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12月後半の日記

12月某日
電話会議において、質問があったとしてもそこで聞くべきなのか、他の人も知りたい情報なのかを考えてしまって、躊躇してしまう。結局後から質問もできるとなると、その場で必ず聞くべきことは何なのだろうか。人の時間を奪ってまで聞くべきものはそんなに多くないのかもしれないと思う。だし、仮に他の人にとっても重要かもしれない情報だったとして、自分ごととして受け取れるのかは不明だ。(個人的には正直他人が質問している内容はあまり頭に入っていない。)また、他の人が後から同じ疑問にぶつかることもあるだろう、だが、その瞬間に「そういえば電話会議で同じ質問が出ていたな」と思い出せるかどうかも不明だ。結局自分の力でその疑問・質問に出会わなければ、自分ごととして扱わないのではないか。であれば、後からでも追えるような状態(テキストに残した状態)で残すほうがよっぽど重要なのではないだろうか。同期コミュニケーションの優位性が問われる。

12月某日
友人に婚姻届けの証人になってもらうべくサインを依頼。ランチに誘う。
妙にかしこまったお店を選んだが故に、会話が弾まなかった。その日のテーマというか目的も作用して、全員ちょっとづつ気を遣いあっていた。居酒屋でいれば、なんてことない雑談ができる友人であるはずが、こうも変わるかと驚く。コミュニケーションは想像以上に外部要因にも影響を受けていると実感。

12月某日
長期金利上昇のニュース。
損得の外側で生きたいと思いつつ、影響を受けるかもしれないと思うといろいろと考えてしまう。損をしない生き方、無難な生き方をしてき続けてきたが、いい加減はみ出してもいい頃ではないだろうか。ただ、今までそんなことしてきたことがないので、ビビる。転職、結婚、出産、マイホームなどなど、考えれば考えるほど、損得で生きることがベターであるように思える。言葉ではなく、行動がより重要である。Action speak louder than wordsである。

12月某日
アンティーク家具屋さんに赴く。
お目当てのダイニングテーブルはもちろんのこと、テレフォン・ベンチなるものを発見し、妙に惹かれる。1960年代に作られたそれには、当時使っていた名残で電話番号表がまだ残っているようだった。その当時に思いをはせる。新品にはない価値である。また店員もこの無用の長物を定期的に入荷しているらしい。現代の生活には無用であることがそのまま無価値という意味ではない、それを体現しており、大変感銘を受けた。ダイニングテーブルも値を張るものだが、この店、この店員さんとの出会いに感謝する意味で、購入を決意。テーブルのメンテや他の商品の購入など定期的に訪れたい場所である。

12月某日
日記を読み返す。ドライブマイカーをきっかけに偶然と想像を見たことを思い出し、他の作品を見たいと思い、サブスクで見れないかとググる。すると、年末神戸でハッピーアワーが上映されることを発見。これは行くしかないと決意。日記を書くことやそれを読み返すことで、アクションが決定された。PDCAとはよく言ったもので、振り返る機会がアクションにつながる。改めて日記の重要さ、振り返る重要さを実感。誰も見なくても自分のために言葉を綴り続けたい。

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