オプティマス ストーリー ~タイ奮闘記~vol.2「タイに飛び立つ編」

こんにちは。vol.1の「ルーツ編」いかがだったでしょうか?
当時を考えると、小学校低学年で一人で国際線に乗りアメリカに行くこと、そして小さな一人娘を送り出すお母さまの勇気を考えても、普通の家庭とは良い意味で違ったからこそ、今の世界を目指す髙尾が生まれたのだと思います。

なぜタイ?

そもそも髙尾がタイに行ったきっかけは、彼女が日本に戻って5年くらいした頃、父がタイで中古機械を売る事業をスタートしたのです。
髙尾はアメリカの大学を卒業後、東京の外資系のIT会社に就職し東京ライフを満喫していました。その頃は髙尾自身、塗料に微塵の興味も無く、IT会社での営業成績も優秀で順風満帆な毎日を送っていました。
ところがある日、父から「タイで事業をスタートするから手伝ってくれ!」と白羽の矢が。アメリカに住んでいたので英語も喋れれば、サバイバル精神とタフさも培ってきました。気乗りはしなかったものの父の頼みです。
会社からは「籍を置いたまま行ってきてよいから」と言われ、一年の休職を申請し、タイに向かいます。


タイの地方

*写真「タイによくあること」2019.11.08より引用

タイでのドタバタ奮闘記スタート

タイのオフィスは髙尾が想像していたよりもかなり郊外に位置しており、なかなかのカルチャーショックだったようです。言葉の壁よりも仕事に対する考え方や進め方、そしてタイの大らかでスローな生活リズムは日本の会社でバリバリ営業をやっていた髙尾にとってはなじむことができず、ある日オフィスで泣き叫び「こんな所で働いていられるかー」と出て行ったこともありました。今オプティマスにいるスタッフの誰一人この逸話を信じる者はおらず(笑)、今では笑い話ですが、当時はあまりの環境の変化に髙尾自身もついていけなかったようです。しかしながら、タイで現在の「オプティマス」につながるきっかけがやって来たのです。

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次回は「アイディアヒラメキ💡編」ということで、遮断熱塗料が生まれたストーリーをお送りします。

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