第6話

「アンドレイさん、助かったんですよね?」
 思い詰めたような表情で、恐る恐る尋ねてくる彼は、エクシドと名乗った。血溜まりでへたりこんでいたあの若者だ。
「そう聞いているが……それが何か?」
 聞けば、アンドレイが運ばれたという治療院に見舞いに行ったのだが、会うことができなかったのだという。
「治療院を間違ったんじゃないのか?」
「それも考えて、王都中の治療院に行って尋ねてみたんです。どこの治療院でも、受け入れていないって……」

 普段の倍厳しい訓練に疲れ果て、やっとの思いで宿舎に帰ってきたところを、待っていたエクシドに呼び止められたのだ。
 礼を伝える勢いがすごかったので、危うく腕を固めて張り倒すところだった。市民にそれをしていたら、罰である厳しい訓練がもう数日追加されていたかもしれない。

「あの怪我じゃしばらく退院は無理そうだし、かといって命に別状はないとも聞いて安心していたんだが……名前を間違ったとか、そういうこともないのか?」
「アンドレイさんは退役した元兵士なので、治療院でも知られてるはずなんです。だからざっくりした話だけでも誰のことかはわかるもんだと思うんですが……」
 そう言ってエクシドは咳き込んでしまった。

「元って割にはまだまだ若いようだったが……怪我か?」
「あ、いえ……何でも胸を悪くして遠征や行軍ができなくなって……後進のためにって今は民間の軍事支援団体に。僕もその団体の一員で、あの日もその活動であそこにいたんです」

 市民が警報発令後にあんな場所にいた理由はそういうことか、と合点がいった。門兵は戦闘に参加せずに門の出入りを見ていたはずで、市民が通るのを見逃すはずもない。それをリリア達と不思議がっていたところだったのだ。

「うーむ……そうは言っても、やはり俺達が聞いていたのはお前と同じ情報だからな……何かわかったら連絡はするが、保証はできないぞ」
「はい、それで構いません。アンドレイさんの奥さんも心配していますし、あの時僕を庇ってくれたお礼も伝えないといけないので……」

 見た感じ自分と同じくらいの年齢だろうエクシドがなぜ志願兵ではなく民間の軍事支援団体などにいるのか……尋ねようとしてハッとした。
 貧弱過ぎるのだ。これでは入隊試験に合格することはできないだろう。平民ではエリートコースである軍事文官になることも叶わない。
 志願兵や外組に対しての内組や軍事文官など、比較的安全な位置にいる役割は総じて貴族の次男や三男が割り当てられる。
 身分も低く戦えない者は軍務に携わることはできない。逆に戦えさえすればどんなに卑しい生まれでも、自分やリリアのように孤児であろうと英雄への道は開けるのだ。

 ドラゴマンの気遣わしげな視線に気づいてか、エクシドはもう一度だけ礼を告げてその場を辞した。何でも母と妹の体が弱く、薬を買いに来た帰りだったのだという。

 翌日、彼らの分隊は珍しく屋台街ではなく食堂に集まって昨晩のエクシドとの一件を話した。あまり外で話していい話題でもないと思ったからだ。
「アンドレイって人、死んじまったんじゃないのそれ?」
「死んだらさすがに話回るでしょ……同じ団体にいるなら」
 リリアが呆れながら無神経なジェイの発言に指摘を入れる。そのやりとりをぼーっと眺めていたドラゴマンは、リリアの癖である髪を耳にかける仕草に気づき、何となく目を逸らした。
 視線を移した先にいたレジェはあまり興味はなさげだ。魔法を操るには理論が重要だと聞くのだが、レジェのふわふわとした普段の様子からあの咄嗟の火球が繰り出されたのがいまだに信じられない。
 レジェを見てそう考えていると、リリアが頬をぐいっと指で押してきた。
「まあ、軍の関係ってことは嗅ぎ回っても大した情報は出てこないんじゃない?むしろ私達まで危ない目に合うかも」
「ほうだな。何かわかえば伝えてやうとは言っはが、わらわら嗅ぎ回うこほもないdやめへそろそろ」

 ひゃひゃひゃと爆笑しているリリアの指を払い除けると、改めて魔獣との戦闘を思い出してみた。
 自分は結局ダメージを与えることはできなかったが、連携としての手数はしっかり確保できていた。もしかすると群れの方の小さい奴らなら1体くらいは倒せていたかもしれない。しかし、圧倒的に攻撃力が足りないのだ。

「オルゴリオ隊長、すごかったな……」
「そうだ、知ってるか?そのオルゴリオ隊長殿なんだけどな……」
「ジェイはまた変な噂仕入れてきたの??」
「変なってなんだよレジェ〜こないだのだって信憑性はあっただろ?情報通って言ってくれよ」
 ドヤ顔のジェイが以前話した噂というのは、湖に隔てられた大陸東部の話だ。志願兵とは言え自分達は現在軍部、しかも軍務の中心である王都にいる。
 他国の情報も多少は聞こえてくるのだが、志願兵まで聞こえてくる頃には元の話の影も形も残っていないことがほとんどだった。

「それだってさ、アルラヴ神聖王国とアルエギ神聖王国が統合してアルラヴ神聖連合?って信憑性あるって言っちまっていいのか?」
「これは正規兵だけじゃなくって出入りの商人も言ってることなんだよ。東の大精霊がお示しになったってあっちじゃ大騒ぎらしいぞ」

 ジェイとドラゴマンが言い合っている、その隣のリリアの表情はあまり浮かないものだった。
「リリアちゃん……どうしたの?」
「神聖七大王国同士が統合って結構重大な話じゃない?それなのに正式なニュースとしてじゃなくって噂でしか聞かないって何でなんだろ」
「デタラメだからだろ」
 ドラゴマンの返事に眉ひとつ動かさず答える。
「それにしてはちょっと噂の規模が大きすぎない?私も街にいる時に聞いたわ」
 リリアの真剣なトーンに呑み込まれたかのように、3人は息を顰めた。まるで食堂全体がリリアの次の言葉を待っているかのような、妙な静けさだった。
「志願兵の募集にしたって異例のことよ。対魔獣用の軍って説明だったけど、魔獣と渡り合えれば対人戦だってできる。兵役は特権でもあるはずなのに、わざわざ平民や私達みたいな賎民からだって召し上げてる」

「それは大天使の思し召しなんだろ?」
 まじめなトーンに耐えられないのか、ジェイは少し戯けたように指を鳴らして言った。リリアは一切それに触れることなく会話を続ける。
「東が大精霊のお示し。中央は大天使の思し召し。西でも何か動きがあるのかも」

 その言葉を聞いたドラゴマンは眉を顰める。
「人間同士の戦争が起こるかもってことか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。もしかしたら魔獣災害の予兆があるのかも」

 リリアの言葉は分隊全員の胸を重くした。たしかに何かが動いているのかもしれないと、そう思わせる説得力があった。

「ねえね、続き話しちゃだめ?オルゴリオ隊長の……」
 ジェイは相変わらずだった。

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