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山崎怜奈『歴史のじかん』

こんばんは。昨日、山崎怜奈さん(乃木坂46)の『歴史のじかん』を読みました。実は、発売を心待ちにしていた1冊で、その日のうちに大型書店で購入しちゃいました。

山崎さんのように、特に若者に知られている文化人の方が、こういった歴史などの話をフィーチャーしてくれるのは、たいへん嬉しいことです。私のような素人にとっては、彼女自身が歴史の専門家というわけではないことが手伝って、一般読書より少し幅広い知識で歴史を案内してくれる構図が、非常に読みやすかったです。

また、彼女が章ごとに書かれているコラムが感慨深い。特に、生来、人と競争することが嫌いだと話す山崎さんがしたためた、第2章のコラム「戦国の合戦 × 戦いたくない人」の、以下のフレーズ。

そして、「できるだけ戦わなくて済むような居場所」を手に入れるまでの間は、手持ちの武器で戦わなくてはいけないと気付きました。せめて、自分が今持っている武器が何で、どう使えば効果的なのかくらいは知っておく必要がある。ここだけは、戦国時代も現代も、リアルもバーチャルも同じです。(中略)
ただ、この戦いの相手はメンバーではなく、自分でもなく、世間です。しかも、何かを排除するための戦いではなく、浸透させるための戦いです。受け入れてもらおうとするのではなく、溶け込む。気付いたら、いるのが当たり前になっている。そのほうが、抵抗は少ない気がします。

この文章に強く共感しました。私も子どもの頃、戦いが嫌いという理由で、私にとって日本史は大嫌いな科目の一つでした。なぜ、戦いを皆、平然と受け入れられるのだろうと。

Der Krieg ist also ein Akt der Gewalt, um den Genger zur Erfullung unseres Willens zu zwingen.
(戦争とは、相手をわれわれの意志に従わせるための暴力行為である)

こちらは、クラウゼヴィッツの『戦争論』です。私にとっては「争い」と聞くと、真っ先に頭をよぎってしまうフレーズです。

ですが、戦いにもさまざまな思惑や背景がある。それが暴力行為を正当化して良い理由にはなりえませんが、山崎さんの言われたように、戦わなくて済む居場所を見つけるためには、自身の武器を理解しておく必要がある。他者に意志を押し付けなくとも、戦いはあるのだと。そんなことをあらためて考えさせてもらいました。

ちなみに、この本には私の敬愛する塙保己一氏も紹介されていました。18世紀の人物ですが、彼は合戦とは無縁の偉人です。山崎さんさすがです。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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