ハマスホイについての気づき覚書

 ヴェルデさんの「ハマスホイ展のこと」を拝読したら、ハマスホイの室内画について腑に落ちることがありました。感謝の意を込めてコメントを残したら、ヴェルデさんから、WEB美術手帖上に掲載されている「ハマスホイはなぜ室内画を描いたのか? 19世紀デンマークの時代背景から読み解く」をご紹介いただけました。こちらの記事も拝読して、さらに色々と気づかされることがあったので、自分の記録として覚書にまとめておきたいと思います。
 ハマスホイは、10年ほど前に開催された展覧会(当時は「ハンマースホイ展」だった)で見て以来、とても好きになりました。今回の展示はタイミングが合わなくて見に行けなさそうなのですが、このような記事で改めてハマスホイについて考える機会を得られたことを嬉しく思います。

■「市民の芸術」としての「室内画」
 ヴェルデ氏の記事を読み、デンマークにおける「室内画」が、19世紀後半に「風俗画」から派生してきたジャンルであることを改めて意識した。デンマークの近代化の過程で、政治や経済と同様、絵画を含めた芸術の主たる担い手もまた、貴族から市民へと変わっていった。その結果、絵画の画題は、市民階級の好みと理想が反映されたものが中心となる。
 「室内画」は、市民の理想的な家庭像――それを象徴的に表した言葉が「Hygge(暖かい・居心地が良い雰囲気)」――を提示する絵画として人気を博し、ハマスホイもまたそのような「風俗画」としての「室内画」の描き手の系譜の中に位置づけられる。ヴェルデ氏は、ハマスホイとの対比項として、ヴィゴ・ヨハンスン『きよしこの夜』(1891)や『春の草花を描く子供たち』(1894)を例に挙げ、そこに充満する家族の生活とその幸福のリアリティを解説している。その中でも特に、「北欧の厳しい冬の寒さ」に言及し、そうした自然環境の中で暮らす人々だからこそ、寒さを防ぎ暖を取ることが可能となる空間と身を寄せ合い助け合える人間の存在そのもの、そしてそれらが半永久的に維持されていく日常性こそが、何にも代えがたい「宝」となることを指摘している点が興味深い。
 デンマークといえば、アンデルセンの故郷でもある。アンデルセン童話の代表作の1つである「マッチ売りの少女」は、まさにヨハンスンの「室内画」に描かれたような「幸福」から徹底的に疎外された少女を主人公としていた。「マッチ売りの少女」は、窓越しに見える暖かな風景を羨望しつつ、その「室内」に受け入れられることのないまま、凍死する。彼女は遂に、「室内画」の哀れな鑑賞者であることしかできなかったのである。「マッチ売りの少女」の初出は1848年であるから、アンデルセンは「室内画」の流行にさきがけて、「室外」の者たちの問題を提起していたといえよう。
 「マッチ売りの少女」もまた、クリスマスの夜の物語である。『きよしこの夜』に描かれた明るい団欒の行われる「室内」を見るとき、その壁1枚向こう側を隔てて、「北欧の厳しい冬の寒さ」をマッチ1本で耐えるしかない孤独で貧しい少女の姿も同時に浮かび上がる。このとき、部屋の内と外を隔てる壁は、寒さを遮り日常を守るものであると共に、「市民」の間に走る経済的な分断と排除を象徴するものでもあることが明らかになるのである。

■日常性の剥離――喪われたものとしての「幸福」
 話を「室内画」に戻そう。ヴェルデ氏によれば、「室内画」の画題は、「幸福な家庭」の物語の提供から、「部屋」自体の美を提示することへと変化していったという。ハマスホイは無論、この後者の「室内画」の傑出した描き手である。ヴェルデ氏は、1907年のハマスホイの言葉を引用し、「まさに誰もいないとき」こそ最も輝く「古い部屋」の「独特の美」を表現する点に、ハマスホイの野心があったことを指摘する。
 その野心の実践例として挙げられているのが、高名な「室内――開いた扉、ストランゲーゼ30番地」(1905)である。ヴェルデ氏は、この絵には人物はもとより、生活必需品たる家具や暖房器具などが一切描かれておらず、「さながら、引っ越しのために全ての家具や荷物を運び出してしまった後の空間」として「部屋」が提示されていることに注意を促している。その「部屋」は、かつて団欒の場であったかもしれないが、そのような時間はすでに過ぎ去り、喪われている。
 ハマスホイの空洞のような「室内」は、先のヨハンスン的な日常性(家庭の幸福!)の喪失それ自体として現われている。それは、ある種の廃墟である。「室内」に満ち満ちていた日常性は徹底的に剥離させられ、鑑賞者の目の前には、通常は意識されることのないドアや壁、そして、空間の「空」性自体が迫ってくる。そして、はたと気づかされる。ここにはそもそも、なにも無かったのだ、そのことを覆い隠すことこそが、我々が「日常生活」と呼んでいる営みのすべてであったのだ、と。ハマスホイが無人の「古い部屋」に見い出したのは、嵐の後の静けさに仄かに漂う滅びと死の匂いにも似た「美」であったといえよう。
 フロイトは1919年に、「Das Unuheimliche(不気味なもの)」という論文を発表する。彼はここで、ドイツ語の「heimliche」という単語が、「親しみのあるもの、馴染みの」という意味と同時に、「隠れたもの、内密の」という、反対語の「unheimliche」に通ずる意味も持っている点に着目する。そして、人が「不気味」だと感ずるのは、まったく未知の存在に出くわしたときというよりも、慣れ親しんだものがふとまったく別の顔を見せる瞬間に遭遇したときだと指摘する。すなわち、通常は「日常」「平凡」の名の下に隠されてあるべきものが、ふとした拍子に露わにされるのを目の当たりにするときこそ、最も「不気味」であるとしたのである(このような「不気味」さを析出するにあたり、フロイトはホフマンの『夜景小曲集』《1817》に収められた「砂男」を解釈している)。例えば、まるで人間であるとしか思われないほど精巧に作られた人形を前にしたとき抱く、なんともいえない居心地の悪い感情も、「不気味」さに分類されるだろう。
 フロイトが着目した「heimliche」には、「heim(家)」という語が含まれていることからもわかる通り、「我が家の」という語義もある。ハマスホイの「室内」は、暖かい「家庭の幸福」の場たる「heim」の垣間見せた、「unheim」である一瞬を正確に切り取り、キャンバスに定着させたかのようにもみえる。しかし、ハマスホイの「室内画」が、フロイト的な意味で「不気味」であるという印象は薄い。むしろ、もはや喪われた生活へのノスタルジー、あるいは、ヴェルデ氏のいう「部屋が作られて以来の「時間」」の堆積を哀惜するような雰囲気が強い。
 ハマスホイ絵画の特徴として挙げられることの多い、極めて繊細な光線表現は、たとえ部屋の主が幾度変わり、そこで演じられる生活の悲喜こもごもがことごとく流れ去ろうとも、朝が来れば日が出、夜が来れば日が落ちるという究極の日常性の「時間」がなお「室内」に残存していることを示しているかのようだ。そして、この陽光を見ていると、その淡い光の内に、かつてその部屋に存在していた「幸福」が、ぼんやりと立ち現われてくるような気がしてくる。その意味で、ハマスホイもまた、「室内」に「家庭の幸福」を描き込んだのかもしれない。ただし、すでに喪われ、我々の脳裡にのみ存在して懐かしく思い出される死者の記憶のごとき「幸福」として。

いかがでしたか?
やっぱり、好きなものについてあれこれ考えるのは楽しいですよね!
少しでも感じてもらえるものがあれば幸いです。

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