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HSY Day185-191 あてもなく

Day185 
トランプ大統領の感染が判明。いっぽうで「東京、新たに196人感染 2日ぶり200人下回る」とか、この数週間何度も何度も繰り返されているニュースの見出しを見ると、なんだかなあ、と思う。日・月あたりは毎回数字が下がるわけだし。見出しを書いている人や原稿を読んでいるニュースキャスターもきっと、なんだかなあ、と思いながらそうしているんだろう。だとしたら、もうこんなのやめて違う言い方にしましょうよ、って提案してほしい。


Day186 

「2x2 WindowS」vol.2の編集バージョン配信開始。今回から「3日間だけ観られる」形に変更された。そのおかげもあってか、悪くない反響がぽつりぽつりと届いているみたい。

オンラインゲームでちょっとしたケンカのようなことが発生。家出したろか、と思ったけどしばらく放置してクールダウン。まあみんな疲れてるんだなって思う。この疲れの正体はなんとなく現実世界ともリンクしている気がする。


Day187 
眠い。でも目が覚めたので朝から粛々と、なにごともなかったかのようにギルドの仕事をこなす。みんなそれなりにオトナで、昨日のことは昨日のこと、と割り切っている感じなのがありがたい。とはいえ、うやむやにして流すのは気持ち悪かったから、家出したろかと思いました、ってことだけは伝えた。


Day188
Youtubeのアカウントをつくってゲーム動画をアップしてみた(実況はつけず)。アカウントを開設してみると、なんだかひとつの人格が生まれたような感覚。わたしがこのキャラクターを操ってはいる以上、わたし自身と一心同体な部分はもちろんあるけど、別個の独立した人格、って感じもしてくる。いっそTwitterアカウントもつくったりしようかな。でもめんどいかなー。もうTwitterはいいかな……。


Day189 

某所へ2回目の「演劇クエスト」リサーチ。それこそTwitter経由でいただいた情報も咀嚼しながら、前回とは違うアプローチで、搦手(?)の方向から攻めてみる。歩き疲れた頃、ここなら大丈夫そう、なテラス席のあるレストランを見つけて、およそ7ヶ月ぶりの外食。日向に椅子を出してしばらく景色を楽しんだ。

こういう初期段階のリサーチでは、とにかくあてもなく歩き回ることが多い。まわりの人から見ると、え、何やってんの、って感じだろうし、過去には実際そう言われたこともあった。ただこの、あえて明確に目的を絞りきらないままそぞろに歩く、ってことが、「演劇クエスト」にはすごく大事な気がする。まあ、それしかできない、ってのもあるけど。もちろんそれなりに回数と年月を重ねてはきたから、こっちのほうに行けば面白そう〜、とかの直感的な経験則はあるし、超最低限の知識を仕入れたりはしているから、「あてもなく」と言い切るのは嘘かもしれない。

とにかく今日も、うーん自分たちこんなに歩いて何やってんだろう、と思いながら、最終的には作品には残らないかもしれない道をえんえん歩いた。こうして歩いていると、これまで訪れてきた世界じゅうの(アジアとヨーロッパだけだけど)あの道やこの道、そして、そこで出会った人たちのことが思い浮かんでくる。『Stay Home Labyrinth』をつくりながら思ったのは、この世界にあるすべての道はつながっているということ。たとえ海や、越えられない国境をはさんでいたとしても。

夜、黄金町に滞在しているラルフとネスが、インドネシアの人形劇団Papermoonのオンラインフェスに参加した映像作品を観た。素晴らしいコラボレーション。彼らの柔軟さというか、誰かとくっつきながら何かを生み出していくこの感じは何なんだろう?


Day190

フィリピンにいるマイカからみのりさんに連絡があって、彼女の家からの中継だったからファミリーにも簡単にご挨拶した。「筆談会」のメソッドを、彼女が参加するオンラインのレジデンシープログラムで使いたいとの相談。実は今までも何度か同じような打診はあった。「筆談会」は見た目シンプルだし、「自分もやってみたい!」と思わせる何かがあるみたいで。ただ、ドラマトゥルクとしてこの2、3年関わってきて思うのは、「筆談会」はワークやエクササイズのみに留まるものではなくて、アートプロジェクトまたは芸術作品としての要素も持っているということ。いろんな言語や文化環境でやってきた中で、みのりさんといろいろ相談や議論を重ねてこのプロジェクトをディベロップしてきたわけだけど、わたしが立ち入れない(尊重したほうがいい)領域があることを住吉山実里の「筆談会」には感じることがあって、そういう時、わたしはハンドリングをすることはせずに、彼女や場の力に委ねるという道を選んできた。それは彼女のこだわりがある、とかいうことではなく、どちらかというとむしろそのような個人の主義主張が溶けるような臨界点があって、それが見えた時、あるいはそこに触れることができた時に、わたしにとって「筆談会」はとても魅力的なものとして立ち現れてきた。

ただ、現場で感じてきたそういった感覚を他人に(第三者に)説明するのは簡単ではない。何回か経験していくときっとその人なりに腑に落ちる、またはその人なりの言葉で言語化できる瞬間があるのかもしれないけれども。だからそれを、横浜で一度だけ経験してくれたマイカに伝えるのはかなり難しい。ただ、マイカが「筆談会」のバックボーンを尊重してくれようと努めていることはとてもよく伝わってきたので、我々の見えない場所で良くない形で流出してしまうリスクは消えないけれども、この「筆談会」がひらかれるというか、より育っていくための良い機会だとポジティブに捉えたいと思った。


Day191 
例のオンラインゲームで大幅なアップデート。こういうイベントに立ち会う経験は初めてだから興味深い。予想してたよりもこれまで保たれていたバランスに大きく影響するアップデートで、ゲームの空気感やスピード感ががらっと変わった気さえする。世代交代も一気に進むかもしれない。いわばゲームのルールが途中で変わるようなものだけど、わたしみたいな無課金勢と違って何万円もつぎ込んでる人たちもたくさんいるわけだから、その人たちをそれなりに納得させつつ大胆にルール改変する、ってのはなかなかアクロバティックだよなあー。ゲームだからそんなこともある、っていうリテラシーが共有されてるんだろうか。現実世界でいえば革命みたいな。

もちろん「育成」も大事ではあるんだけど、こうやって仕組みやルールが変わるだけで、新しい世代やアイデアが台頭することもある、ってことを忘れないようにしたい。それはわたしのいちばん身近な人を見ていてもそうで、少し前からすると別人のようになっている。わたしは全然世の中の動向を追えてないと思うし今のところは積極的にそうするつもりもないけど、1年前とはすでにずいぶん景色が違っているはず。来年の春頃にはきっとさらに……。でもそれさえも近視眼的なタイムスパンかもしれない。こういう長い経験のあとで、わたし(たち)は再びどんなふうに出会うんだろうか。そして、どこで?(ち)

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