書く習慣

『書く習慣』という本を読んだ。基本的には『自由に書いていい』、『上手に書かなくていい』という様な主張だ(と思う)。文章を書く事に対して優しく背中を押してくれる本だ。
たまにテクニック的な事も書いてあって『自由じゃないじゃん』とモヤモヤしたが、そこは考えないようにした。人間は自分に都合良く解釈するのである。というか、自分に都合良く解釈するのは私である。よって私は人間である(?)

 書いていて気づいたが都合良く解釈する私は意外とポジティブな側面もあるらしい。ど内向型弱気ネガティブ人間だと思っていたが一人になると意外と強気らしい。イヤな奴である。マインドフルネス的な訓練をした成果だととらえておこう。
この本にもこう書いてあった。

『書く』ことで正体不明のモヤモヤを可視化できる。
文章のなかに『知らない自分』が見えてくる。

 某『あひるの空』という漫画に出てくるキャラクターでマネージャーの奈緒が自分の存在意義というか存在価値に悩んでいた時に出たセリフがある。

『必要かどうかを決めるのは往々にして他人の事の方が多い。
 それでも自分で決めるんだ。』

 わたしはこの言葉がたまに好きになる。他人の考えなんてわからないし、価値があると思っていなきゃやってらんないし。
 
 ちなみに『書く習慣』にはこう書いてある。

『有益か無益かは自分で決めるものではない。』

 自分の好きになる事がある言葉と正反対ともとれる主張に反射的にアレルギーをおこしそうになったが内容を読むと妙に納得できる。
 自分では『無益』だと思っている事でも、他人にとっては『有益』かもしれない。『自分の文章がだれかのためになっているか分からないから出すのをためらう』という状況で、可能性に蓋をするのはもったいない。とりあえず出してみようよ、と背中を押してくれている。言っていることは真逆なようで両方とも前向きな言葉である。

 自分ではない誰かが「有益」だと思ってくれる、と自分で決めつけて生きていこうと思った。(ラスト集中力切れた)


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