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過去問 公認心理師試験第6回 午前 一般問題 問67

みなさん、こんにちは。

公認心理師受験生Kidです。

さて、掲題の通り、問67です。

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問67
14歳の女子A、中学2年生。学校生活全般において無気力が目立ち、学業不振が継続している。担任教師Bが進路についてAに尋ねても、「よく分からない」と答える。Aの様子を心配したBが個別面談の時間を設定してAの話を聞いてみたところ、「私の家は生活保護を受けている。経済状況を考えると希望の進路を選べない」、「皆みたいに塾に行くことができないし、将来就きたい仕事にもどうせ就けない。だから勉強しても無駄」と話した。
 AやAを取り巻く状況の説明として、最も適切なものを1つ選べ。
① 社会的孤立
② 相対的剥奪
③ 複雑性悲嘆
④ 社会的スティグマ
⑤ リアリティ・ショック
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正解、 ② 相対的剥奪です。

本問で求められているのは「AやAを取り巻く状況の説明」になりますから、Aの語っている「私の家は生活保護を受けている。経済状況を考えると希望の進路を選べない」、「皆みたいに塾に行くことができないし、将来就きたい仕事にもどうせ就けない。だから勉強しても無駄」という家庭状況や、その状況を受けての「学校生活全般において無気力が目立ち、学業不振が継続している」という在り様を説明する概念を選択することになります。

本選択肢の相対的剥奪とは「現在の状態と期待している状態の間のギャップ」のことを指します。

1982年にフランスの社会学者レイモン・ブードンが定式化したモデルです。

社会的機会がより平等になり、個々人の自己投資(典型的には教育投資)が社会的チャンスを増すという状態が生まれると、自己投資をする人の割合の伸びが、実際にチャンスを生かせる人の割合の伸びより上回ることが多く、その結果自己投資をしたにもかかわらず、投資を生かせない人々が多数生まれるため、社会的不満度の高い人々が増えるとされています。

要するに、成功した人、うまくいく人が増えてくると、「自分もそうなれるだろう」と思ったり動き出す人が増えるけど、その増加率に比べて実際に成功する人が増えるわけではないので、「周囲が持っていて、自分が持っていない」という形になりやすく、不満が起こりやすいわけですね。

また、ランシマンによる相対的剥奪の定義として、次の条件を満たすときに、ある人は対象Xに関して相対的に剥奪されていると捉えるとしています。

その人はXを持っていない。
その人は(過去の自分自身を含む)、他者が X を持っていると見なしている(実際には持っていないこともありうる)。
その人はXを欲している。
その人はXを持つことが可能だと思っている(対象となるX(地位や財)の所有が可能であると思っていなければ剥奪は生じない)。
なお、この自分と比較する他人を準拠集団と言います。

ランシマンは、この相対的剥奪については4類型挙げております。

この類型は、ランシマンが2つの軸を立てて考察しているところから自動的に導かれ、1つの軸は、行為者が所属している集団が全体社会のなかで占める位置に由来します。

彼の主要関心は社会階級にあるが、行為者Aの所属階級が全体社会のなかで「満足できる」ものかどうか、という軸です。

もう1つの軸は、Aの所属階級のなかでAが占める位置に関連しており、Aの集団内位置が「満足できる」ものかどうか、という軸になります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜タイプAは、個人的には現行社会構造にも文句はないし自分の集団(=階級)内地位にも満足しているが、(恐らくは社会的正義感から)社会構造は変革したいと思っている「正統派」の場合であり、事実上、いずれの軸に関しても「満足している」のに、「相対的剥奪」を経験している「正統保守派」です。

タイプBは、所属集団には満足しているが集団内の位置には失望しています(そのために、あくせくとしている「渇望奮闘派」)。

後にランシマンはタイプBを「利己主義者:egoist」と命名しています。

タイプCは、労働者階級のなかのある種の人々に見られるように、所属階級には忠誠的だが階級としては相対的に剥奪されている「集団的連帯派」です(後にランシマンはタイプCを「友愛主義者:fraternalist」と命名している)。

タイプDは、所属集団の位置にも不満だし集団内位置にも不満を抱いている「不機嫌なる党派」になります。                    
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ただ、この4類型論と先に見た定義との内的論理的関連性となると一向に明確ではないという批判もあります。

さて、こうした相対的剥奪の定式を事例に当てはめて考えてみましょう。

Aは生活保護家庭であり、経済的な余裕を持っていない。
Aは、同級生らが経済的な余裕を持っていると見なしている(だから塾にも行けるし、希望する進路に進むこともできる)。
Aは同級生らと同じような経済的余裕を欲している。
Aは経済的余裕を持つことが可能だと思っている(多くの人が得られている経済的余裕だからこそ、自分にそれが与えられるべきだと考えている)。
1~3まではわかりやすいと思いますが、4が少しわかりにくいかもしれません。

ただ、Aが無気力でやる気が出ない様子なのも、背景に「本来ならば自分も持ち得るはずのものが、持ち得ていない」ということがあるからであると考えられます。

同級生らが持っているものについて、Aが「これは自分はもともと持ち得ないものだ」と考えていれば、周囲との差を話題にした「私の家は生活保護を受けている。経済状況を考えると希望の進路を選べない」「皆みたいに塾に行くことができないし、将来就きたい仕事にもどうせ就けない。だから勉強しても無駄」という表現になることはあり得ません。

ですから、上記の4についてもAに当てはまると見て問題ないでしょう。

このように、Aが渇望しており、そして、それは本来自分が持ち得るものであると考えている、経済的余裕やそれに伴う将来への選択肢、塾などの教育機会などが得ることができておらず、それによって無気力な状態に陥っていると考えることができ、これを相対的剥奪という概念の文脈で説明することは可能です。

以上より、②が適切と判断できます。
引用URL:https://public-psychologist.systems/12-福祉に関する心理学+法律/公認心理師%E3%80%802023-67/

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