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ネイティブアメリカンの世界への旅(1)

5年以上もアメリカに留学し、その後も幾度となく渡米しているにもかかわらず、私はいつも白人中心の現代社会や文化にしか目を向けてこなかった。
今回は、大陸の大自然の中へ、ネイティブアメリカンの儀式のスペースの中に集中的に浸透し、まったく違った角度からアメリカを観た。
そして、通りを歩く白人の人たちにさえ、何か言い知れない憤りを感じた。
視点を変えると同じ現実がこうも違って見えるものなのか、不思議に思うのだった。

1993年は、国連で指定された国際先住民の年だった。その夏、私は偶然にも、二か月間アメリカ西部を旅し、その地の先住民であるアメリカンインディアンのスペースに集中的に浸透していくことになった。というのも、その間アメリカでの通訳の仕事が3つ続いたからだった。その仕事の内容は、まずヴィジョンクエストを体験しに来た日本人グループ、次いでスエットロッジのワークショップとネイティブの土地を訪問するツアーを目的とするグループの通訳、そしてネイティブの伝統的な祈りの儀式サンダンスに参加する友人ふたりのサポートと、どれもすべてネイティブの儀式や伝統の学びに
関するものばかりだった。

その2か月の間、実に様々な事々が次から次へと展開し、夢にも思っていなかったことや出会いがたくさんやってきた。大自然の流れに身をまかせているとすべてが必然のタイミングで起こるのだろうか…、時間はまさに「神の時」インディアン・タイムの感覚で流れていった。そして、それまで無知だったネイティブたちの現実が本を一ページ、一ページめくるように目の前に開かれていった。

以前5年以上もアメリカに留学し、その後も幾度もなく渡米していたにもかかわらず、私はいつも白人中心の現実社会や文化にしか目を向けてこなかった。しかし今回は、現地に到着するや否やホテルなどに泊まらず、大自然の中へ、ネイティブの儀式のスペースの中へと直行した。だから、同じアメリカを全く違う角度から見る体験をすることになったのだった。

人里離れた森でヴィジョンクエストが終わり、にぎやかな街に戻った時のこと、その街の風景がやたらと薄っぺらに見えた。そして一時、通りを歩く白人の人たちにさえ、何かいい知れない憤りを感じた。視点を変えると同じ現実がこうも違って見えるものなのだろうか。

私は下積みになった過去からその上にポーンと乗せられた異質の現実を見あげるような感覚を味わっていった。いつの間にか、その大地で長い間大自然と共に生き、死んでいったインディアンの祖先のような心持で現代アメリカの表層を見つめていた。

また滞在中、まだ尾を引くアメリカ社会の偏見と抑圧の中で、それなりのすべを見出し生きているネイティブの人たちのことを知り、自分の無知に驚き、彼らの気持ちを深く考えさせられた。しかし、彼らの現状や、その伝統的な教えに関する私の理解は恥ずかしいほど浅薄なものだった。だから、もっと学びたいこと、体験したいことは山ほどありながらも、その夏に彼らから学んだこと、体験したことを自分のためにもここでぜひ綴っておきたい。

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