啓蟄の青金石

毎年、啓蟄を迎える時期に、必ず読むことにしている作品がある。
山尾悠子『ラピスラズリ』の巻末に置かれた、「青金石」という短編。
この作品は、いくつかの連作を締めくくる、エピローグ的なものなのだが、私はこの「青金石」が、ことによると山尾悠子作品の中でも1、2を争うくらい好きである。

視界にほのめく青。梁を濾して頭上から落ちかかるひかりの筋が数を増し、色に染まり、気づくとそれは青い宝石の色の滝となって聖所の闇を満たしつつありました。驚くよりも、ただその不思議に眼を奪われたのでした。塵芥に埋もれた朽ちた十字架の突端をひそやかに照らし、草萌えの廃墟にあって冴え冴えと我のみ青く、それは天上の青、いたって貴重な顔料である青金石(ラピスラズリ)の青でした。

引用したのは、「その名をビザンチンよりもはるか東方では啓蟄と呼び、西では復活と呼ぶ」、「六枚の翼」を持つ天使が、野原に打ち捨てられた小さな礼拝堂の廃墟の尖塔に降臨する際に放つ光の描写で、ここを春先に読まないと、冬が終わった気がしない。

逆にいうと、これを読んだら、私の体感としては、もはや「春」なのだ。
ゆえに、私はこの『ラピスラズリ』を、年に1度、啓蟄の時期にしか開かない。

貴重な春の光、1年に1度しか見ることのできない、美しい青い光。
たった10ページ足らずの作品だが、読了後の満足感は、長篇読了後のそれにおさおさ劣ることはない。

満足を得るために、あえて読むことを差し控えている作品は、本作くらいだ。
この作品を読むときはいつも、書かれたものを理解するというより、宝石の輝きを眺めるのに近い感覚になる。

北原白秋はかつて、短歌を1つの小さい緑の古宝玉にたとえた。
私にとっては、この「青金石」こそが、いつまでもミスティックに青くきらめく古宝玉なのだ。

今年もまた、春がやってきた。

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