ゲームと漫画。時々バイク。      ~自分の半生を振り返って~

こんにちは。どうも僕です。
なんとなく書きたくなった自分のこと。
ここにつらつら綴ろうと思います。

幼少期
自分は岩手県釜石市で生まれました。
このころはゲームなんてない。
そしてテレビもチャンネル数がすくなかったんだと思っています。
なんせ小さい頃の記憶ですから。
僕は戦隊モノが嫌いでした。もちろん見ていましたよ。
でも、戦隊モノごっことかが大嫌い。
「とぅ!」とか言って飛んだり、飛び降りたりするのがたまらなくカッコ悪いって思っていました。
なので、友達と遊ぶときに「正義の味方」「悪役」「助けられる人」に分かれるわけですが、この遊びをするときは率先して「助けられる人」になっていました。
では何をしていたのか。
一人でモノを作っていました。それと山や川に行って遊んでいたり。
祖母曰く「勝手に何かを切って、貼って、作って遊んでいた」とのことです。
いなくなったと思ったら、山や川を探しに行く。
そんな子供だったとのこと。
自転車に乗るようになって、行動範囲が広がって。
もっと楽しかったなぁ。。。。
もうひとつ好きなこと。それがプロレス観戦です。
この頃に覚えていることは、ブッチャーが怖かったということ。
祖母がプロレスが大好きで、テレビ放送があるときは絶対に見せられた。
ブッチャーはフォークで相手を傷つけて、流血をさせる。
それがお決まりの流れ。
それが怖かったんですよね。。。。
流血シーンになるとテレビが見れなくなって。。。。
そんな感じでした。
それとひとりのヒーローが現れます。
「志村けん」です。
僕ら世代には偉大なお笑いの人。
土曜日が待ち遠しくて、8時になったら全員集合を見て。
この人に影響を受けていたなぁ。。。
叔母が出してくる子供の頃の写真には、ほとんど「あい~ん」ってして写っていて。
人の見ていないところで志村がやりそうなイタズラをしていた。
それで怒られて。。。そんな幼稚園時代。
4歳位から、祖父が隣にある高校の野球部の顧問と仲が良かったらしく
高校生に混じって、少し野球を教えてもらいました。
周りはラクビーをやっている子ばかり。
その頃の釜石市は新日鉄釜石が連覇している真っ最中。
となりの高校でこのチームの練習をしていて、いろんな人がラグビー場を見に来ていたことを覚えています。
このころから異端だったんでしょうね。
とにかく運動が苦手だった自分。
徒競走で走っても、ビリしかとったことなかったです。
そのまま幼稚園を卒業。
近くの小学校に通います。
で、小1のとき。
交通事故に合いました。母親に買ってもらった自転車で遊んでいて、「強雨こそはこの坂道を足つかないで登り切るんだ!」と助走をつけてチャレンジ。
達成感とともに車に轢かれました。
その時思ったのが「自転車!」でした。
壊したら母に怒られる。。。。。
そんな思いで、運転手のかたに迷惑をかけてしまいました。
そのまま意識を失ったようです。
どうやら3日間眼を覚まさずにいたようでした。これはある程度大きくなってから教えてもらったこと。
起きたときには頭に無数の線がついていた。今考えると脳波でしょうね。
頭蓋骨骨折、右膝は膝蓋骨(膝の皿)が見えるほどの傷。
その状況だったようです。
誰にも言ったことはないのですが、この事故は夏。
ここから小2の春くらいまで記憶がありません。。。。
忘れているだけなのか、それとも記憶が本当にないのか。。。。
記憶にあるのが「キン肉マン」です。
これは惹かれないわけがない。
情けないヒーローが、やるときはやる。
そして題材がプロレス。
テレビ放送の日が待ち遠しくて。。。その日はいつも学校からまっすぐ帰っ見ていたなぁ。。。。
あとはアラレちゃん。これもとにかく見ていた。
なんか子供ながらに思っていたんですよね。
「オシャレな漫画だなぁ」って。
美人の山吹先生やアカネちゃん。
いろんなことを覆すアラレ。そしてかっこいい乗り物や、いろんな色を使っている服。
とにかくオシャレですよね。
で、小2の夏。
岩手から埼玉県に引っ越すことになります。

埼玉県に引っ越して
むちゃくちゃ東北訛りのある自分。
周りの友達は面白がって話していた気がします。
ランドセルも岩手時代は小学校指定のものでした。
うちはそこまで裕福ではないので、そのランドセルで通いました。
岩手の小学校時代、給食がなくて弁当でした。
好き嫌いがすごくある自分は、埼玉に引っ越して壁に当たります。
給食です。
初めて給食を食べたとき、自分の好きなものから食べてしまい友人に注意を受けました。
「デザートは一番最後だよ。」と。
そしてすべて食べないと昼休みに遊べないこと。地獄でした。
まぁそれも人に委託して食べてもらうって作戦で切り抜けます。
小学3年生。
ここで僕たちは「ファミリーコンピューター」とふれあいます。
うちには勿論のことないもの。
友人の家に行って、遊ばせてもらうって生活です。
何度も「ファミコン欲しい」と祖母にお願いしていたな。。。
あの頃は見ているだけでも面白かった。
で、5年生くらいで普及したんですよね。
ここから自分はゲームと急激に近くなります。
小学校が終わって家に帰ってゲームして。
そんな繰り返し。
勉強は・・・小4のとき割り算で躓いてそれから疎遠に。
今考えると学習障害なのかもしれません。
未だに計算ができないですから。計算機頼り。。。
どんどんゲームに引き込まれます。
それとジャッキーチェン。
ジャッキーはカッコよかったんですよ。
面白いし、強いし、かっこいいことも何でもできる。
一人のヒーローでした。
特に「酔拳」に魅せられて、あの型を何度も練習したことがあります。
図書館に行って、酔拳のことを調べて。
なんとか習えないのかなんて思っていました。

中学時代
かわらずゲームを中心にした生活。
部活は運動部で一番早く帰れる陸上部。
部活が終わったら、すぐに帰ってゲームセンターに行ったりしていました。
お金があまりないので、一回だけ遊んで。
あとはデモ画面を見たり、人のプレイを見たり。
そんな楽しみ方。
ストリートファイターの1を遊んではすぐに負けてお金がなくなる生活。
17時には家に帰って、飯食ってゲームして。
そんな生活でした。
いつも行っていたゲーセンには一人の歳が近そうな男の子がいて。
その子はザンギエフという一番弱いキャラを使ってガンガン勝っていました。
すごいなぁと思って、対戦を挑んでも。。。こてんぱんにされる。
これは諦めるしかないなって思って帰った日。
確か中3でスーパーファミコンが出て、それから色々変わったと思います。
ボタンが増え、マリオはキレイになり。。。。

高校時代
自分が進学した高校は、埼玉県で一番偏差値の低い学校でした。
いわゆるヤンキー高校。僕らの時代は「ツッパリ」の時代ではなかったです。
もうヤンキー時代。
ルーズソックスのはしりみたいなものを履いたミニスカートの女子と、ヤンキー女子特有のロングスカートの女子。
それが入り乱れた高校だったなぁ。
そのなかでもゲームを中心にした生活。
昼飯代ケチって学食代としてもらったお金をゲーセンに注ぎ込んで。
当時はスト2ターボとかの時代だったと思う。
そんなにうまくなかったのですぐ負ける。
でも、なんか魅力があったんですよね。
プロレスは幼少期から好き、それは続いていて。
新日の放送があるときは、高校の友人の家で見たり
全日の放送は自宅で見て。
でも自分ではできないこと。それはジャッキーのときにもそう思っていて。それを画面の中でキャラを動かすと、戦うことができる。
擬似的に戦える。ザンギエフというプロレスキャラを愛用していました。
で、ネオジオが出てからですかね。
なんかすごく勝てるようになった。
ストリートファイターと遠くなり、SNKゲームを遊びました。
バイトをしてネオジオ買ったりして。
友人も持っていたので、コントローラーを持って友人宅に泊まって。
ずーっと対戦していたな。。。
で、進学する気はさらさらなくて。
プロレスは好きなままで、なんとかプロレスラーになれないか先生と話したこともあります。勿論進路希望には①プロレスラー②無職と書いていました。
いろんなプロレスラーがデビューする前に何をしていたのか調べて、レスリングか柔道であることが多いと判明。
祖母に相談して、地元の道場に通って。
最終的に初段を取りました。これはプロレスラーになるため。
先生が調べてくれて、当時プロレスラーになるには身長170cm必要と知り、諦めなくてはいけなくなりました。
無職になりたかったのですが。。。。親と先生の罠にハマり。。。
看護学校に合格して、そのまま進学することになりました。
准看護学校。

准看護師学校時代
このころは仕事をしながら看護学校に通う。
夜勤は週に1回。そのあと学校なんて日々。
1年生のときは、同級生の女性とデートしていたな。。。。
クラスは女性9:1男なんて割合。
当時はまだ男性看護師なんて少なくて、男性看護師の職場は透析室・手術室・精神科しかなかった時代。
今のように病院に行けば男性看護師とすれ違う時代ではなかったです。
その中で何人かの女性とお付き合いしたり、はたまた先輩の彼女に言い寄られてどうしていいかわからなくなったり。
そんな一年生。
で2年生のときに久々にゲーセンに行ったんです。
そしたら100型のバカでかいモニターに映し出された格闘ゲームがありました。
バーチャファイター。
そのデモ画面を見てびっくりしたのが、ポリゴンという3D技術を使った立体的なキャラが、大好きな中国拳法やプロレス技を使って戦っていること。
その中でプロレスラーのキャラ・ウルフがジャイアントスイングをしている。
その滑らかさが凄くて。。。2Dゲームにはない滑らかさ。
当時メガロス筐体という1プレイ200円もする筐体にお金を入れて、ウルフを操って何とかジャイアントスイングを出そうとしても出なくて。。。。
これは向いていないなと諦めたことを思い出しました。
次第に仕事と勉強が忙しくなり、ゲームセンターから足が遠のきます。
忘れもしない2年生の時。
もちろんですけど、エロ目的で見ていた「トゥナイト2」でバーチャファイター2の特集があり「ブンブン丸」と名乗る男が、ジャイアントスイングを駆使して大会で勝っているところを拝見。
一気にブンブン丸にのめり込んでいきます。
ちゃんと見ていなかったファミ通でもブンブン丸は活躍していて、上半身ハダカでバーチャファイター通信に写真を掲載し、バーチャの記事を書いていました。
またゲーセンに行くことになります。
バーチャファイター2。
このゲームは社会現象を巻き起こし、様々なテレビに特集されて。
知っている人も多くいることでしょう。
「リョウ、お前昨日テレビ見たか?格ゲー好きだったよな。ブンブン丸ってカッコよくなかったか?」と同級生の男の子から話しかけられました。
「もちろん見た!かっこよかった!新宿のゲーセンにいるみたいだね。」
そう答えたら「今週末新宿まで見に行こう!」と誘われ、新宿のゲーセン「スポット21」まで行きました。
その中は人だかりで、ブンブン丸は確認できましたが、プレイを見れるところまで近づくことはできません。
それでもなんか有名人の近くにいられた。
そんな思い出を受けて、自分もプレイしてみたいと思い。。。。
翌日からゲーセンに通うのです。
で、ジャイアントスイングを出せるようになり、そのままゲームにのめり込みます。
対してうまくないのに大会に出たりして、緊張して、でも1回戦突破して。。。
当時は大会がいっぱいありましたから。
週末はランバト(店でのランキングを争う大会みたいなもの)もたくさんあって。
ブンブン丸みたいな「リングネーム」というゲームをするときの自分の名前をつけて戦って。
自分は「りょう」って書いていたな。
いい名前が思い浮かばなかったから。。。。それで大会に出ていた。

セガ直営ゲーセンにブンブン丸が来る。それも隣町の。
その時には学校の友人のバーチャ熱は冷め、自分だけで行くことに。
当時の自分は免許をもっていなかったので、自転車で行きました。
100人組手というイベント。文字通り有名プレイヤーが招待され、100人とプレイするというもの。
確か50人くらいしか集まらなかったんだよな。。。
地方のゲーセンだから。それでブンブン丸に挑み、コテンパンにされて。
でもメガロス筐体で横に座ってプレイできて。
楽しかった思い出。

で、そのまま資格試験にうつります。
資格試験。
我々看護師は「正看護師」と「准看護師」という資格に分かれます。
正看護師はいわゆる「看護師」です。
これは国家資格。国家試験を受けて合格することで初めて免許をもらえます。
准看護師は地方試験。
都道府県が出す問題をクリアするともらえる資格。
内容としては看護師から指示を受けて仕事をするという、看護師のひとつ下の位にあたります。
実際は境なんてないんですが、給料が安いです。
この地方試験を受けるために勉強をしなさいと言われても、できなかったんですよね。勉強キライだから。
で、友人が「お前バイク乗ってみない?」と言い出して。
近くの大きな駐車場まで2ケツして走り出しました。
初めて乗ったバイクはKSR80。小型2輪です。
それで2時間ほど練習したところ、エンストしないで乗ることができました。
ここでバイクに魅了されたんですよね。
とにかく翌週には原付免許を取りに行き、バイク屋に行って契約をしました。
自分で初めて買ったバイクはNSR50。
いわゆるNチビというバイク。確か30万近くした気がします。
モンキーと迷って選んだ、少し早いバイク。
下はスッカスカですが、パワーバンドまで引っ張れば70キロはゆうに出せる。
街乗りには不向きのバイクでした。
で、その冬の雪の日。資格試験を大宮で受けて、みんなでお疲れ様会して帰ってきて。
そのまま進学しないで1年間准看護師として働きます。

准看護師時代
3月末から働く予定でしたが、総婦長(現在の看護部長)にお願いして、春休み期間に1週間で中型バイクの免許を取りに行きました。
僕の配属になった部署は、内科病棟。
男性の先輩2名がいたところです。
で、僕と同級生の女性2名が准看護師として配属になり。
もう一人の同期が1週間仕事をして仕事を覚えている間に、僕はバイクの教習と座学勉強。
そのまま免許は取れましたが、仕事に行くとまぁ不満たらたら小言を言われた記憶があります。
看護師の仕事の形態は2つあって、「2交代制」と「3交代制」があります。
2交代は8:30~17:30定時 夜勤が17:00~翌朝9時 翌日は休みという周期。
3交代は8:30~は同様で、準夜勤17:00~0:00 深夜勤0:00~翌9時。
このころ自分が働いていた病院は「3交代制」でした。
3交代はとにかく時間がありません。
日勤は終わればフリーですが、準夜勤は中途半端。
17:00~ノンストップで0:00を迎えるため、定時で帰れることなんてありません。
早くて1時、遅いと3~4時なんてザラです。
そうなると準夜勤の人たちでファミレスで飯を食ったり、飲み屋に行って夜食+朝まで飲みコースです。
だいたい準夜勤の翌日は深夜勤なので、同じメンバーで夜勤をします。
なのでそういう感じで時間を過ごすんですよね。
友達とも時間が合わず、当時はプレステゲームを一人で遊んでいました。
それかバイクで走り回ったり。そんな感じで時間を潰していました。
ゲーセンなんて行かなかったなぁ。。。。
食事以外にお金を使わないのでお金は貯まる一方。
4月から働いて、7月にはバイクを一括購入していた。
初めて中型バイクを勝ったのがゼファーΧでした。
そのゼファーでいろんなところに行ったなぁ・・・・
前に言い寄られた先輩の彼女に「バイクの後ろに乗せろ」と言われ、後ろに乗せてツーリングして。
その先輩は巨乳だったので、それが背中に当たって。。。。
そんなこともあった。
準夜の後にバイクに乗りたくなり、なんとなく走っていたら朝になって栃木県まで行っていたことに気が付き、夜勤前に寝ないといけないから早く帰ろうとして渋滞に巻き込まれて。
そんなことばかりしていたな。
で、なんとなく自分の病院グループの付属看護学校を受けさせられて、合格。
まぁ推薦受験だったので。。。。
それでそこに通うことになります。

正看護学校時代
このころはとりあえず学校に行って、居眠りして。
帰って飲み会に行って。
そればかり。
お金なんてないので、誰かの家に行って飲んでいたな。。。
時間はたくさんあったから。
どうやって時間を過ごして夕方を迎えて楽しむか。
それしか考えてなかった。
1年生の冬から看護実習が始まり。。。。
それから厳しい生活を送っていました。
とにかく勉強して、実習に備えて、実習に行くと課題を与えられてその勉強をして。夜通しして、あまり眠れないまま実習に行く。
普通の看護学生が送る生活。
飲み会なんてやってる暇がない。
自分は睡眠時間が大切だと思って、あまり予習や課題をクリアできないまま実習に行って先生や指導者さんに眼をつけられて。。。。
そんな問題児でした。
これでよく学校を卒業できたなぁと思うくらい。
とにかく眠気に勝てず、勉強半ばで寝てしまって。
起きたら朝で実習に行かなくてはいけない。
土日は休みだけど、ホントはそこで勉強しなくてはいけないのに。。。。
でも勉強しながら寝てしまって。。。。
また怒られて。。。。
ノイローゼみたいな生活でした。。。。
ある実習が本当に楽だった。確か母性。ようは産婦人科です。
僕ら男性看護学生だと、妊産婦さんの了承が得られないと実習できないんです。
自分が回った時は、妊産婦さんから了承を得られなかった。
なので、新生児の沐浴とかしかすることができなくて、あとはレポートを仕上げていました。
なので、家に帰って勉強しなくてもよかったんですよね。
その2週間は本当に心の余裕ができて、実習帰りにいろんなところに寄って帰っていた。
その時にふと「ゲーセン行ってみよ」と思い、立ち寄ったんです。
そしたらバーチャファイターが3に進化していました。
2よりもっとリアルになっていて。。。。
書くと大変なので書きませんでしたが、ウルフを使ってそのゲーセンの人に挑み連勝して。
150円くらい使って満足して、帰ったのを覚えています。
そのあとはまた苦しい実習の日々。
ゲーセンのことなんて思い出せませんでした。
そのまま国家試験を迎え、自分の元働いていた病院に帰って看護師生活をスタートさせます。

看護師1~6年目
無事国家試験に合格し、看護師になり。
外科病棟に配属になりました。
本当は内科に行きたかった。
以前1年間努めた場所だし、内科時代に「外科病棟は怖い場所」という記憶があったから。
内科に入院している患者さんが手術が必要になる場合「転科」といって、内科→外科になります。
その際に病棟を移ることになるんですね。
准看護師1年目時代に何度か経験したのですが、本当に外科ナースが怖かった。
どこの病院もそうだと思いますが、内科ナースはホワっとしていることが多く、外科ナースは時間に追われてトゲトゲした感じです。
さらに言うと外科ナースも手術室ナースが怖い人も多いと思います。
外科ナースより時間に追われているのが手術室看護師です。
「あんな怖い看護師ばかり揃っている外科病棟で自分がやっていける気がしない」と思っていました。
案の定、内科に配属になったときより怖かったです。
嫌だ、内科に帰りたい。。。そう思いながら時間が経過していましたが、次第に慣れて来て。
その中で2年目の夏に部署配置換えがあったのです。
「手術室に行きなさい」
当時の総婦長は内科時代にお世話になった所属長。
その総婦長から告げられた部署配置。たぶん頼みやすかったからだと思うんですよね。自分の息のかかった人に頼むほうが。
病院にはルールがあります。先程話した看護師制度です。
准看護師は看護師の指示の元、業務を行うというルール。
准看護師だけの部署は駄目ということです。
当時の手術室は長が看護師、その他は准看護師という構成でした。
その長があと3ヶ月でやめてしまう。
そうなると准看だけになってしまう→正看を入れなければ。。。。
ということで自分に白羽の矢が立ったわけです。
配属になってやってはみたものの、自分は手術が好きになれなくて。。。
でも、仕事の後外科の先生たちと飲みに行ったりして。
それで気分が晴れたり、そういうことがないときはバイクで走ったり。
そんな生活をしていました。
手術室は夜に予定手術はないため、自宅待機と何もない人に分かれます。
土曜日や休日もそう。
まぁ産科がある病院なのでそれなりに呼び出しはありましたが。。。。
基本ちかくにいればそれでいいという生活。
病棟時代は友人と時間が合わなかったので、彼女と過ごすかバイクに乗るか。
はたまた家でゲームをするか。そんな生活でした。
でも会社勤めの有人と時間が合う。
親友たちと毎週飲んで遊んで、スノーボードに行ったり合コンしたり。
そんな生活でした。
ある土曜日のこと。友人が「今日はゲーセンに行こう」と切り出し、近くの大型ゲーセンに遊びに行きました。
そこで出会ってしまったんです。
バーチャファイター4
3よりはるかに画がキレイで、キャラも滑らかに動く。
そして画面を見ると「初段」って書いてあって、その下にリングネームが表示されている。
試合開始前は総試合数や総勝敗数、勝率が表記されている。。。。
「やりたい」って思って。。。。。
100円を入れてプレイしていました。
もちろんウルフを使って。
かっこいいプロレス技が追加されていて。
勝ち負けを繰り返して、閉店まで遊んでいました。
帰りに友人から「飲みに行こう」と言われて、そのまま行きつけのバーへ。
いろんな話をするのですが、頭はバーチャファイターのことばかり。
「なんで負けたんだろうか」「あのときあの技を振れば勝てたのに。。。」
そんなことを思いながら3時くらいまで飲んだのを覚えています。
翌日、昼ころ友人が迎えに来て遊びに行きましたが、その時もゲームが頭を離れない。。。。
酒を飲んで帰ってきて、ネットで調べました。
あの戦績表示はどうしたらできるようになるんだろう。。。。
カードシステムか。。。VFネットか。。。。
iモードで加入できるのか。よかった、俺docomoだわ。。。。
その後平日に仕事が終わるとまっすぐゲーセンに通うようになります。
それでカードを購入して、プレイして。閉店まで遊んで、家に帰って。
その繰り返し。
ゲーセンごとの小さなコミュニティがあって。
その中で忍者のカゲというキャラを使う人と仲良くなって。
「君強いね、戦い方がかっこいいね。」なんて声をかけてもらって。
年上のゲーセン仲間ができて。
でもコミュニティの中で眼を付けられたんです。
どうやら僕が邪魔だったようで。。。。
暴言を吐かれたりしたので、ゲーセンを変えることになります。
駅前のゲームセンター。
そこはバーチャファイターが盛んではないところ。
そこに遊びに行くと、弟がいました。
彼は競馬のゲームをプレイしていました。
でも彼もプロレスが好きです。
僕の使うウルフを見て「このキャラかっこいいね。俺もやるわ。」と
兄弟でプレイをしていると、弟の競馬ゲーム仲間が参戦してきました。
通称ソニックさん。
ひとつ年上の人です。
前のゲーセンのときは名前を「池山」とつけていました。
当時のヤクルトスワローズの選手。
なぜかと言うと、彼は「ブンブン丸」というあだ名がついていたためです。
そう、ブンブン丸。
有名プレイヤーのブンブン丸さんに憧れて始めたゲーム。
でも同じ名前はつけられないので、同じ名前のあだ名を持っている池山選手そのままを名乗っていたんです。
でもなんか違うなぁって思ったので、当時ジャンプで連載していた野球漫画から名前をとって「Mr.フルスイング」という名前を付けました。
ちなみに弟は「ヒゲ魔人」という名前。
弟も野球が好きで、当時は横浜ファンだったんです。
その中で五十嵐投手が「ヒゲ魔神」というあだ名がついていました。
「なんで魔神じゃなく、魔人なの?」と聞いたところ
「『神』と名乗るほど強くないから」とのことでした。
VFネットではチーム機能があり、じゃあ3人でチームを作ろうかと話していて。
そこで付けたのが「VF.Junkies」という名前。
このチーム名を付けてワイワイ3人で遊んでいたところ、一人の高校生から声をかけられました。
「肘って中段ですか?」そんな声をかけられて、それに答えて。
そのうちいろいろ話すようになって、チームに入れて欲しいと言われて。
一人増員。RN ぬるま湯ゲーマー(のちの「チーノくん」)
で、そのまま遊んでいると、いつもくる強い人がいて。
いつも勝ったり負けたり。
その人にチームに入りませんか?と誘ったところ、快諾してもらえて。
またチーム増員 RN トラップ@藤書店(のちの「おちょろ」)
で、いつもくる長身の男性とまた勝ったり負けたり。
その人もチームに入ってくれました。
RN クロコダイル(のちの「コウ」さん)
そんな感じでメンバーを増やして行き。
ネットで見た有名プレイヤーにジョウさんという方がいました。
あ、そうか。自分も自分の名前にしようと思って、カタカナ変換し「リョウ」と名乗ることに。
そうやってワイワイ遊んでいました。
いつかは忘れましたが、ホームゲーセンに対戦する人が全くいなかったため、コウさんと「他のゲーセンに行こう」という話になり、あのコミュニティーに嫌われたゲーセンに行きました。
どうやらそのコミュニティーの人たちはネットで叩かれた様子。
他の人が来ても、イキって文句を言わなくなりました。
なので少し遊んでいると、前に声をかけてくれたカゲを使う人がやってきます。
「久々だね。あのコミュニティーと揉めたらしいね。」
「彼らもネットで叩かれて、すっかり静かだよ。久々に対戦しようじゃないか。」と声をかけてくださいました。
その方のRNは博影さん。
コウさんを紹介し、3人で対戦。
その中で博影さんが「僕もチームに入れてくれないか?」と言われ。
それならかっこいい名前にしましょうという話になり。
その中で様々な候補があった中から「No VF No Life」というチーム名をつけることになりました。チーム名を一新してまた増員。
で、とあるときにホームゲーセンの女性店員さんに声をかけられます。
「今度飲みに行きませんか?」
そうです。色恋沙汰です。
僕より2つ年上の、とにかく巨乳の店員さん。
飲みに行きました。まぁ、まだ24くらいなのでまだまだ頭はお猿さん。
それも魅力的な武器を携えてなわけですから・・・・
お顔もかわいい人でした。
自分たちはゲーセンが終わるまで遊んでいるので、ゲーセンが終わった後会って。
キスまでして、お胸も触ったなぁ。。。。
そこで打ち明けられた事実。「私彼氏いるんだ」。。。。
は?って思った後に「別れようと思っているんだけどね。そしたらエッチしようね。」「別れたら付き合ってくれる?」
そんなことを言われて。。。。
こっちはその気なので「うん」と返答をして。。。
キスして帰って。
その翌日。
また他の店員さんに声をかけられて。
金髪の煙草臭いヤンキー女子。
4つ年下の子。
まぁ、前から話しかけられてはいたんだけど、その際にクレジットおまけしてもらったりしてもらってた。
「仕事終わったら飲みに行きませんか?」
またこれを言われた。
巨乳店員もお休みで約束もなかったので「じゃあ行きますか。」と返答し。。
飲みに行った時には「付き合って欲しい」と言われ。。。
でも彼氏いるらしく、彼と同棲している。
それじゃ付き合う以前の問題では?と思って断ったんですよね。
どうやらそれが巨乳店員の耳に入ったらしく、それから口を聞いてくれなくなったわけです。
それから程なくして、ゲーセンに行くと男性店員から「あなたは出禁です」と告げられた。
理由を聞くと「金髪店員は昔から問題になっていて。巨乳店員が問い詰めたところ、あなたにクレジットをおまけしていた。あなたの弟さんもいろいろ彼女となにかあったみたいで。それに巨乳店員にも手をだしているみたいじゃないですか。彼女があなたに手を出されて困っていると言われて。店側の対応ってことで、出禁になります。」
彼女に連絡をとっても着信拒否。メールをしても返ってこない。
そこに弟も到着。
弟も同じことを言われ、はてどうするか?これからどこでゲームしようか?なんて話していたところ、弟が「駅のむこうにもう一つゲーセンがある。そっちに移ろう」とのこと。
チームメンバーには「我々兄弟はゲーセンを出禁になりました。このゲーセンをホームゲーセンにします。」と連絡し、その後はチームメンバーが集まることになります。
そのゲーセンでは2Dゲームが盛んで、3Dゲームは誰も見向きもしない。
そんなところ。
そこで大群が押し寄せてきて、ワイワイゲームをしている。
そしたらそのコミュニティーはどんどん大きくなって。
チームメンバーも増えて。
「ワタノレ」「ちぃ」「塁壁人」「ヒツヂ」「シン」
中でもヒツヂに至っては、強豪プレイヤーになってしまって。
でも敵対するチームも出てきて。
そんな生活でした。
そこで出会った店員さん、見たことある人だなぁって思っていて。
その店員さんから話しかけられます。
「バーチャファイターって難しいよね。俺とも対戦してよ。」
「はい、いつでも対戦しますよ。」と返し、彼の休憩時間に対戦して。
まぁ負けなかったんですけどね。
で、なんかこの話しかたや声を聞いたことがあるなぁ。。。。
で思い出したんです。あの中学生の時に勝てなかったザンギエフの人だって。
そのひとはRN ハム くん
とにかくゲーセンを移ってから、仲間というより「家族」という感じで。
実家にも帰っていましたが、本当の家族より一緒の時間を過ごしたメンバーたち。
僕の週1夜勤のない日・土曜日の夜以外は一緒に夕飯を食べて、閉店までゲームをして。
「また明日ね」と声をかけて、家に帰りゲームのことを調べる。
仕事に行って、終わったらゲーセン行って。
その繰り返し。
特にハムくんとおちょろ、ワタノレとは仲が良かった。
そのうちゲームが強くなりたいというよりも、家に変える感覚でゲーセンに行って。みんなと時間を過ごしてって日々を送っていた。
ハムくんとワタノレとは酒を飲みに行ったり。
そんなゲーセンも閉店を迎えてしまう。
自分たちのホームゲーセンがつぶれる。。。。
そんなショックなこともあり、その前に決まっていた自分の県外病院勤務。
県外に出るときと同じにして、ホームゲーセンは閉店を迎えました。
なんとも淋しいことでした。。。。
この間にバイクを何台か買い替えたなぁ。
学校を卒業して、ゼファーXからジョーカーという80ccに乗り換えて。
これはゲーセンに停めやすいからという名目。
で、やっぱり大きいバイクが欲しくなり、ゼファーを買って。
オフ車に乗ってみたくてCRMを買って。
オフ車は足ツンツンなので、売ってジョーカーだけにして。
で、横須賀に行くときにジョーカーは売ってしまって、レッドバロンでDトラッカーを買って、横須賀店で受け取って。
そんな感じだった。

6年目 神奈川 横須賀時代
病院とホームゲーセンの人たちに送別会を開いてもらい、自分は横須賀へ。
そこでお世話になったのが、RN 大山田カニ商会さん。
ジャッキーというキャラを使っていて、ネット上で仲良くなった方。
地元ゲーセンでのコミュニティーを失った自分。
このころから、たまにしかゲーセンにいかなくなりました。
たまにあっては声をかけていただき、対戦して話して帰る。
大山田さん以外はほんとに強くて、有名プレイヤーのゲム星人さん
全国大会出場者のスカンクさん。
この人たちのコミュニティーしかなく、自分では対戦にならないレベル。
徐々に離れていきます。
横須賀は面白い街で、地方都市として閉鎖的な空間で、そして米軍基地があるため異国文化がある。
ドブ板通りなんて有名で、ネイビーが悪さすると、アメリカ警官が捕まえに来る。
一度酔ったネイビーに絡まれたことがあり、体格は自分の2倍。
腕なんて僕の3倍位の太さ。
こりゃ終わったな。死ぬかもなんて思っていた時、青のパトランプの車が止まり泥酔しているネイビーを攫って行き「sorry」と一言言い放たれ帰っていったことがありました。
本当に怖かった。。。。
そして埼玉に彼女を残し、遠距離恋愛をしていたとき。
ゲームより彼女中心になります。
海が近かったので、一人のときは湘南までバイクに乗って行き。
葉山の叔母のところに遊びに行ったり、飯食わせてもらったり。
彼女をつれて葉山の海で海水浴したり。
埼玉の彼女の家で過ごしたり。
病院の人たちと食事したり、飲みに行ったり。
で、母親が病気になり帰還命令が出て、1年後に埼玉県に。

埼玉県に復帰 7年目
またいろんな友達と会い、ゲーセン仲間にも連絡を取りますが。。。
やっぱりホームゲーセンでないと、なんか感覚が違う。。。。
自分の最寄りのゲーセンが静かなのでそこで遊ぶことにしました。
そこに仲間がたまに来てくれて、遊んで。
そんなことをしていて。
そこでできた友人がRN DJ GOROTAさん
ネットに対戦動画を上げている人でした。
そのときは自分もRN ばんびと名乗っていました。
好きなドラマ「木更津キャッツアイ」の櫻井くんが演じていたバンビという役名からとったもの。
ゲーセンの友人とはネットを通じてやりとりして。
たまにハムくんと飲みに行って。
そんなことを繰り返していた時、彼女と別れることになります。
彼女から結婚したいと言われ即答できなかったためです。。。。
彼女を乗せるために、Dトラ→フォルツァというビックスクーターに乗り換えました。

千葉時代  11年目
ここから今度は千葉県に転勤することになります。
病院グループ内での転勤。
その病院では手術室の人が足りないため、その人員としての転勤。
ディズニーランドの先の病院での勤務です。
4年間過ごしました。
転勤したのが8月。
春には主任になり、そのまま4年間在籍。
その中でメニエール病に罹患。
気圧に弱くなり、手術室で働くのが困難になりました。
この前の病院から続けていた仕事、内視鏡室の仕事。
この内視鏡技師いう免許を取り、金曜日が内視鏡室での勤務。
それ以外は手術室。でもサポートと主任業務だけ。
そんな生活を送っていました。
このときはゲーセンに行くのは月イチがいいところ。
そのかわり病院の同僚たちと飲みにばかり行っていました。
そして世間はモンスターハンター2Gが全盛期。
ニコニコ動画も全盛期。
その中でゲーム実況チーム「モンハンどうでしょう」を見て、自分も始めたいと思いゲームを買います。
そして飲み仲間3人と遊ぶようになります。
少しずつクエストをこなし、もう少しでG級というところでつまづきます。
ティガレックス2頭の狩猟
このクエストがどうしてもクリアできない。。。。
そこで地元のゲーセン仲間に声をかけてみたところ、集まって強い装備を作ろうという話になり。
正月休みに埼玉に帰り、あつまって装備を作ることに。。。
G級クエスト ナルガクルガをとにかく狩りまくり。。。。
できたナルガ装備。
友人たちにお礼を言い、千葉に帰り装備を使って無事クリア。
そのまま千葉の友人たちと何時間も何十時間もモンハンを遊びました。
やがてモンハン3adが出て、3DSでモンハンが出て。。。。
楽しんでいるうちに、埼玉県の病院に転勤命令が出ました。
千葉での4年間、持っているバイクはフォルツァのまま。
めまいがするとバイクに乗れないため、少しでも操作が簡単なスクーターでいいやと思い、乗り換えませんでした。
発症から1ヶ月は寝て起きても辛い生活。
そこから1年くらいは電車の速度も苦手で、バイクには乗れない生活。
落ち着いた2年後にバイクを動かすと、バッテリーが上がっており。。。。
そこから交換してもすぐにバッテリーがあがるように。。。。
あまりない生活になりました。

ふたたび埼玉へ 17年目
埼玉県の病院に転勤命令が出た理由が、自分が看護部長と揉めたこと。
新人育成で意見が合わず、その意見をこちらに通してくれない部長と揉めてしまい。。。。
今の病院が内視鏡技師が欲しいとのことで、僕のことを厄介に思っていた部長が転勤命令を出しました。
家の近くにワタノレくんが住んでいて、何度か一緒にプレイをしたのですが、結婚を機にゲームから離れるとのこと。
その奥さんもモンハンをプレイする人でしたが、奥様がプレイをしなくなったためだそうです。
モンハンの新作が出ると遊んでいましたが、一人でやっても面白くない。。。。。
twitterでそう嘆いたところ、友人の塁壁人くんが声をかけてくれて。
その友達2名と夜中まで遊ぶということを繰り返していました。
新作が出るたびにその3人と遊ぶ。
年々やっていると、その3人の中で僕が一番下手で。
自分の失敗のせいでクエスト失敗してしまうことが多かった。
なんか責任を感じて。。。。
その仲間とはモンハンをしなくなりました。
自分から特に理由も言わずに離脱。
バイクは引っ越しを機に売ってしまい、バイクのない生活です。
無論車もありません。
自転車と公共機関を使った生活。
バイクに乗れない自分に憤りを感じて。。。。。
またゲームをする日々です。
ダークソウルをやったり、千葉の友達とバイオハザード5をネット経由で遊んだり。
その間もモンハンが2作ほど出ましたが、僕は見送りました。
そして出たのがモンスターハンターワールド。PS4のゲーム。
なんとなくモンハンがやりたくなり、病院の仲間に声をかけたところ3人ほど集まったためモンハンに復帰。
3ヶ月もするとみんな飽きてしまって、自分だけになり。。。。
新しいゲームを探して誘って、また遊んでくれて。
今でも繋がっています。
デットバイデイライトとかAPEXとか遊んでもらっています。
そして長年夢だった大型バイク免許に挑戦。
めまいでも免許を持っているだけだったらいいだろうと通って、ストレートで終わり、そのまま免許交付まで卒検と同日で終わらせて。
いざバイクを買うぞとXSR900を狙っていたが、欲しい色がなくなったため次年度モデルを狙って待っていたら、その次の年度モデルにかっこいい黒金が出るかもと噂が出て。
結局欧州モデルのみになってしまって落胆。。。。。
もう1年待つとモデルチェンジがあると知り、ならもう1年待つかとまっていたところ。。。。。
COVID-19時代の到来。
この影響でバイクの海外工場は閉鎖したり、生産効率が悪くなり。。。。
そして暇を持て余した人たちが、バイクなら接触しないで楽しめると知りバイクの需要だけが高くなり、欲しいモデルが買えない始末。。。。。
仕事では未知のウイルスと戦わなくてはいけないというストレスと戦うだけ。。。。
とにかく疲弊した1年だった。
ステイホーム時代。そこを救ってくれたのがゲームでした。
どこにも行けないときに、ネットを通じて仲間と遊べるツールがある。
仕事のストレスを発散できる。そうしてモチベーションを保っていました。
その翌年もバイクの生産量は変わらず、またバイクが買えない。。。。
で限界管理時代が収束。
まだコロナは収束とは行きませんが、また世の中がいつも通りになり。。。
仲間とはそれなりにゲームをしています。
その中でやはり「最後にバイクに乗りたい。できたら大型に」という欲が出てきました。
自分の好きなオールドスタイルのバイク。
CB750 マッハ Z1&2 どれも高くて買えません。
そうなると、時点でZ900RS
最近の川崎バイクは優等生らしいですね。
このバイクも自分と同じ世代が買っている、通称オジサンホイホイ。
年間売上もトップで、街中でも見かけるバイクです。
それだとつまんないなぁ。。。。
でW800とT120というバイクの2択になっています。
W800は往年のスタイル。W650を排気量UPさせ現代の必要な装備をつけたもの。
T120は英国トライアンフ製。ここも川崎が技術支援しているバイクです。
外車なので、壊さないことが条件ですが・・・・
高い上に、壊れると修理費用が高い。。。。
国産車 ホンダ カワサキ スズキ ヤマハのバイク故障率と諸外国製だと、国産車が大体11~14%に対し、外車は20%を超えてきます。
そこで悩みです。。。。
どうせならリッター超えの大排気量に跨ってみたい。
でも高くて故障率が多いとそれまたねぇ。
そしてW800は、スタイルこそいいものの、馬力が中型くらいしかない。
これが最後の大型と思っているので、The大型を求めなくて良いのか。
その間で揺れています。。。。
ちなみに終活バイクではないです。
それはハンターカブかDAXにしようと思っています。
この悩みだけはまた決着がつかない・・・・
今ここでストップしています。
女性関係はというと、45の時に26歳の子とお付き合いしました。
お相手から告白され、なんとなく付き合いましたが、1ヶ月くらいで罪悪感が勝ち、そのままお別れしました。
そこから彼女らしい人はいません。
それとステイホーム期間にいろんな映像作品を見ました。
それまでは漫画しか興味がなかった。
特に女性ばかり出てくる漫画やアニメには興味がなかったのです。
その中で「ガールズ&パンツァー」という作品を見ました。
これはアニメファンが挙って「ガルパンはいいぞ」と話すからです。
Netflixに上がっていてなんとなく見て。。。。
その戦車アクションに眼を奪われます。
僕は四角フェチです。なので戦車の形状って好きなんですよね。
しかも戦車のゲーム「ワールドオブタンクス」を一人で遊んでいたくらい好きです。
その戦車と戦車道としての部活、そして団体戦で戦う姿が本当にカッコよくて。
劇場版も見に行きました。
そこから「アニメもいいかも」と見るようになりました。
鬼滅の刃もアニメからです。
あの美しいアニメーション。当時鬼滅が掲載されていたジャンプで、鬼滅の画が暗く決して上手くはないと読んでいませんでした。
たぶんガルパンに出会っていなかったら、スルーしていたでしょう。
最近は「ぼっち・ざ・ろっく!」を見ました。
主人公ぼっちが、NETで有名なギターUP主で。
それを隠してバンドに入り。そしてバンドにのめり込んでいく。
すべて見終わってしまって、はやく新シーズンが見たいところです。
そんなところです。

バイクは、いつになったら結論がでるかな・・・・
この先は見守っていてくださいね。
こんな半生でした。
長文失礼いたしました。
それではまた。。。。

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