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ホログラフィーアートは世界をめぐる 第15回 台湾交流録 part 1 初めての訪問

初めての訪問

 台湾はこれまでに多く訪れる機会に恵まれた身近な国である。「国」という表現には現在の微妙な世界情勢が絡んでいるが,私はここではあえて「国」と表現する。
 初めての訪問は1981年,「レーザー・アートランド台北‘81」(図1)と題する第1回の国際会議のエクジビション部門に招待された時である。この企画のコミッティーメンバーの1人が,台湾の現代彫刻家 楊英風(Yuyu Yang)氏であった。山口勝弘氏(メディアアーティスト)が私の個展会場に彼を連れて現れ,紹介されたのがきっかけであった。山口氏と旧知の楊英風氏は東京美術学校(現 東京藝術大学)で学び,日本語が達者な,世界で活躍する彫刻家であった。当時の私は楊英風氏の作品についてあまり知識がなかったが,後に,しばしば訪れることになった大学のキャンパス内で,たくさんの実物の作品と対面することになるのだが,そのことについては後で改めて述べるとする。
 アート&サイエンスのイベントは,台湾では初めてのようであった。出かける前,私は美術館かギャラリーのような会場を予想していたら,現地に行ってみるとなんとホテル(円山大飯店:宮殿様式の建物は台北のランドマークの1つとして世界中に名をはせている五つ星ホテル)(図2)のエントランスホールではないか。ホログラムの展示に不向きの高い天井と広くて明るい空間にはまいった。聞けば,当時の台北には故宮博物館以外には美術館と名の付く施設はなく,展示できる広い空間がこのホテルのロビーであったとのことだが,台北で最も有名な場所ということでは申し分ないロケーションと言うべきであろうか。9日間の会期中,レーザリアムのパフォーマンスが上映され,記念切手が発行されるなど,主催者の努力と熱意が感じられた。
 私は30 cm×40 cmのレインボウタイプ,玉子シリーズのホログラムなど数点展示した(図3,図4)。ホログラムの展示には,私のほかにスウェーデンからも招待されていた。彼は作品を手荷物として持ってきたのだが,機内に預けたその荷物が一緒の便で届かなかったというハプニングに見舞われていた。マルチプレックスタイプ数点とのことであるから,かなりのボリュームである。展示準備のため数日前から現地入りしていたが,未到着の作品は展示が始まっても届かず,どこかに行方不明となっているらしくて,実に気の毒であった。スウェーデンから台湾への空の旅は,おそらく何回も乗り継ぎが必要であったに違いない。私は滞在中に,その作品を見ることは結局できなかった。私は自分の作品を航空貨物で事前に送っていたが,作品輸送にはいつもリスクがつきものであることを思い知らされた出来事だった。

不便な交通


 会議の合間を見てひとり自由行動でもと考えたが,手ごろな移動手段がないことに気付いた。公共交通手段はバスかタクシーのみであった。バス利用は難しいので,タクシーをと言いたいところだが,そう簡単ではなかった。往きはホテルから簡単に呼べるが,帰りが問題である。路上でタクシーを捕まえるのはほとんど不可能であり,かといって,タクシーを呼べるホテルなどが,都合よく出先の周辺に見つかるとも思えない。どうしたものかと案じていたら,主催者からの指示で,1人の学生が1日中私に張り付いてエスコートしてくれることになり,大いに助かった。そんなわけで,エスコート役の女子学生とはいろいろ話す機会があった。このイベントのコミッティーメンバーは台湾の大御所的な人々で構成され,海外からの招待者たちも比較的年配者が多く,そこに女性はほとんどいなかった。そのような環境の中でホログラムの展示に招待された私は,当時まだ若く(?笑),例外的な存在として彼女の目に映り興味を抱かれたようだった。彼女は目を輝かせて,自分もいろいろ活躍していきたいと語っていた。その後,彼女はどのような人生を歩んだのだろうかとフッと思った。彼女は,現在の台湾総統 蔡英文氏よりほんの少し下の世代くらいである。
 初めてのアジアの国の訪問では,欧米の街に滞在していた時には感じたこともない感覚,懐かしさのような感情が湧きあがってくるのを覚えたことを思い出す。

再び

 その後の台湾との縁は,1988年に台中の台湾省立美術館で開催された「日本尖端科学藝術」で,1作品(図5)だけを出品することになった。その前年に,国内で「ハイテクノロジー・アート国際展」が開催され,この展覧会をもとにして台湾で開催されたのが「日本尖端科学藝術」であった。「ハイテクノロジー・アート展」は,山口勝弘氏やギャラリー月光荘らが中心となって立ちあがったグループ「アールジュニ」を母体に,1983年からスタートした新しいメディア表現の作品展である。
 実はこの同じ年,展覧会とは別に2度目の台湾訪問を果たした。私にとっては仕事抜きの初めての観光旅行であった。初めて訪れた時の印象が,年配の世代では日本語が通じる人たちが多く,漢字文化にも親しみを覚え,そのうえ,日本で一般に言われている中国料理(地方でかなり異なるが)に比べ,台湾料理は比較的淡泊な料理が多く,日本人の口に合う,などの理由から,私の両親を連れて台北観光旅行となったのだ。実はそれまでの私の辞書には「観光目的のみで外国旅行する」という項目はなかった。私的な話だが,父が書道を趣味としていたのも理由の1つである。父が本場の書の文化に触れたいと長年思っていたことを私は知っていたからである。また,この年,辻内順平先生が東工大を退官されて記念論文集が出版され,ついでと言っては失礼だが,辻内研の台湾からの元留学生にこの論文集を手渡すのも,もうひとつの理由であった。
 その元留学生は,台湾国立交通大学の教授になっていた。私たちは短い滞在だったので,都合のあう1日の夕方に,食事を一緒にする約束をした。指定のレストランに出かけると,乳飲み子を連れて家族で会いに来てくれた。実は大学のある新竹から台北には車で1時間半以上もかかる。そのうえ台北市内は駐車場を見つけるのが非常に難しく,結局郊外に車を駐車してタクシーでレストランにたどり着いたそうだ。台北市内の駐車難はとにかく大変であった。論文集を手渡すのを口実に呼び出したことが申し訳ないと思うくらい優しい人たちであった。私たちは本格台湾料理を堪能した(図6)。その後,展覧会や研究会で何度も台湾を訪れる機会があるたびに,あるいは日本に出張があるたびに,辻内先生を囲んで,彼との旧交を温めた。

なんという様変わり!

 かつて,円山大飯店の周辺は緑が多く,川を挟んで反対側は何もない場所であった。ところが,2度目の訪問の時には,そこになんとモダンな台北市立美術館(図7,図8)が出現していた。ちょうど書の展示と現代アートの展覧会が開催されていたので,早速皆で出かけるためアクセス方法をさがしたら,美術館の近くにはなんとMRT(台北市地下鉄)の駅があるではないか! かつてはバスとタクシーしかなかった公共交通手段に加えてMRTが開通し,この美術館や円山大飯店の近くに円山駅が建設されていたのだった。外国からのビジターたちでも,市の中心から楽にいろいろな施設に出かけることができ,実に便利になっていた。整備された公園の中に建つ美術館の内部はゆったりとした空間で,何部屋もある広い展示スペースにミュージアムショップも兼ね備えた,素晴らしい施設であった。調べたところでは,この施設は最初の訪問の2年後の1983年に,現代美術展のために建てられた台湾で最初の美術館なのだそうである。なんという変化であろうか? 大変な変貌ぶりに驚くばかりだった。
 台湾を訪れて絶対外せないのが,故宮博物院の見学である。前回初めて連れて行ってもらったときは,膨大なコレクションの中から,観光客用に代表的な展示品を駆け足で案内された。中でも最も有名な展示品はヒスイの彫刻「白菜」や肉形石(豚の角煮にそっくり,石でできている),そして,小さく精巧な彫刻の数々だった。あまりに小さく精緻な展示品は虫眼鏡を併設して展示されているほどだ。2度目は私が案内役となりこれらを見学した。書の展示も忘れてはいない。四千年の文字文化を網羅して眺めるとなかなか面白い。その後も台北を訪れるたびに,ここには必ず足を運ぶのだが,何度通っても,いつも展示品の一部しか見られなかったと思うのである。とにかく膨大な収蔵があることに感嘆するばかりだ。
 ところで,最近(2015年),台湾中部の都市 嘉義に,この故宮博物院の分院として故宮博物院南部院区がオープンした。磁器,テキスタイル,書物などに特化して,博物院の機能の分散化を図るのを目的としているという。確かに収蔵品は収蔵庫に眠っているよりも,広く人々に公開展示される方が望ましい。昨年(2019年),この南院を訪れる機会があった。テーマパークのような公園の中に建つコンテンポラリーな建物(図9)が実に印象的だった。台北の宮殿様式の故宮博物院の分院とは想像もつかないものだった。展示スペースに入ると,新しいメディアをふんだんに使い未来志向の展示様式にも驚かされた。

夜型人間バンザイ


 夜市は面白い。日本のお祭り屋台とは比べ物にならない充実ぶりは感動ものである。お祭り屋台は,どちらかと言えば子供の専売特許のようなものだが,台湾ではちがう。正統派の料理も,ジャンクフードもなんでもござれ。食べ物だけでなく衣料品や雑貨までそろう夜市である。その規模は場所によってまちまちだ。毎日開くところもあれば,決まった曜日のみのところもある。市は夕方からオープンし,真夜中まで開いている。この場所は観光客だけでなく,住人達の胃袋も満たしているようである。味もボリュームも値段も大満足だし,どんな食べ方も自由だ。立っていようが歩きながらであろうがおかまいなし。うるさい行儀作法を気にする必要もない。1年中がお祭りのにぎわいで,夜遅くまで人々でにぎわっている。
 「早寝早起きは良いことだ」,「早起きは3文の得」云々,夜更かしを戒める言葉が多く残る我が国だが,文化が異なると,なんと心の解放感をエンジョイできることか。ところで,このにぎわいも,昼では様相が異なり,夜だからこそなのかもしれない。ちょうどムシたちが夜の明かりに吸い寄せられるように集まってくる現象は良く知られるところだが,人間の心も然り。夜のとばりの中で,明るくにぎやかなところについ集まるのも,その例にもれないようだ。1年中がお祭りのにぎわいで,夜遅くまで人々でにぎわっている。夜型人間にはなんと居心地が良い環境であろう。ついでに一言書き加えれば,治安がよいことである。これは旅の魅力の大事な要素である。今まで10回以上も訪れた台湾であるが,機会があればまた訪れたいと思わせてくれる国だ。
(part2に続く)

(OplusE 2020年5・6月号(第473号)掲載。執筆:石井勢津子氏。
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