劇中のライブシーンも素晴らしい。ここで良い演奏できなければライブハウスに出演できないという背水の陣で4人が汗だくで演奏するのだが、ギター初心者である喜多ちゃんが泥臭く肘からガシガシ右手をストロークするのとか、サビ前でぼっちが足をギュッと踏み込むところとか、ドラムが緊張でハシっちゃっているところとかもなんか再現度高くて、臨場感がすごい。置いてあるペットボトルの水が共振動している様とか、ライブハウスって感じの風景もアニメでは描写してくれている。

M6【ラブソングが歌えない】

こちらも前曲同様、ロックの若々しい初期衝動がにじみ出る疾走するナンバー。でかすぎるバスドラも、もっとやれと思ってしまうほど。歌詞はZAQが担当しているが、劇中で作詞を担当していることになっているぼっちの心象をうまくつかんでいる。「スワイプされる日常スクロールして/歌詞もわかんない歌が流行ってる/何が本当かフェイクかなんてさ/どうでもいい愛ってなんだっけ」と行き場のないフラストレーションがここでも爆発する。

M7【あのバンド】

結束バンド2つ目のアニメ劇中歌。神回となった第8話「ぼっち・ざ・ろっく!」(象徴的なサブタイトル)で念願のSTARRY出演を果たすも、緊張で1曲目をうまく決めきれず。このままでは終わらせたくないぼっちが、アドリブでガチガチのカッティングリフで空気を断ち切り、照明さんの天才的な対応で会場を釘付けにして演奏を開始した楽曲。コミュ障のぼっちが初めてギターヒーローに化けたこのパフォーマンスが話題を呼び、ライブハウスだけではなく日本中を振り向かせたといってもいいだろう。歌詞の「ほかに何も聞きたくない/わたしが放つ音以外」に現れる攻撃性は、ナンバーガールやミッシェルガンエレファントが宿っているようで、鳥肌がたつ。
サウンドもポップとはいえないシリアスでスリルあふれるガレージロックで、とくにサビからアウトロにかけての悲鳴のようなギターソロは必見。

M8【カラカラ】

劇中には登場しないが、tricotの中嶋イッキュウ提供による、ベースの山田リョウが唯一ボーカルをとる楽曲。山田はめっちゃ音楽的素養があるが、人間的にちょっと問題があるダウナー女子で人気も高い。この曲は彼女のけだるさも残しつつ、変拍子でめちゃくちゃアヴァンギャルドに彩られた、透明感あふれるエモ/ポストロックナンバーに仕上がっていて、個人的に大好き。混沌していながら整っていて、クールだけどホットで、神秘的なまでの美しさをたたえている。
もともとデモの段階ではアコギの弾き語りとドラムループで、変拍子ですらなかったというが、プロデュースの岡村と三井が「現代の高校生はネットもあり、演奏できる技術の幅が広がっている」ということまで想像しアレンジをやったそうで、そう考えて聴くとエモーショナルなサビやブリッジのメロディやコーラスがよりリアルに映ってみえる楽曲だ。

M9【小さな海】

音羽による作詞作曲。デモの段階ではアッパーな曲調だったものが、「最後の曲みたいな感じにしたい」と三井のアレンジによって落ち着いたバラード調に。アルペジオで始まる楽曲は、ワンコーラス後から温度を上げ、キラキラしたポップロックになる。少しずつ前を向かせてくれる温かい楽曲で、ボーカル喜多ちゃんの声優、長谷川育美も「一番の共感ソング」としている。

M10【なにが悪い】

ガールズバンド、ペギーズのギターボーカル北澤ゆうほ提供の楽曲で、エンディングにも起用された楽曲。なんといってもドラムの虹夏が唯一メインボーカルをとるもので、バンドのリーダーでありみんなを明るく照らす虹夏らしい、キラキラしたナンバー。劇中でもぼっち同様、悩みを抱えていたがそんなものも吹きとばす「鳴りやまなくてなにが悪い/青春でなにが悪い!」というメッセージが刺さる。サウンド的には、Bメロの上がっていくギターリフなど、三井のアレンジが技巧も見せる。ポップな中にもぼっちの歪んだギターがあり、結束バンドたらしめている。

M11【忘れてやらない】

ここから「フラッシュ麦価―」を除く3曲は、アニメ終盤の劇中歌である。「忘れてやらない」はぼっちと喜多ちゃんが通う高校の文化祭ライブに出演したときの1曲目。アニメのこの回自体が、虹夏の4カウント、喜多ちゃんの手拍子(かわいい)から始まり、会場にいるみたいに錯覚して思わず手を叩いてしまう。実はアニメで流れるライブ盤ではアルバム収録版と音の鳴りが違い、学校の体育館でやっている響きをめちゃくちゃ忠実に再現している。モーションキャプチャーで演奏したものをトレースした演奏シーンも作りこまれており、喜多ちゃんのギターのストロークが上手くなっているのがエモい。サビの「何回だって」のフレーズに合わせて首をふる姿も音楽を楽しんでいることが伝わってきてエモい。青春ポップなメロディー(Aメロやサビで頻出する表拍4分音符メロディーとかね)に一見矛盾するような「青い春なんてもんは/僕には似合わないんだ」というぼっちの歌詞も、等身大の自分に向き合って前を向こうとするのが伝わってきてエモい。ギターの音色も、ディストーション(すごい歪み)はイントロだけで、あとはブルースドライバーっぽい爽やかな音色で楽曲をいろどっていてエモい。文化祭当日の教室や渡り廊下、図書館や屋上の風景を流して青春を想起させるのがエモい。文化祭ライブ一発目にふさわしいアッパーチューンだ。

M12【星座になれたら】

文化祭ライブ2曲目の「星座になれたら」。こちらもライブバージョンとアルバムバージョンで内容が異なるもので、ライブはぼざろを代表する伝説的なパフォーマンスとなった。
先に楽曲を紹介すると、「あのバンド」も担当した鬼才樋口愛の作詞、内藤英雄作曲の楽曲で、デモでは鍵盤が入ったシティポップだったという。結束バンドではキーボードを表現できないので、プロデューサー陣によってバンアパっぽい16ビートのミクスチャーファンクに生まれ変わった。「夜の向こうへ」を彷彿とさせるキラキラしたカッティング、リード、ブリブリのベースは僕の大好物で、一生聴いている。
話題になったライブシーンでは、Bメロあたりからぼっちがギターに異変を感じ始める。そう、一番細く、切れやすい1弦が切れるというあるある機材トラブル。あるあるだが大一番で起きちゃうところがロックだなあと思う。アベフトシかよ。(詳しくはミッシェルガンエレファントのラストライブでの「世界の終わり」を参照)さらに、ペグが壊れ2弦も使い物にならないという負のスパイラルに。(もちろんこの間リードギターは鳴っていない)ギターソロに入るところなのに、2つも弦が使えないという絶体絶命的状況。パニックになってしまったぼっちを救ったのは、初心者の喜多ちゃんだった。
迷うことなく前だけを見て、渾身のカッティング、それも初心者がギリできるくらいのフレーズをアドリブで入れるシーンは激アツだ。それだけでは終わらず、喜多ちゃんのアイコンタクトでハッとしたぼっちが覚醒する。飲んだくれの廣井きくりお姉さんが体育館に持ち込んだ鬼ころしの瓶でボトルネック奏法をやるという気狂いっぷりだが、めちゃくちゃこれがカッコいい。ぼっちが「いける」ことに気づいた山田が虹夏に「ソロもう一周いくよ!」と一瞬でアイコンタクトをとる描写も描かれていたり、ものすごく作りこまれているパフォーマンスだ。言い忘れていたが、ライブシーンはほとんど公式YouTubeで見れるので、ぜひ。

M13【フラッシュバッカー】

最終話放送後に公開された本PVでも使用された、アニメ最後の曲といってもいい音羽による楽曲。曲調は「急にどうした?」と言いたくなるようなアングラでアンビエンドなバラードで、終わりを想起させるものでもある。三井律郎が「終わりたくなかった」ことから岡村弦に完成したアレンジを送るのを遅らせたというエピソードが好き。
曲は全体を通してめちゃくちゃ遠いドラムが響き、深いリバーブのかかったギターが音の渦を作っていて、明らかに他の曲とは時間軸が異なるような、まさに「過去」をフラッシュバックさせるようなサウンドだ。岡村も「一番下北沢インディーロックっぽい」と語る出来栄えで、一番のフェイバリットにあげるファンも多い。ギャグ要素を一切取り除いた、結束バンドの本気曲である。

M14【転がる岩、君に朝が来る】

これがアニメ最終話で挿入歌として流れた瞬間、僕は泣いた。このアニメは、この楽曲で終わるべくして終わったといえるのだ。
「転がる岩、君に朝が来る」はアジカンのアルバム「ワールド ワールド ワールド」収録曲だ。先週、ぼざろとアジカンの関係について書いたが、アニメ最終話で結束バンドがアジカンをカバー、それも最初で最後のぼっちがボーカルをとるという形でそれは総決算される。思い返せば、メンバー全員の名字がアジカンからとったものであること、ぼっちとゴッチに共通する内向性、時おりアジカンの曲から頂戴しているアニメのサブタイトル、第一話が「転がるぼっち」であること、全て伏線だったというわけだ。

中村弦によると、この楽曲をカバーするにあたって、「一音目を聞いただけで」アジカンのあれだと分かるようにしたかったため、アレンジを最低限加えずにキーだけを変えたと語っている。細部までリスペクトをもって再現されたサウンドプロダクションにはニヤリとさせられる。そこに入ってくるのがまんま「ぼっち」のボーカルであるというところも本当にうれしい。cvを担当する青山吉能はアイマスなどもやっていて、上手に歌おうと思ったら歌えるのだが、ここまでぼっちのままでアジカンを歌い上げる技術には感服させられる。なよなよした自分のままでロックスターになることを願った「転がる岩」をカバーするなら、歌うのは「ぼっち」でなければいけないから。

「何をなくした?それさえも/わからないんだローリング ローリング」と歌うぼっちのボーカルはどうしようもなく自信がなく、ロックスターとはかけ離れているようにも見える。
だが、不安定さ、壊れてしまいそうな脆さというものは時に美しく、人の心をつかんでやまない。ロックにおける初期衝動とは、本来そういうものなのだ。ぼっちが歌う「転がる岩」は、不安定で内向きでありながらどこか芯が通っていて、ある種の諦観を持った強さ、寂しさなどが混濁していて僕たちの心を震わせる。

音楽は、ロックはいつだって弱者の味方だった。やりきれなさを抱えて苦しむすべての人たちへ。アジカンがつないできたものが、またぼっちという声を通じて伝えられる最弱で最強の応援歌だ。


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まとめ

さて、結束バンド『結束バンド』、全曲レビューを書いてきた。疲れたのでこのへんにします。結束バンドは、アニメが終了した現在でも多くのファンに愛されていて、SAKANAMON藤森元生の提供によるニューシングルがリリースされたり、ワンマンライブが行われていたりと火が消えることはない。皆さんも、ぜひアニメともに、聴いてみてください。

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