見出し画像

8月の日記

某日
参加しているボランティアにて、BBQ企画を実施。基本的にみんな楽しんでくれていたと思うが、役割を与えてあげることをもっと自覚的にやってあげたいと思った。ボランティア側が率先して、BBQを進行する(例えば火をつける、肉を焼く、野菜を切るなど)も大事なことではあるが、みんなで作り上げることのほうが重要。役割があることによってそこがその人の居場所になるように思う。飲み会などで若手に酒を注がせたり、出し物をさせるような文化も元々はそういう意味で成立していたように思う。確かに自分の若手時代を思い返せば、出し物を忙しそうにすることで何となくその場を乗り切っていた。放り出されていることのほうがしんどかったりする。(ので、妙な先輩が気を遣って若手にあーだこーだ言ってくるのもあると思う。彼らは放り出されている側なので。)
どちらかと言うと、自分は場を盛り上げる方というか、話を振る方に回らないといけない。身につけてるものでも、最近の話をしてもらうとかなんでもいいので、自分から話を振るようにしていこう。
彼らの成長を応援するのであれば、まずは我が身。

某日
会社の飲み会に参加。スタッフ組織に従事していることもあり、組織自体がサービス組織などに比べ、小さく、こういう飲み会で偉い人にエンカウントする確率も高い。少し前までは、年上の過去の苦労話などを聞くのが面倒くさかった。今とは時代が違うから今の時代にはそぐわないとかそんなことを思っていた。が、歴史は結局地続きだし、昔大変だったことが改善されて今があったり、昔も今も変わらず、大変なこともある。年上だから、役職だからといって、そんなに人は変わらないというのを気づいてから昔話も楽しんで聞けるようになった。これも大人になった証拠だろうか。

少し前に異動になった人も参加していて、声をかけられた。その人とは、一回だけお話ししたのとなぜか回ってきた異動の時の色紙にコメントを寄せただけの関係性だった。それでも声をかけてくれるというのは大変有り難いし、力強いなと思う。自分がその立場だったら、妙な距離感を気にしたまま、飲み会中も声をかけずにいたと思う。一回お話をしたという事実に対して、「知り合い」とみなすか、「妙な関係」とみなすかで全然接し方も態度も違うなと反省。でもその関係性でいきなり脇腹をツンと刺せるのはその人のパーソナリティならではだとは思う。

某日
ワーキングスペースで作業。久しく使っていなかったが、やっぱり集中できる。あと、完全にコンタクトレスで入室できるのもベリーグッド。海外生活を経験してから、日本の接客の過剰さを気にするようになった。(海外行ってきたやつあるあるすぎて恥ずかしいが。)来店客がいないなら、カウンターで座っていてもいいと思うし、スマホを見ていても別にいいと思う。逆に入店するや否や、店員さんに見られすぎると早く出たくなるという心理もお客さん側で生じる。手厚いサポートを求めるなら、それだけお金を払うというほうが健全な気がする。

某日
蔡國強の展示を見に、六本木へ。
作品の力強さも大変素晴らしく、時間や空間を捉えるスケールが日常生活などのそれとは全く違っていて、人の儚さやそれに伴う美しさみたいなものを表現していたように思う。砂で曼荼羅を表現したものに対して、火薬を一緒に閉じ込めて、一瞬で破壊するインスタレーションみたいなものがあった。それがやばかった。積み上げたものが一瞬で崩れ去るということがありありと表現されていて、それは非常に日常的な風景でもあると思う。頑張ってやったアウトプットが上司に手のひら返しにされたり、頑張って作った料理があんまり美味しくなかったり、込めた努力や時間とそれを壊す労力とが釣り合わないことなんてよくある話である。ただインスタレーションの後に残った塵は妖艶な模様になっていて、とても美しかった。

某日
レコードプレイヤーを購入。元々DTM(tofubeats界隈など)を好きなこともあり、レコードへの憧れはずっとあったが、ここで一念発起。買ってみると、色々と掘りたくなる。今のところ、Bluetoothでスピーカーに繋いでいるが、アンプをちゃんと買ったりしたい。プレイヤーを買うと不思議なもので、レコード屋さんにも目が行くようになる。ジャケ買いなどしてみる。知らないアーティスト、曲に出会う。あんまりだったりする。ただ何となくいい時間を過ごしている気がする。プロセスがある分、そこに思い出が乗っかる。夏の暑い中、頑張ってわざわざちょっと遠いところまで歩いたなとかその時の店員さんが怖かったとか、そういうしょうもない、大したこともないようなことが実は人生を豊かにしてくれたりする。

某日
連日福島の処理水のニュース。飲料水基準の1/7未満のトリチウムの含有であることは散々語られている。それ以外の論点に対する情報にヘッドラインレベルだと到達できないように思う。漁師の方々の意見や論点、不安点や国会討論での内容など、もう少し表に出てもいいように思うが、自分がそういう情報にリーチできていないだけなのだろうか。燃料デブリの処理をどうするかもまだ現在進行形で調査中とのこと。多面的な側面で議論を進めるべきに思うが、「基準の1/7」ばかりが前面に出ているように思う。

某日
同期と飯。転職などのキャリア形成の話。転職活動などをしても、実際のしんどさや裁量の大きさなどはどれだけヒアリングしてもやってみないとわからないというブラックボックスになっているため、躊躇してしまう。大変すぎたら、その時にまた変えればいいとか思うが、成長痛的な側面もあるので、すぐやめるのもどうかとも思ってしまう。結局今の仕事の何が不満で、今の社内だと乗り越えられないのか、どうだったら乗り越えることができるのか、逆にそれ以外の良さを削ってもいいのかあたりを腹落ちしないと進めないんだろう。そう思うと、今の時代、社内インターンや副業などゼロイチではない選択肢も取れる。そうやって低リスクながら、ピポットしていくのがまあベターなところか。ただ副業などはより一層何ができるかが求められる。結局今のところで地肩をつけるしかないという結論に毎回陥る。

某日
夏休み。何もない一日。生活リズムが崩れ、妻と変な時間に昼寝をしてしまい、20時くらいに起き上がる。1日を取り戻すために、そこから夜のサイクリング。少し遠い公園まで行って帰ってくる。道中、知らない街や道に出会う。知らない街を知ることも、自分の中の地図が広がっていくことも面白い。帰り道、適当にほど良さそうなサンドイッチ屋さんでご飯にする。この店も当たりだった。こういうなんでもない日がどうしようもなく貴重であるし、同じ温度感で楽しんでくれる妻にも大変感謝である。言語化ができないこの感じは結局その場で共有し合うしかなく、人と人が同じ場を共有していることの大事さを改めて認識したのと同時に、これから忙しくなったりするとこういう時間が作れなくなるのかもしれないと少し寂しくもなった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?