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藤原ちからの欧州滞在記2024 Day 29

土曜日。ゆっくり目覚めると、広場から歓声。何か起きているぞ……ベランダから覗くと、アフリカ風の衣装で着飾った人たちが集結している。手持ちの衣装に身を包んで、わたしたちも参加してみることに。後で訊いて調べたところによると、Baye Fallというセネガル系ムスリムの行進だったらしい。最初はよくわからないまま、楽しいその音楽とダンスの行進に混ぜてもらって、そのままついていく。行進は、橋を渡り、旧市街の広場まで続く。何人かが交通整理役を引き受けていて、通行人の老夫婦が安全に通れるように配慮するなど、紳士的な行為が何度か目につく。踊り終わって、ふー、と一息ついていると、参加者のひとりが話しかけてくれて、この後La Terminal Zorrozaurreという場所でご飯を食べたりするから、よかったら来てね、とのこと。Zorrozaurre(ソロサウレ)というのはネルビオン川に浮かぶ中洲で、去年訪れた時は再開発直前の更地というような状態だった。
 
旧市街の路上で、アスレティック・ビルバオのタオルマフラーを10ユーロで購入。黒人系の露天商たちは複数人で行動しており、警察の取り締まりがあると速やかに布鞄に商品を放り込んで店じまいをし、またほとぼりが冷めたら再開しているようだ。おまけしてもらえないかな、と交渉してみたけどまったくダメで、どの露天商でも相場が同じだから、彼らの中でのルールがあるのかもしれない。
 
小雨が降る中、川沿いをスタジアム方面へと出発。雨が強くなってくる。橋の下で雨宿りしている観光客の集団から、君たち、傘3つ持ってるね、ひとつくらい貸してくれてもいいんだぜ、と冗談ぽく言われたので、ひとつだけ貸すにしてはあなたたちは人数が多すぎるから意味なさそうですね、と笑って返す。彼らはオランダから3日間の日程でビルバオ観光に来ているそうだ。良い滞在を、と挨拶して別れ、グッゲンハイム美術館を抜けた先の公園のカフェで、雨宿り。


アスレティック・ビルバオのユニフォームを着たおじさんたちに、スタジアムには何時に入れますかね、と訊くと、おおー君も行くのか、試合開始が21時だから、20時には入れるね、でも19時はどうだかわからないな、とのこと。ふーむ。雨がやんで実際スタジアムに近づいてみると、人々が三々五々集まりつつある。歩いている小学生くらいの子供2人組に、サン・マメスはこっちの方向だよね?と訊いてみると、そうだよ、あんたも行くの?と英語で返してくれる。良い試合になるといいね。スタジアムに着いてみると、なるほど、その周辺にはたくさんのバルがあって、観衆たちはそこでビールなど飲みながら時間をつぶしている。スタジアム内に入れないわけじゃなさそうなので、19時半頃に中に入ってみると、わたしたち以外にはほとんど誰も観衆がいない。早すぎたかな……。係員の人がずいぶん陽気に、あなたたちの席はここですよ!そこじゃない、ここ、ここよー!と親切に(?)教えてくれる。実は3人並んでの席はもう買えなかったので、2人並んでの席と、少し離れたところにもう1席を確保している。誰かに代わってもらえないかな……しかし年間チケットを買っている人たちも多いみたいで、彼らは周りのなじみの客と一緒に観戦したい気持ちもあり、ちょっと難しそう……。最後のお願いかなと思って、隣の席の父娘に、「¿Puedes cambiar el asiento por mi familia?(わたしの家族のために席を交換してもらえませんか?)」と翻訳機を見せて、「Difícil?(難しい?)」と訊いてみたけどやはりdificil……とのことで断念することに。ところが、たぶんその娘が、お父さん、代わってあげてもいいんじゃない、と助言してくれたみたいで、あんたたちの席はどこだい?と訊かれ、すぐそこです!と言うと、いいよ、代わろう、と移動してくれた。うわー、muchas gracias!

試合は、イージーな2失点を喫した後、アディショナルタイムの土壇場で追いつくというなかなか熱い展開に。45,000人の観衆が入ったこの試合で、対戦相手のオサスナのサポーターたちは南南東の2階席の一角にわずかにあてがわれたエリアにいるだけで、あとはすべてビルバオのサポーターのようだ。完全アウェイの環境下で、オサスナの選手たちが時間稼ぎをしたりちょっと悪どいプレーをしたりするのはまあわからなくもない。むしろこの大ブーイングを浴びるのは気持ちいいかもな……。
 
スタジアムからサン・フランシスコ地区までは歩いても30分かからない。つまり、ビルバオ市内にさえ住んでいれば、たぶんどこにいてもスタジアムまで歩いて行くことができるのだ。それはこの地にサッカー文化が根付く上で大きな要因になっていると思う。一方で、45,000人の観衆のうち、わたしが見たかぎりでは黒人系の観衆はひとりもいなかった。
 
すぐには眠れそうにないので、近所のバルに寄ってみる。そこでひとつ大きな事件があったけど、雨降って地固まることになればいいな……と願い、そしてたぶんこの夜のうちに良い方向が見えたように思う。5年後くらいに笑って話せる日が来てくれるような気がする。




バルでは、さっきのスタジアムにはいなかった黒人系のおにいさんたちと一緒に踊る。この店に来るのは2回目だけど、お店の人はわたしたちのことを覚えてくれていて、ところであんたってどこから来たの、日本? 実はわたしの息子には日本の天皇の名前をつけているのよ、と予想外の事実を知る。娘がオタクで、この夏に日本に行きたいって言ってるの、へー、もし来れたら横浜にもぜひ、と連絡先を交換。円安の今は日本に行くチャンスですよ、と今回ヨーロッパに来て何度目かのセリフをまた口にしてしまう。とにかくあっちで会えたら嬉しいな。


仲良くなったふたり組のお客に誘われて、もう一軒、すぐ隣のバーへとハシゴ。場末感、という言い方は失礼かもしれないけど、深夜1時過ぎという時間帯のせいもあってか、まさに世界の場末だと思えるような雰囲気が醸し出されている。今夜のわたしには、その雰囲気が、優しく身に染みるものに思える。窓際の席に座る彼女はもうすでにかなり酔い潰れていて、店内にかかる曲を口ずさみながら嗚咽している。その肩を実里さんがそっと抱き寄せる。彼らはアメリカから来たとさっき言っていたけれど、ラテンアメリカという意味なのかもしれない。このエリアにはいろんな人たちが流れ着いている。来た、というより、流れ着いた、という言葉のほうがふさわしいのかもしれないな……と、泣いている彼女の肩に手を触れながら思う。サンフランシスコ地区の夜が更けていく。それぞれの人に、それぞれの夜が訪れているはずだ。人の数だけ夜がある。部屋に戻って3人で大切な話をつらつらとして、わたしたちの夜が過ぎていく。眠りについたのは朝の6時を過ぎていた。


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