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おらの夢

おらには夢があった。
それは"女優"になるという夢だ。
小学5年生の頃、初めてドラマを観た。その時に直感で、「あっち(芸能界)行きてえ」と思ったことがきっかけだ。

その頃から、「おらは絶対女優になる!」が口癖になるくらい周りの人に夢を言うようになる。なんなら初対面のひとに「おら女優になるんでよろしく」なんて言ってたな〜

ちなみにこの頃はまだ、自分のことを"おら"呼びではない。たぶん"うち"って言ってた。中学生の頃、なんかいい呼び方ないかな〜って色々試した。で、高校生の時に、"おら"呼びが定着した。

あ、話がずれかけました、、。
で、"女優の夢"の話ですね。
これがだんだんわからなくなってくるんです。
おらの人生には性別という固定概念がまとわりついている。

中学生の頃、おらの人生でわりとでかい出来事が起こります。
中一の夏だったかな。女の子に告白された。女の子っていっても男の子なんだけど。簡単にいうと性同一性障害。心と体が一致してないんだ。

で、まあ付き合うわけですよ。
そこでなんとおらが目覚めるんですわ。おらがその子同様、"男になりたい"って。恋愛対象は女の子に。

そこからもうなんとも嘘ばかりの世界になった。

今尚、LGBTってものが浸透してきてるから生きやすくなったとは思う。
あ、LGBTってのは性的マイノリティって意味でL(レズビアン)、G(ゲイ)、B(バイセクシャル)、T(トランスジェンダー)の総称。他にももっとめちゃくちゃ種類ある。
そもそも、おらはLGBTってくくりも好きじゃないし意味わからんと思っている。まあそんな話は置いといて、、

おらが中学生の頃は、LGBTはいけないことだった。だから基本的に誰にも言えなかった。一応、部活の人たちは知っていたけど、おらと同じ気持ちを抱いている人はいないから、相談もする気になれなかった。

そもそも自分が何者なのかわからなかった。
今の時代ならみんなスマホを持ってるからネット検索ができるけど、おらの時はスマホなんぞまだ浸透してないし携帯持ってる方が珍しかった。

だからおらは、家にあった共用パソコンでコソコソ調べたりしてた。もちろん履歴はちゃんと消す。恋人との連絡は親のガラケーを借りてメールしてた。それもちゃんと読んだら全部削除。

最初はレズビアンだと思った。でもやっぱりバイセクシャルかと思った。いや性同一性障害なのかとも思った。もうわけがわからなかったし、この感情は誰にも言えないとなぜか確信した。

学校ではおらがレズという噂が立ち始めた。だけど、絶対言わなかった。「違うよ〜〇〇くんが好き」って。男の子のことは、カッコいいとは思うけど恋愛の好きではなかった。きっと"憧れ"だった。

特に中学2年生くらいかな男になりたくてたまらなかった。けど、誰にも言えなくて。ひたすらに自分のなかでなかで押さえ込みながら生きた。立ってトイレで用を足すこともあった。

どんどん大きくなっていく胸が嫌だった。親に内緒でナベシャツを買い、胸を潰すこともあった。ナベシャツとは、胸を潰して平に見せることができるシャツ。

恋人の前では"俺"が一人称だった。スカートを履くのが苦痛だった。自分の体が嫌だった。嫌で嫌で仕方なかった。でもどうすることもできなくて、ただひたすらに毎日毎日、自分と葛藤しながら友達、家族に嘘をつき続けた。

当時付き合っていた恋人は一つ年上だったので、彼女が卒業すると同時に別れた。
「もうやめよう、ちゃんと普通の女の子に戻ろう」と自分の中でそう決意した。それから高校3年間、髪を伸ばして恋バナして、偽りの自分を演じた。

高校卒業間近、そんな偽りの自分に限界が訪れた。もう無理だった。しんどかった。"女の子"として生きてる自分が嫌だった。もう全部吐き出したくなったのだ。

まずは幼馴染を呼び出して「おら、男になる」って。それから保健の先生。高校で仲良かった友達。で、大トリ母親。めちゃくちゃに緊張した。でも言わないと前には進めなくて。

「おら、男になりたいんだ」
「ええ、そっち系なの?!」と驚いた様子だった。おら的には母親はうすうす感づいていると思ってたから意外だった。
「でもまだ手術とかはやめておきなね」と母。特に否定されることもなく受け入れてくれたことが奇跡だった。あの時、否定されたら今のおらは存在しないと思う。これでおらの気持ちは少し軽くなった。でも父親には言えなかったんだ。

高校卒業したら全力オープンでいこうと決意。
大学入学式、スーツはメンズが良かった。だけど、父親に猛反対されなくなくレディーススーツ。

大学生になり、ことあるごとに"おらは女の子が好き"と。ありがたいことに皆わりと受け入れてくれた。恋人もできた。だけど、周りを気にすることが増えた。

恋人ができることでより一層、"男になりたい"という気持ちが高まる。この上ない虚しさがおらを襲う。恋人を好きになれば好きになる程、自分に対しての嫌悪感が強まっていく。

ホテルを男性として予約することもあった。男性用のトイレに入ることもあった。レディース服が買えなくなった。

周りの目が怖かった。どっち(性別)に見えているんだろう。でも女だという事実に嘘はないし、おら自身もそれはわかっていた。隣を歩く彼女に対しても申し訳なさが半端なかった。

もちろん彼女といる時間は幸せだった。でも、将来のことを考えると幸せになれなかった。普通の男のひとと付き合った方が彼女は幸せなんだと。
恋人は皆、家族や友達におらと付き合っている事実を言えなかった。つまり嘘をついて生きている。もし言ったとして、彼女がlgbtとして、なんて言ったらいいかわからんが"そういう目"で見られることが嫌だった。わがままかもしれないけど、そうさせてしまっていることが嫌で嫌で仕方なかった。でもどうすることもできなくて。

今、この瞬間が幸せだとしても、これからのことを考えると幸せにできないがずっとあって。好きな想い、幸せにしたいという想い、けれど乗り越えなきゃいけない壁がたくさん邪魔をしてわけがわかんなくなる。そして、いつも気づけば自分から身を引いていた。でも、今までの恋人、全員ちゃんと好きだったしむしろ今も好きだ。幸せになってくれって思ってる。こんなに自分勝手すぎて傷つけて。毎回、もう恋なんてしたくないとひたすらに思うのに恋をしてしまうのは本当に不思議な点。

そもそもおらは自分自身に自信が持てなかったんだ。いや、今も正直言ったら自信はない。
こんなにも"男になりたい"と思うのに"男としていきる覚悟"ができなかった。そんなになりたいなら手術をして性転換をすればいいじゃないか。

こんなことを言ったら最高にわがままなのかも知れないけど、"本物"にはなれないのが嫌だった。結局、偽物でしかなくて。簡単に言うならば、男体が欲しい。女として生まれてきた以上、永遠に男にはなれない。身体に対しての嫌悪感はきっとなくならない。

恋人にも一応聞く。もし男性ホルモン打ち始めてたらどうするかって。男性ホルモンを打ち始めたら、骨格も見た目も声も変わる。髭も生えてきて筋肉も増える。皆、揃って"今のおら"がいいと言う。

正直、おらはどうしたらいいのかわからないし、今なお、わからないんだ。笑

そんなかんやで大学生までのおらはこんな感じ。
こんなことを思っていたら"女優"という夢に対して違和感がでてくる。自分は女なのかと。

ずっと女優の夢を掲げてきたおら。高校卒業後、「そんなになりたいなら劇団に入ってもいいよ」と両親。でもこの頃のおらはどうしていいかわからなかった。

中学生の頃から、ちょくちょく自ら進んで芸能のオーディションを受けるようになる。中には選ばれることもあった。だけど"性別"が邪魔をして謎の葛藤に襲われ、断り、前に進むことから逃げてきた。

おらは夢から逃げた。

そんな時、建築デザインを題材にしたドラマがやっていた。"ああ建築かっけえじゃん"と。ただそれだけで道を変え大学を志願。まあ受かるはずもなかろう国立の芸大を受け撃沈。正直もうどこでも良かった。

おらの実家は栃木。田園風景の広がる田舎だ。やっぱり東京という場所に憧れを抱いた。場所は東京。文系でいける建築系ならどこでもいい。テキトーに大学を受け入学。そりゃそんな気持ちで入った大学に楽しさを見い出せるわけもなく。3年生になる前に中退した。

大学生になってからも"芸能界"の夢にまだ未練がたらたらだった。女優じゃなくてもいいんじゃないか。自分そのまんまを出せばいいんじゃないか。と思い、またオーディションを受け始める。

ある事務所のオーディション。おらは初めてオーディションで自分について話した。そしたら合格した。嬉しかった。自分という存在が認められた気がした。

レッスン代は自分で払うからと事務所のレッスンに通うようになる。レッスンは、「演技」「歌唱」「モデル」の3つ。まあ普通なんだが、レッスンは男性と女性で分かれていた。正直、おらは"女だし仕方ない"という割り切りでレッスンに通った。

まず「モデル」レッスン。
これが地獄だった。"女らしさ"というものを全面に出すからだ。

おらは小さい時から"猫背"だ。それには理由がある。何度も父親から治せと言われけどおらには無理だった。姿勢を正すと胸が目立つ。胸を張るということは女である象徴みたいなものだった。猫背でいることで若干だけど胸を小さくみせることができる。本音を言うならば胸を張って堂々と歩きたいけど、正直今でもそれはできない。

モデルレッスンはヒールを履き、姿勢を正し、女性の体のラインを全面に出す。苦痛だった。それ以来、モデルレッスンに行くことはなかった。

「歌唱」レッスン。
唯一、楽しめたかもしれない。小さい頃から歌うことが好きだった。歌うことで自分のストレスを解放できる気がしてた。でも、この時は高音の出る自分の声が嫌だった。今は、ある意味、最高じゃねって思えるようになったけど。一時期本当に嫌で、高音を出す歌は歌わなくなったときもあった。

「演技」レッスン。
そもそも当たり前だけど、役が全部、女性だった。当時、大学で演劇部に入部していた。ここが本当におらを受け入れてくれて、男性役をやらせてもらっていた。もちろん、自分らしさを全面に出せるのは男性役。

だから女性役に対しての違和感と嫌悪感がだんだんと増していった。ある日、声をあげてみた。おらは「女性役をやりたくない」と。すると、先生が言った。「申し訳ないけど君は女顔だよ。女を武器にすればいいじゃないか」。おらは悔しかった。自分自身わかっていても言われるとグサグサと心にくるものがある。

「そんなに嫌なら男性クラスいくか」と先生。わがままだけどそれも嫌だった。自分が男じゃないことくらいわかってるし男性達のなかでやっていける自信もなかった。声はあげたはいいけど、結局ごちゃごちゃした感情に襲われ、涙が溢れた。

同じレッスンに通っていた女のひとが口を開いた。今でもその人の名前も顔も覚えている。
「私たち健常者には、障害者の気持ちはわからない」
そう言われた瞬間、おらは痛感した。「ああそっかおらは障害者なんだ」もう何も言えなかった。それ以来、レッスンに行くことはなかった。"やっと自分という存在を受け入れてもらえた"なんて浮かれた自分が馬鹿馬鹿しかった。きっと誰もおらの気持ちはわかってくれないんだと実感した。

それ以来、自分の存在意義が全くわからなくなった。夢というものもわからなくなった。なぜここに存在しているのか。考えても答えなどないくらい闇の中で死にたくても死ねないなんとも言えない日常を過ごした。

その後、大学も辞めた。親からも離れたくて、反対を強引に押し切り、東京で一人暮らしを始めた。唯一、居場所だったのはアルバイトをしてたラーメン屋だけだった。

1人暮らしを始めたら自由になると思った。だけど夢もないやりたいこともなくなったおらに自由がなんだかわからなかった。仕事は大好きだったんだけど、ただひたすらに働いて変わらない日常に嫌気がさし始めた。

なんもなかったおらは"なんもないところ"に行きたくなった。大自然を凄くすごく欲していた。なんもないとこに行って全部忘れたかった。リセットしたかった。

そんな時、スマホで検索をかけた。それが"無人島"だった。無人島で検索をかけると、"無人島プロジェクト"いうものが目についた。2泊3日で全国から知らん人が集まって生きるを学ぶサバイバルな企画。なぜだかおらはこれだと思い、速攻で応募した。

ついに無人島プロジェクトの日がやって来た。ドキドキしつつワクワクしていた。こんな感情が久しぶりで新鮮だった。集合場所に着くと「こんにちは」と優しくて元気な声でスタッフらしきひとが挨拶をしてくれた。

おらはこの瞬間、忘れかけていたものを思い出した。それは"あったかさ"。おらは小中高の頃、通学途中、すれ違う知らない爺婆と毎朝挨拶を交わしていた。

特に記憶に残っているのは、中学生の頃。毎朝、土手で犬の散歩をしている老夫婦がいた。その夫婦はいつも優しく挨拶をしてくれた。毎日毎日、自分自身と葛藤していたおらにとって"ああ生きてて良かった"と思えるほど幸せな瞬間だった。また会う機会があったらお礼を言いたいな〜。

"ああこうゆうのが好きだったんだ"とその時、実感した。無人島までは船で行くんだけど、港まではタクシーに乗る。その時に、たまたまスタッフのひとと一緒で。「来年、スタッフやりたいです」とまだ無人島に行っていないのに口にしていた。
で、ちゃんと翌年、スタッフになりました。

初めて知らない人たちと過ごした無人島は最高だった。なんて言葉にしたらいいのかわからないけど愛で溢れてた。自分が女だということを忘れさせてくれるような気がした。おらをおらとして見てくれている空間だった。

ちょうどその頃、おらの同級生たちは就活を始め将来について考える時期だった。ある時、高校の部活の仲間とオンラインで話す機会があった。みんなはどうなりたいとか将来のビジョンを話す。だけど、おらの話は聞いてくれなかった。自分の生き方、存在を否定されてる気がした。

でも無人島で出会ったひとたちは違った。おらをすごいと褒めてくれたり生き方を肯定してくれた。これでいいんだと思えたんだ。

無人島は大大自然すぎるから自分が全面的に解放された気がした。それから無人島プロジェクトにどっぷりハマることになる。

翌年、無人島プロジェクトを通して、無人島6島くらい行った。出会う人出会う人、みんな素敵でおらの見えてる世界が広がり始めた。でも何がやりたいかは定かではなかった。

無人島にはもちろん何もない。
何もないとこから何かを作りたいという気持ちが押し寄せて来た。そう思った時に近くにあったのが"農業"だった。

おらの実家は兼業農家で米や野菜を作ってる。だけどそもそも、全く農業なんか興味がなかったからこうも考えが変わることに驚いている。"農業をやってみたい"と思ったけど、実家に帰る気にはなれなかった。

そもそもおらは、勝手に実家と距離を置いていた。まあ簡単に言えば迷惑をかけたくなかったからだ。おらの性別がこんなんだから、それが地元で広がってああだこうだ家族に被害が加わるのが嫌だった。これがでかいけどまあ他にもいろいろあってね。縁を切ってくれと親に言ったこともある。地元に帰ったときも、実家には帰らず、友達の家に泊まらせてもらっていた。

じゃあ実家に帰らないならどうするか。
無人島の影響もあり島好きになってたおらは「島で農業したい」と思った。

当時、働いていたラーメン屋の仕事もだいぶコンプリートして、将来ラーメン屋になるつもりもなかったので辞めることを決意。偶然にも、ちょうど借りてた家の更新年だったので家を捨てることも決意。

もう全部捨てて飛んじゃおと一大決心。直感で選んだ沖永良部島へ。花の栽培を約半年。

だけどここでまた性別問題がやってくる。

島の年齢層は高く、爺婆が多かった。おらはいつからだか、自分が好きなのは女の子だと自分から進んで言うようになっていた。あとからいちいち言うのはめんどくさいし、最初に言っといた方が楽だと思って。逆におらが最初からオープンだったら誰かしら、心開いてくれるんじゃないかと思ってた。でもわりとそうでもなかった。

爺ちゃんたちはなかなか理解してくれなかった。新しい地に足を踏み入れる時、毎回不安がある。やっぱり性別の面でおらは受け入れてもらえるのかと。だから多少なりそれほどのメンタルは持ち合わせているつもりだったし。毎回、言われること聞かれることは似てるから慣れなのか流したり対応できるようになった。

ある日、爺ちゃんたちと呑んでいたとき。
ある爺ちゃんが恋愛について聞いてくる。この人は酔うといつも聞いてくる。
いつものように"おらは女が好きなんだ"と言う。でも全然わかってくれない。
「お前は男を知らない。どうせ男と結婚するんだから」と。おらにとったら屈辱でしかなかった。したくてそうなってるわけじゃない。なれるもんならなりてえんだよ男に。今まで押し殺して来た感情が暴れ出した。

久しぶりに性別という壁を痛感した。うまくいかない世界にうんざりした。どうして男じゃないんだよと気づけば2時間ひたすら泣いた。泣いても答えなんてないのはわかってるけど溜まっていたものが溢れ出したんだ。

働く職場にはベトナム人もいた。外国の方が性的マイノリティに対してはフレンドリーなイメージだ。仕事もやっぱり男性と女性に分かれる。なんなんだろうね本当性別というものは、、。
ある日、ベトナム人の女の子に「仲良くしよーぜ!」といつものノリでおらは言った。
すると、「私、女の子好きじゃないから無理ね」って言われた。ただ普通に仲良くしたかっただけなのになんでこうなってしまうんだろうか。

気づけば"自分らしさ"というものを見失っていた。自分の嫌いな自分にどんどんなっていくのがわかった。それでまたそんな現実から逃げるのだ。

今年の7月、静岡の南伊豆町に飛んだ。やっと自分が解放された気がした。おらのことも受け入れてくれて自分らしさを取り戻した。

8月、山梨に行った。ここでおらの人生に大影響を与える人物に会う。その人は、ときめきに溢れていた。おらはずっと"ときめき"が欲しかった。なぜ子供の頃は見るもの全てにワクワクしていたのに、大人になると毎日が当たり前に感じてしまうんだろうかってずっとおらは思っていた。その人に出会ってからなぜだろうか、世界の見え方、感じ方が変わって来たんだ。

性別に対してもなんかもうなんでも良くなって来た。別に聞かれたら言えばいいし、聞かれなかったらただそのまま過ごせばいい。このまんまのおらでいいんじゃないかって。女としてのおらじゃなくて1人の人間としておらを見てほしい。おらはおらであって他の誰でもない。おらはおらなんだってね。

そっからも奈良に行ったりなんだかんだで生きている。旅をしながら農業をしながら、人がどう支えあって生きているのか、自然とどう共存しているのか、田舎にはあったかさがあるけどそれがどこから来ているのかなぜあるのか。んなような事を考える。

ひとのあったかさは世界を救うんじゃないか。

おらには忘れられない言葉がある。中学生の頃の立志式に母からもらった手紙に書いてあった言葉。「人生は魂の修行場」ずっとこの言葉が頭にある。ただひたすらにに生きればいいんじゃないかと思わせてくる。

おらの名前は"ノアの方舟"から来ている。
だからなのかな、誰かの救世主になりたいってずっと思っている。
誰かが辛い時、苦しい時、救ってあげれるひとになりたい。ただ誰かと話がしたい、誰かと一緒にいたい、死にたい、なぜ生きているのかわからない。なんでもいい。なんでもいいから気づいたらここに来ちゃったってゆう場所、空間をつくりたい。それが"あったか村"。ただ誰かに笑って欲しい、一瞬でもいいから幸せだって感じて欲しい、生きててよかった、居心地良すぎて帰りたくない
、現実逃避ができる場所を提供したい。みんなの幸せを運ぶねってね(方舟だけに)。

性別、人種、肩書き、年齢、病気などなど全部忘れて楽しめる場所。イベント。
ここにくれば"あったかい"がある場所。なんだろうな優しい世界をちいさいながらもつくりたい。誰しもみんな優しい心を持ってると思うんだ。そんな心を一瞬でも引き出したいし、忘れかけてた子供心も躍らせたい。
おらの人生に関わってくれた人となにかを作り上げたくて色々考えている。ただ、みんなに笑ってほしいし、幸せになってほしい。ちょっとずつかもしれないけど不器用ながらおらは、そこにいる誰かを笑顔にしたい。おらに出会ってくれた人たちと共にお金じゃ手に入らない愛で溢れた居場所、空間をつくりたい。それが今のおらの夢!言葉じゃうまく言い表せなかったけど、やっと久しぶりに夢ができた。

夢があるのに今はいつ死んでもいいと思っている。それが運命だと思うから。だから今この瞬間を全力で生きたいんだ。こんなギリギリだけど生きている自分を誇りに思う。この先なにが起こるかわからんけど、でも、わがまま言うならおらも幸せになりたい。

なにが言いたいのかよくわからない文になってしまいましたすんません。とりあえずみんな出会ってくれてありがどうー!

こんな長い文読んでくれてありがとうございました!


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