第5話

 大人の腰ほどの高さがある四足の魔獣が、天に向け猛々しい雄叫びをあげる。正規兵の壁に隔たれてはいても、戦場で初めて魔獣とまみえる志願兵達はその瞬間呼吸を忘れて青ざめていた。
 歴戦の兵士達でも1体を相手取るのに役割を分担した4〜5人の分隊で臨まなければ勝てないとされる魔獣。厳密に言えば、野生の獣のように魔獣にも種類があり、種によって危険度はまちまちなのだが、一般的にはその分類ができるほどの研究は為されていない。

(狼型……あの様子じゃ魔女のちょっかいちゃうみたいやな)
 レェヴは魔獣の姿を捕捉し口を歪めた。
(計算狂うわボケカス。せっかく確保した候補者をただの魔獣ごときで無駄死にさせるわけにはいかん……)
「オルゴリオ中尉。小隊員達を少し下がらせては?狼型が10体ならばこれ以上の支援は不要かと。逆に魔獣戦に不慣れな小僧共が足を引っ張る恐れも」
 感情を一切表に出さずにしたレェヴの進言はオルゴリオの無言の肯首で実行に移されることとなった。

「オルゴリオ小隊、総員第二補給ラインまで後退」
 よく響く小隊長の号令におずおずと従う志願兵達を見て、レェヴは心の中で息をついた。
(魔女の策略でないならどうにでも……)

「報告しますッ!別の群れと思しき魔獣が1体!お……狼型ですが、でかいですッ!」
 報告に来た正規兵が狼狽ている。若いとは言え外組であれば何度か狼型の魔獣は見ているはずだ。
 志願兵達も同様にそう考えたのか、明らかに浮き足立ち始める。その様子を見てレェヴが門内までの撤退を再度進言しようとしたその時、すぐ近くで耳をつんざくほどの悲鳴が響いた。

「ぎゃああああああああああっ!!!」
 ドラゴマンが急に上がった悲鳴の主を探すと、何と門近くまで巨大な狼型の魔獣が飛び込んできたところだった。物資を搬出している途中だったため、門は開いたまま。
 あの魔獣ならば王都の中に押し入ることができてしまうだろう。そう思った次の瞬間には、ドラゴマンの足は地面を蹴っていた。

 悲鳴を上げたのは物資の運搬を手伝う一般市民のようだった。魔獣が飛び込んで着地した際に仕留められたのだろう血だらけの男が横たわっている。
 すぐそばには腰を抜かしてへたりこんでいる若者の姿もあった。魔獣の次の標的は恐らく彼だ。
 大人の男と目線が合うくらい巨大な狼が、唾を飛ばしながら震える若者に迫っていた。
 走っては間に合わないと判断し、ドラゴマンは助走の勢いを殺さぬまま踏み切って狼の顔の辺りに向かって槍を投擲する。しかしその槍は咄嗟に飛び退った狼の頭を捉えず、地面に突き刺さった。

(あいつは……リリアんとこの兄ちゃんか。ジェネライトがこの一瞬で成長した……?)
 レェヴは志願兵を逃すために市民の2人や3人犠牲にするつもりでいたのだが、計算が狂ってしまった。訓練を始めてまだ2ヶ月少し。あまりに無謀過ぎる。予想通り狼は敵意を向けてきたドラゴマンに標的を変えたらしく、飛びかかるために姿勢を低くしながら体の向きを変えようとしている。

「アホンダラこのクソガキ!逃げェ!!」
 レェヴが叫びながら駆け出そうとしたその時……すぐ傍を走り抜ける白い閃光。黒い波。花の香り。

 走りながら体勢をギリギリまで下げ、死角から一閃。飛びかかるために力を溜めていた前足から血飛沫が舞った。
 支えをなくした魔獣はバランスを崩し体勢を立て直すことに意識を向けた。一瞬の間も置かず飛び退るだろう。しかしそうはならなかった。
「火球!」
 志願兵の固まった辺りから、炎を帯びた魔力の球が2つ飛び出てきて狼の胴に吸い込まれるように当たる。
「2人とも無茶し過ぎっ!」
 レジェが魔力を収めた後に叫んでいる。その隣にいるはずだったもう1人の分隊員の男の姿が見えない。
(こいつら説教やな)
 レェヴがうんざりした顔でオルゴリオの方を見ると、たしかにそこに気配があったはずの小隊長の姿がなくなっている。

 よろめいた狼の背後から長い棒が揺らいだのが見える。遠心力をたっぷりと纏って薙がれる一撃が狼のぐらついた後ろ足を正確に捉えた。
「ずりいのよ抜け駆けとか!!」
 ジェイの渾身の一発は確かに強烈なダメージを与えたかに見えた。が、散々攻撃を打ち込まれたはずの狼の表情には怒り以外何も浮かんでいない。
「もう少し痛がるとかしないのかね……」
 ジェイが顔をひくつかせて言ったのが聞こえたのか、狼が次に選んだ標的はジェイのようだ。

 鼻筋をしわしわにして唸る顔を見て、戦闘に参加した志願兵達はジェイの死を覚悟した。溜めに溜めた顎を解放し口を開こうとした狼の耳のすぐ後ろから真っ赤な血が扇形に飛沫く。


「お前らわかっとるか?」
 普段あまり口を開かないレェヴ副長の訛った説教に、屋台街分隊は地面に座らされしおれていた。ただでさえ迫力ある訛りに加え、副長の後ろには返り血に塗れながらなお怒気を纏うオルゴリオが控えている。勝手な行動をしたのだからそれくらいは当然だとは思うが、それでも怖いものは怖い。
「勝手な行動をしたというだけではここまで怒らん。反省すべきは魔獣相手に無謀をしたということだ」
 地の底から響くような低い声に、4人の肩幅は普段の半分くらいに縮こまるような思いだった。


 最初に襲われた男は一命を取り留めたが重傷を負っており治療所へ運ばれた。腰を抜かしていた若者はかすり傷はあったものの奇跡的に無事だった。
 群れの方は外組の3人ほどを道連れに全滅したとのことだ。

 無謀にも巨大な魔獣に4人で挑んだドラゴマン達は、10日ほど訓練が厳しくなったものの、それ以上のお咎めを受けることはなかった。
 ああしていなければ件の市民2人は魔獣に殺されていただろうと、正規兵から進言があったのだ。

 軽症だった若者がドラゴマン達を訪ねてきたのは、10日間の罰則が終わったその夜のことだ。

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