見出し画像

藤原ちからの欧州滞在記2024 Day 59

月曜日。朝食会場で声をかけてくれたクリメネはキプロスにルーツがあって、実はキプロスに去年と今年行ってたんですよ……という話などする。昨日のディナーでの会話もそうだけど、やっぱり実際にいろんな場所に行ってその土地の歴史や地政学的状況を多少なりとも知っているのは大事だなと思う。相手から引き出せる情報の質もずいぶん変わってくる。

朝のセッションはワークショップスタイル。カルラとクレアによるファシリテーションは非常によく計画されていて、国際協働においてどんなprincipleが必要かというのが今日のテーマ。まずは1対1での会話を、目が合ったクレメンティーンと、そしてマレーシア在住のジャーナリスト、カラシュと。その後は3つのグループに分かれてディスカッションし、最後はグループごとに3つのキーワードを抽出する流れ。少なくともみな、英語の覇権とか、それが植民地の歴史や経済状況によってもたらされたこととか、その格差によって生じているパワーバランスについてコンシャスであることがわかった。

ただわたしたちのグループのキーワードのひとつがsolidarityになって、たぶんみんなそれを無条件で良い言葉だと思っているせいか議論をする間もなくするりと採用されてしまったけど、やっぱりわたしはどうしてもその言葉に違和感というか抵抗があって、それをここでキーワードとして採用することには同意してもいいけど言っておきたいことがある……とグループの人たちに言って、せっかくだからそれも全体にシェアしたら?とレイに促されて発表でも喋ったけど、喋りながらちょっとだけ泣いてしまった。やっぱりわたしの中ではどうにも許せない怒りがこの言葉に対して蓄積しているのだと思うし、それはちょうどほぼ5年経った今も解消されていないようだった。どういうことか、ということは今ここには書かない。たぶんあと少なくとも5年くらいして世界の潮流が多少なりとも変化しないと理解されないだろう(でもその時はいつか訪れるだろう)。ラボのみんなにもこの複雑な感情が伝わりきったとは思えないけど、とりあえずこのことで深く傷ついている人間がいるということだけでも伝わっていてほしい。


ランチタイムでのブリジット、クリストフ、レイ、イェレーナとの会話では、なぜかロボットや怪物についての示唆を得る。こういうちょっとした雑談から作品の種が生まれそうな予感もする。支払いは各自カードで済ませる。これはちょっとした問題でもあった。というのも我々はユーロこそ持っていてもチェコ・コルナはほとんどのラボメンバーが持っていなくて、現金を下ろすべきかどうか悩んでいるのだった。現金なしでどこまでいけるだろうか……。

午後はプラハ舞台芸術アカデミー(DISK Theater)とスメタナ・ホールを見学。どちらも案内人の人たちの情熱を感じるし、ラボのメンバーの終わりなき質問もやばい。毎回、運営のアントニンが、そろそろ時間なので最後の質問に……と区切らないとエンドレスに続きそうな感じだ。舞台芸術アカデミーのほうはやや保守的なドラマ部門と実験演劇の部門とがあって、倉庫や稽古場の確保や、最新技術の導入などにかんして問題を抱えているとのことだった。スメタナ・ホールではオーケストラのリハーサルをちょこっと見学することができて、リハーサルとはいえ感動……。Youtubeというエンターテインメントに対抗するために、若者や子供たちに気軽に来てもらえるような体験を提供している、という話が印象的。スターウォーズのテーマ(ジョン・ウィリアムズ)の演奏時には、コスプレをした人たちが押し寄せるらしい。

それはさておき、20人近い人数で歩いてこれらの会場を移動するのは簡単ではなく、見失いそうになる中で、クリスティーナが彼女の赤い帽子を目印に掲げてくれたのは助かった。ラトビアのリガに拠点を置く彼女は去年から各地で帽子を買うことを始めたみたいで、チェコでも絶対買って帰る、と言っている。南アフリカにも行ったことがあるらしく、ブダペストの国際交流基金に勤めているアヤカさんも混ざって、計画停電のこととか、衣装デザインのこととか話す。


いったんホテルで小休憩のあと、チェコ外務省ツェルニン宮殿庭園で「チェコセンター所長との懇親会」にラボメンバーで参加。宮殿庭園やばい……。プラハの建物は、荘厳というよりもちょっと可愛さのようなものがあって、気圧される感じがないのが不思議。この例はもしかしたら不謹慎かもしれないけど、かつてこの地において「人間の顔をした社会主義」というスローガンが生まれたのもむべなるかな、と感じる。荘厳になりきらない、誰かの手が入った気配をどことなく感じて、安心するというか。それにしてもさすがビュッフェの料理の質はめちゃめちゃ高くて、メインディッシュもデザートも何を食べても美味しい……。さらにプルゼニ(Plzen)産だという生ビールも提供される。もちろんすべて無料。生ビールサーバーのおっちゃんは、ノンアルコールと、ノンアルコールフリーとどっちを飲むか、と訊いてくるので、ノンアルコールフリーのほうを選ぶ。そんな冗談を言い合ったせいか彼はわたしの顔を覚えてくれて、わたしがその場所に近づくだけでビールが注がれて提供されるまでになってしまった。というか、アフリカンな衣装を着ていったせいで目立ったのかもしれず、知らない人たちから声をかけられて一緒に写真を撮ってほしいと頼まれたりした。その3人組の女性のうち、ふたりはプラハ在住だけど、ひとりは複雑だ、と言っていて、ブリュッセルとニューヨークとプラハに家がある、もしくは家がない、とのことだった。それ以上の詮索はしないほうが無難に思えた。ラボのメンバーもそれなりに酔いが回って陽気になっていた。アントニンは、運営側の人間、という殻を脱ぎ捨てて、ひとりのアーティストになっていた。そのアントニンと、インドから来てプラハに住んでいるニティシュと、庭園の噴水の脇に腰掛けて、作品についての話をする。夕暮れが迫ってくる。イェレーナがどこかで拾った薔薇の花をくれて、それを持って何人かと一緒にトラムに乗る。ヨーロッパのやや東のほうで開催されているこのラボには、いろんな人生を生きてきた人たちが参加していて、現在の地政学的な状況もまた、わたしたちの思考や生活に影響を及ぼしている。部屋に戻ってから、昨日の欧州議会選挙では、ドイツやオーストリアやフランスで、極右勢力が議席を伸ばしたらしい、というニュース記事を読む。それは断片的な情報でしかなく、全体の状況から切り取られた一部でしかないのかもしれない。さっきもらった薔薇の花を見る。美しいけど、こうやって切り取られてしまえば、明日には枯れてしまうだろう。


近所のサリサリみたいな店で、ついに本物のBudweiser(ブドヴァイゼル)の缶ビールを見つける。アメリカのそれと同じ名前だけどまったくの別物で、チェスケー・ブジェヨヴィツェ(České Budějovice / Budweis)で作られているのだ。店員はアジア系の顔立ちで、カードが使えないと言うので諦めようとしたら、ユーロでいいと言う。ユーロで払う。プラハに来てから、チェコ・コルナ紙幣もコインもまだ見ていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?