HSY Day116 モビリティ/コミュニティ
(以下は、Creators’ Cradle Circuitの7/25土曜日のトークイベントを聴いて、Facebookに書いた英文コメントの日本語訳です。)
ごく簡単なフィードバックです。
深い議論の準備はまだできていませんが😅、ひとまずトークセッションの最中/後でわたしに生じた印象を記録して共有したいと思います。
「モビリティ」と「コミュニティ」について興味深いトピックがいくつかありました。
○モビリティ
もう一度モビリティが得られることを望んでいますが(たぶん……)、仮にそうなったとしても「モビリティ」の意味は変化するかもしれません。わたしはアーティストとして、移動が困難な世界に備える必要があります。
ここ数年、一部のアーティストやプロデューサーはモビリティに関する特権を獲得してきました。ウィズコロナ/アフターコロナの時代において、我々はどのようにその財産(人間関係や経験)を使うことができるでしょうか? そしてどうやったら 「はじめまして🙂」と言える新しいプラットフォームをつくることができるのでしょうか?
わたしは、モビリティは戦争や政治的暴力、または差別と偏見に対する一種のレジスタンス/回避方法であると考えてきました。モビリティによって、人間は人質や盾になります。そして、久野さんがおっしゃったように、アーティストはどこかからどこかへと情報を運んでいく蜂のような存在でした。🐝
しかしモビリティが使えなくなったとしたら、戦略を変えなければなりません。
わたしは未来について楽観的に考えてはいません。けれどもこの状況下でビジョンを発展させることができると思っています。
○コミュニティ
ディスカッションでは、「コミュニティ」は2つの文脈で使われていました。
1)アートと地域のあいだ
2)アートワールドコミュニティ
わたしは(1)について言いたいことがたくさんありますが、今のところはこれだけを:わたしは忠誠心のないストレンジャーとして自分自身を保ちます。わたしにとってストレンジャーであることは、水や空気と同じくらい重要です。そのためわたしは、様々なローカルコミュニティでそうあるように心がけてきました。ええ、うまくいかないこともありますが、圧力や暴力なしで良い友だちができることもあります。
(2)は「連帯」の話でもあります。
カゲヤマさんは繰り返し「運動」と言いました。この言葉を彼が使ったことに興味があります。彼はどのようなイメージにもとづいてこの言葉を使ったのでしょうか? それはBlack Lives Matterのような社会運動を指すのでしょうか? それとも、彼があいちトリエンナーレの後に始めたドール・アップル・ジュース運動のような芸術的な運動を指すのでしょうか?
そして下駄さんは、彼のアートコレクティブにおけるアーティストの人間関係について興味深いトピックについて話していました。彼が言うように、人は簡単にはお互いを理解できないと思います。特にアーティストはそれぞれのビジョン、アイデア、想像力を持っているわけで、彼らがいったいどのようにしてお互いにつながることができるでしょうか?
2011年の日本での大地震の後、舞台芸術のプロデューサーは強力なネットワークをつくりあげたのかもしれません。それは日本の舞台芸術を改善するために重要です。が、TPAM 2020での公開ディスカッションで「そのネットワークは古くて強固すぎる」というようなことを発言した若いプロデューサーがいました(ごめんなさい、ニュアンスしか覚えていないので言葉は正確ではありません……)
これはその人の個人的な印象にすぎないのでしょうか? あるいはジェネレーションギャップのようなものが存在しているのでしょうか?
とにかく、ネットワークを形成する場合は、そこに特権や権力が生まれることに注意する必要があると思います。それは声の小さい人を簡単に排除することがあります。
ひとつの流れが強くなった時、そこで何が消えているかを確認する必要があります。
それはもしかしたらアーティストの役割かもしれません。
2011年の大地震の後、日本のアーティスト(プロデューサーではなく)は想像力を伸ばそうとしていたように見えましたが、わたしの観察では、アーティスト同士の強いネットワークはさほど生まれなかったように思います。おそらく彼/彼女はそれを被って、傷ついていたにもかかわらず(あるいはそこからインスピレーションを得て)、芸術作品をつくるための余白を心の中に持っていました。
このコロナ禍ではどうでしょうか?
アーティストたちは大きな経済的損害を被っています。したがって、これまでのところ金銭的補償の要求が大きいように見えます。もちろんそれは大事なことですが、わたしは、たとえ声が小さくても予想外のビジョンを持っているようなアーティストの声を聞きたいです。
もちろん、今の時代において、アーティストとプロデューサーを区別することはできないかもしれません。ひとりが2つの顔を持っていることもあります。 (岸本さんのように)
だから、こういう言説がアーティストとプロデューサーを分断する可能性があることに注意する必要があるでしょう。
そのような意図はわたしにはありません。
我々の役割は多様で変動的です。
わたしが言いたいのは、この複雑な世界状況において、我々が多様性を維持したままどのように連帯できるかということです。
そして、わたしはアーティストの新しい創造性と想像力に触れたいと思っています。ただし、それらが浮上するまでにはまだ時間が必要かもしれません。(ち)
【English】
(It’s feedback I wrote on Facebook, to a talk event of Creators’ Cradle Circuit)
Just a quick feedback.
I’ve not prepared for deep discussion yet😅, but first I would like to record and share the impression which occurred in my mind during/after the talk session.
There were some interesting topics about “mobility” and “community”.
- Mobility
I hope we get mobility again (maybe...), but even if so, “mobility” might change the meanings. As an artist, I have to prepare for a world as if mobility is quite difficult.
In these years some artists and producers got privileges about mobility. In the with-coronavirus / after-coronavirus era, how can we use the property (human-relationships and experiences)? How can we create new platforms where we can say “Nice to meet you🙂”
And I’ve thought that mobility was a kind of protest / avoidance way against war, political violence, or discrimination and prejudice. Through mobility, humans have become hostages and shields. And as Atsuko-san said, artists were like bees which bring informations from here to there.🐝
If we cannot use mobility any more, we have to change the strategy.
I don’t have optimistic vision about the future, but under this situation we can develop our visions.
- Community
During discussions, there were 2 contexts about “community”:
1) Between Art and Local
2) Art-world community
I have a lot of things to say about (1), but so far I just want to say : I keep myself as a stranger who has no loyalties. For me, being a stranger is really important as same as water and air. Therefore, I’ve been trying to do that with various local communities. Yes, sometimes I failed, but sometimes I got good friends without any pressures or violences.
About (2), I can say it’s about “solidarity”.
Kageyama-san repeated to say “運動 (movement?)”. I’m interested in this word. Under what image did he use this word? Is it a social movement like Black Lives Matter Movement? Or, like an artistic-relationship way like Dole-Apple-Juice Movement🧃 which he started last year after Aichi Triennale?
And Geta-san said an interesting topic about human relationship of artists in his art collective. Yes, we cannot understand each other easily. Especially each artist has each visions, ideas, imaginations, how can they connect with each other?
After the big earthquake in Japan, 2011, performing arts producers might have created strong networks, or, a network. It’s important to improve the performing arts in Japan, but I remember one young producer said in a public talk in TPAM 2020, said, “this network seems old and too strong” etc. (Sorry, I remember just the nuance...)
Is this just a personal impression? Otherwise, a generation gap?
Anyway, we have to take care about our privilege and power if we create any networks. It easily eliminates someone who has small voice.
When one flow becomes stronger, we need to see what disappeared there.
It may be an artist's role.
After the big earthquake 2011, Japanese artsts (not producers) seemed towards to develop their imaginations, but there were not so strong networks between artists, in my observation. Maybe because he/she had a room in the mind to create art works even though they suffered and injured (or inspired).
How about this covid-19 disaster?
So far, the artists are suffering great financial damages. Therefore, the demand for financial compensation is loud until now. Yes it’s important, however I want to hear the voice of artist who has small voice but unexpected visions.
Of course, nowadays, it’s difficult to distinguish an artist and a producer. Sometimes, one person has 2 faces. (like Kako-san)
Therefore, it should be aware that such discourse can separate artists and producers.
I have no such intention.
Our roles are diverse and variable.
What I want to say is : How can we solidify in the complex world situation, with keeping diversity?
And I really want to touch with artist's new creativities and imaginations. However, it may need more time before they emerge. (C)
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