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私の発言 宮坂 力氏 ペロブスカイトの成功は人のつながりがなければ成し得なかった

桐蔭横浜大学工学部 大学院工学研究科教授 宮坂 力



宮坂 力(みやさか・つとむ)氏ご経歴
1976年 早稲田大学理工学部応用化学科卒業 
1978年 東京大学大学院工学系研究科工業化学修士課程修了 
1980年~1981年 カナダ・ケベック大学大学院生物物理学科客員研究員 
1981年 東京大学大学院工学系研究科合成化学博士課程修了 
1981年 富士写真フイルム(株)入社,足柄研究所主任研究員を経て
2001年より現在桐蔭横浜大学・大学院工学研究科教授
この間2004年~2009年 ペクセル・テクノロジーズ(株)代表取締役(兼務)
2005年~2010年 東京大学大学院総合文化研究科客員教授(兼務)
2006年~2010年 桐蔭横浜大学大学院工学研究科長 2010年~2013年 同大学研究推進部長(兼任) ●研究分野 物理化学,電気化学,光電気化学,ナノ材料工学
●主な活動・受賞歴等 2002年 (財)化学技術戦略推進機構「アカデミアショーケース」 2004年 横浜市ベンチャービジネスプラン「アカデミー賞」 2005年 Scientific American 50 selection 2009年 グリーンサステナブルネットワーク文部科学大臣賞 2012年 日本写真学会学術賞

本当は建築がしたかった

聞き手:化学から光学分野に進まれたきっかけ,また,光学に興味を持たれた理由などをお聞かせください。

宮坂:私は本来,化学希望ではありませんでした。本当は建築がしたかったのです。大学院で建築に推薦がありましたが,やってほしいのは建築材料だというのです。ところが私の父が建築会社にいたのですが,建築の中心はデザイン,意匠で建築材料ではないというのです。それに衝撃を受けまして,この際方向転換をしようと考えて化学に行くことしました。ただ,どうせなら化学の中でも少し変わった分野にいこうと考えあちこち受験をしました。
 私は,高校受験ではトップで入学しました。ところが高校が嫌いになってしまい,成績もガクッと下がって親が呼び出されたりもしました。その当時は公害問題の影響もあり化学は不人気で,だから不本意だけれども化学ならば大学に受かるという感じでした。
 また。ちょっとした下心もありました。研究を続けて将来博士号を取るとかは考えていませんでしたから,就職のことを考えていたのです。そこで就職にはいわゆるつぶしが利く分野がいいだろうと考え,さまざまな物質を扱う化学にしました。どの分野でも材料を使わないということはないですから,そういう点から化学を選んだのです。
 化学の神髄は有機物の合成ですが,そこから少しはなれたところに物理化学があります。これは材料や物質を物理の手法で研究するものですが,その中に電気化学という分野があり,日常生活ではバッテリーなどに深くかかわっています。東京大学の工学研究科で,この電気化学に光を取り入れる研究に取り組んでいるところがあると知り,そこに行くことにしました。そこで見たのは,本多-藤嶋効果の名前で知られている,酸化チタンに光を当てて水を分解し,クリーンエネルギーの水素を出すという研究だったのです。それは,最初に想像した化学とは全然違う研究で,そこで研究が楽しくなったのです。人生は不思議なもので,不本意で始めたことの中からいいものが見つかることがあります。いろいろと挫折している学生さんにはこんな経験をお話したりしています。

光エネルギーには比較にならない大きな力がある

宮坂:光に興味を持つようになったのは大学院に入ってからですが,早稲田大学時代に先輩から聞いた話が興味を持つきっかけだったのかもしれません。その時の卒論のテーマは,植物の光合成の一部をモデルにした,空気中の炭酸ガスの固定に関するものでした。ただ,それ自体には光は関わらず,高分子錯体の触媒で,不活性の炭酸ガスを活性化して有機物に変えるというものでした。
 ある時にゼミで植物の光合成は光を使うという話になり,そこで聞いたある大学院生の先輩の話がとても強烈な印象を残しました。先輩が言うには,エネルギーは熱とか電気,光,力エネルギーといろいろ形を変えていくが,特に日常生活で大切なエネルギー源は熱と電気と光である。ところが,熱エネルギーというのを例えば鉄砲の弾だと仮定すると,電気エネルギーというのは小さな爆弾に値すると。ところが光エネルギーというのは,その爆弾のさらに大きな,ナパーム弾のようなものになってくると言われたのです。鉄砲の弾をいくら打っても駄目なものは駄目で,それは熱エネルギーだ。電気エネルギーは結構な威力があるけれども,光エネルギーはまたそれとは比較にならない大きな力があるというのです。この話はとても印象に残りました。

大学院では色素増感半導体を研究

宮坂:大学院では光電気化学,中でも色素増感半導体を研究していました。色素増感というのは色素で感度を高めるという写真の言葉です。その時使っていたのは酸化スズという半導体の電極で,紫外線しか吸収しません。研究室の他の人たちはだいたい酸化チタンでしたが,それも同じく紫外線しか吸収しませんでした。それをなんとか太陽スペクトルの可視光領域まで感度を高めるための方法の一つが色素増感でした。
 私は植物の葉からクロロフィルを抽出して,それを色素に使い増感するということをして,光合成の電気化学モデルという論文を出しました。
 そうして博士課程まで進み,いよいよ就職となりました。先生は大学の助手のポストを斡旋しようとしてくださったのですが,申し訳ないけれども研究はものすごく泥くさいですし,一度ばりっとネクタイをしてオフィスを歩いてみたいなと思ったので,企業に行きたいと。
 そこで,光を扱う企業をさがしましたがなかなかありませんでした。
 ある超大手の電気会社で人工光合成の研究をするから,そのメンバーとして来てほしいという話があり,それは話がポンポンと進んだのですが,ほとんど就職が決まりかけた時にキャンセルしました。
 これが私が若かったからなのですが,若い自分がリーダーになって新しいプロジェクトをやってほしいと言われたけれども,それで企業はもうかるのだろうか。あり得ないなと思ったのです。夢の人工光合成は確かにすばらしいし楽しいけれども,大学でやるならともかく,企業に行ってそんな基礎研究では,とても企業に貢献できないと考えてしまい辞退したのです。
 当然相手方は怒りまして,部長の首が飛ぶとも言われたのですが,申し訳ないと謝り倒しました。それでもうどこの企業も行くあてがなくなり,富士写真フイルム(当時)にいた先輩に電話をしました。先輩がわかったといってどんどん話が進み無事に就職できました。
 就職したのですが,写真会社です。まさに大学でやっていた色素増感でしたが,相手は半導体ではなくて銀塩になりました。当時発売していたインスタントカメラ用インスタントフィルムであるフォトラマフィルムの高感度フィルムの開発をしたり,銀塩の基礎的な粒子形成をしたりしました。そうして会社の大黒柱である銀塩の仕事を一通り経験したところで,新規事業も幾つか経験しました。バイオセンサーや人工網膜,これは結構注目されました。色素増感太陽電池もやり,特許の数は国内トップでした。それから今度はリチウム二次電池の開発に関わりました。
 カメラの中には充電式の電池が使われていますが,ライバルのポラロイド社では自社で作った電池を使っていました。これに非常に衝撃を受けた社長が「うちも作ろう」と言い出したのです。
 リチウム二次電池のカーボンの代わりに酸化スズを使うことで,サイエンス誌に論文を出したところ技術が注目され,特許を買う企業も出てきたりしました。そのサイエンス誌の論文は,今も無機化学部門で,サイテーションがトップに近いところにいます。ただ,その論文を出版するころに,社長の鶴の一声でいきなりやめることになりました。
 人も増えて200人近くがその仕事に関わっていて,なかには松下とか東芝とかからもその事業のために人を雇用していました。いよいよ工場も建ててラインも完成して,さあ,動かそうという時にやめるとなったのです。採算が合わないと。
 当時,そのリチウム電池を開発するために,夢を持って社外から中途入社で入ってきた若手のバリバリの研究者もかなり辞めました。私自身は40代の後半になっていましたが,いままで企業で経験をしてきたことを振り返り,このまま定年を迎えるのだなと寂しくなったのです。だから,今のうちに方向転換をして,ゆっくり70歳ぐらいまで地道な研究をやるところに行きたいと思い,大学に行くことを考えたのです。

大学では学生が夢を持ってできそうなことを考える

宮坂:当時,桐蔭横浜大学で,杉道夫先生というLB膜(Langmuir-Blodgett膜)という有機エレクトロニクスにも関わる超薄膜をつくる,とても有名な先生が教授をしていました。その先生が論文に興味を持ってくださり,お話をする機会がありまして,そこで,何か公募やチャンスがあったらぜひお願いしますといったところ,ちょうど公募がありまして,2001年から桐蔭横浜大学の教授になりました。
 大学では,学生が夢を持ってできそうなことを,富士フイルムでやっていた仕事から考えることにしました。
 まず,リチウム電池は全然考えませんでした。制作するための特殊な道具も必要だし,危険性も高かったので。色素増感太陽電池も考えましたが,私は色素増感太陽電池が実用太陽電池になるとはまったく思っていませんでした。東大の先生方も含めて色素増感の研究を長くやってきた先生方は,ほとんど9割以上の皆さんがネガティブで,基礎研究としてはいろんな大きな発見,アウトプットがあるけれども,太陽電池に使うというのは方向が違うとおっしゃっていて,私もそう感じていました。それは耐久性の点でものすごく不安定だったのです。
 色素増感は写真の延長なので昔の銀塩写真のフィルムで説明すると,ネガをパトローネから出すと,最初は色が付いています。ところが光にかざしてしばらくすると色が変わってくる。それは色素が光で分解するからです。ちょっとでも光に触れるとどんどんこわれていくわけです。
 それを10年間,20年間耐久性が要求される太陽電池に使うことは,そんなばかなことないということです。
 私もネガティブでした。ネガティブでしたが太陽電池をフィルムのようにできれば面白いと思ったのです。軽くてフレキシブルで,たとえ寿命は短くても使い捨てのようにできれば面白いと。それで,大学でフィルム色素増感太陽電池をはじめたのです。
 これは10年以上続きました。フィルムでいかに,写真で言えば感度,太陽電池でいえば変換効率を高めるかというもので,5%以上の効率で大型のモジュールも完成しました。

これなら自分でベンチャーを作って売ればいい

聞き手:ベンチャー企業を設立した経緯をお聞かせください。

宮坂:ベンチャー設立のきっかけになったのは,2004年に当時の中田宏横浜市長が,横浜市に3カ年でベンチャー企業を350社の誘致創業を目指すという事業を立ち上げたことでした。当時の桐蔭学園法人の理事長が市長と親しかったこともあり,大学内のいろいろな先生方に向けてベンチャーの起業を考えろ,私のやっている太陽電池の研究でベンチャーはできないかと打診がありました。それまで私は企業にいて,企業でのことは十分にやったので,その時は考えていませんでした。
 大学ではお金がありませんでした。ただ企業でやっていた仕事で結構名前が知られていたおかげで,いろんなメーカーさんが,宮坂さんの研究をサポートします。こちらに搬入したということで宣伝にもなりますから特別に安くしますよと言っていただくこともありました。
 太陽電池の研究には,人工の太陽光となる光源が欠かせません。曇った日,雨の日でも屋内で太陽の光と同じ照度,色温度の光を出して晴天の太陽を再現する必要がありますから。ただその光源は高価で数百万円はするのですが,その時は予算が100万円しかありませんでした。
 あるメーカーさんと光源の話になり,いったい幾らお金があるのですかと聞かれ,これしかない,本来の小売値の数分の1しかないと,これはあり得ないと言ったら,それでも作ると言うのです。それで特注ですから,ここはもう要らない,ここは要らないといって,本当に必要な最低限の部分だけ作ってもらいました。
 その後,今度はまた別の会社から色素増感太陽電池の研究を,ぜひ見学させてほしいとやって来たのです。そのときに人工太陽を使ったソーラーシミュレーターを見て,どこのメーカーか聞かれて,特注品と答えると,ちょっと特性を調べさせてほしいとなりました。その結果に驚いた企業は,もし良かったら技術を買い取らせてくれませんかと言い出したのです。その言葉にびっくりしましたが,その時に「これだったら自分でベンチャーを作って売ればいいのでは」と思いついたのです。
 それで,2004年3月1日に会社を設立しました。その直後の3月末が最初の決算でしたが,1ヶ月ですでに黒字でした。
 3~4人で始めたベンチャーですがもう12年になります。なぜ成功したかよく聞かれますが,これには,いくつかのキーポイントがあると思っています。
 まずは,横浜市が税理士や起業のためのコンサルティング,公認会計士といった,起業に必要な人件費を負担してくれたこと。2つめは大学がベンチャーの部屋をくれて,場所代だけでなく光熱費といった経費も負担がいらないこと。3つ目が強力な販売ネットワークです。これはベンチャーをはじめた当初から,すでに色素増感の研究で名前が結構知られていて,技術を紹介する,相当広いネットワークができあがっていたことです。例えば,うちの研究室が主催する学会に行って, うちのベンチャーがスポンサーになってチラシを渡してとか。そうしたおかげで,すぐに買いたいという人が大勢見つけられました。低予算で,研究に使える,コンパクトな,もし不具合が見つかった時にちゃんと技術レベルで説明してくれて,かゆいところに手が届くように補修してくれる製品と企業があると。
 最後は人件費ですが,これは私がいた富士フイルムを退職した方で,太陽電池に興味を持っている方を採用しました。もう半ばリタイアしているような人なので,高い給料を出さなくても来てくれたのです。

10年かかって辿りついた10%の効率をいきなり突破

聞き手:ペロブスカイト太陽電池の研究・開発に至った経緯をお教えください。

宮坂:今のペロブスカイトの成功は,人のつながりがなければ成し得なかったと思います。何人もの人間が,道案内の標識のように関わってきています。だれか一人が欠けても,ここまでたどり着いてないと思うのです。
 最初は,私自身がこの大学に移りベンチャーをつくったことからはじまります。ベンチャーをつくった時に若い研究者を公募しました。公募で集まった研究者の1人が東京工芸大学の講師をやっていました。そして,彼は優秀な東京工芸大の学生さんを持っていたのです。
 同じころ,私は東京大学で5年間客員教授を務めることになりました。
これは,大学院での教官だった本多健一先生が東大から京大に移られてのち,そこの研究室に入った瀬川浩司先生が東大の教授になり私を招いてくれたのです。それが2005年です。
 そのときにベンチャーにいた,先程お話した,東京工芸大学出身者の若い研究者から「優秀な人が1人いるから,良かったら先生の東大のほうの研究室に紹介しましょうか」と言ってくれました。学生がいませんでしたから,優秀な学生さんなら是非にということになりました。
 それが小島陽広君でした。彼もほぼ就職が決まっていたのですが,何とか説得して入ってもらいました。そうして,とにかく太陽電池に使えそうな発電材料をやってほしいとなった時に,彼が持ってきたのがペロブスカイトなのです。
 私は何も分からなくて「何だ,これは」と聞きますと,「ペロブスカイトという無機と有機の複合化合物で,僕らはこれを薄膜にして光物性を今まで測ってきました。光を当てると非常によく光ります」というのです。だから,有機発光素子等にも使えるかもしれないと言うのです。
 富士フイルムからずっと光に感じる材料をやってきましたから,ともかく光に感じて機能を持つものであれば,光発電をする能力があるかどうかを調べようとなりました。
 まずはペロブスカイトの薄膜を色素増感太陽電池の酸化チタン膜の上に形成しました。すると,何か応答がありました。あまりにも弱くて,結局2年ぐらいかかってなんとか論文が発表できるような性能にできました。でも,あまり楽天的に考えてられず,ものすごく不安定なので,論文に書くような業績は上がるけれども,ちょっと実用化にはほど遠いなと。小島君の博士論文になりましたが,その時に,あまりにも研究内容がユニークなので,東大が一高記念賞に推薦するという話も出ましたが,締め切りが厳しいので遠慮してしまいました。今思うと,もったいないことをしてしまいました。
 このような経緯でペロブスカイトの論文が出ました。ここまでがペロブスカイトを始めたキーポイントで,誰が欠けてもだめでした。私が企業から大学に移り,ベンチャーを作ったこと。ベンチャーに来た研究者が小島君を紹介してくれたこと。小島君が私のところに来るためには,私が東京大学の先生でなければいけなかったこと。当時は私立の学費がかなり高額でしたから。私が東京大学に行けたのは瀬川先生から声がかかったこと。すべてがうまくつながったものだと思います。
 2009年に,最初の審査付き論文がアメリカの学会に出ましたが,その時も,まだこの研究がどこまで展開するかは不透明でした。論文を出しても反響は少なかったです。その後,色素増感太陽電池のいろいろな学会でも研究発表をしましたが,効率も低く,見たことのない材料で,反応はあまりありませんでした。
 その後,今はとても有名になった韓国のパク先生が,私たちの追試をしました。追試をしたのですが,不安定でうまくいかない。どうやったのかと質問があったりしまして,そうして,ついに少し安定なものを作り,性能を2倍ぐらい上げたのです。後で話す機会があったので聞いてみると,彼の博士論文のテーマがペロブスカイトだったというのです。目的は全然違ったのですが,それが太陽電池になると聞いて興味がわき追試したと。
 その次,今のシリコンに競うぐらいのところに成長したきっかけは,私の桐蔭横浜の研究室に,学部から修士と上がってきた,博士課程の優秀な学生,村上拓郎君でした。
 彼が博士号を取った後,しっかりキャリアを付けてほしいと思い,スイスのローザンヌ工科大学(EPFL),そこにはマイケル・グレッツェルという,ノーベル賞候補にもなっている色素増感の権威がいるのですが,そこを紹介しました。紹介状を送ったところ採用が決まり,彼はスイスのローザンヌ工科大学に行きました。
 そこにいたのが,ヘンリー・スネイスという若い研究者でした。彼は後に,ペロブスカイト太陽電池の最初の高い効率を発表した人です。彼は色素増感太陽電池を全部固体化する研究をしていました。色素増感太陽電池はバッテリーと同じ電解液を使います。そのため電解液が漏れたりする問題がありますが,それを全固体化する研究をやっていました。ただし,性能はあまり出ないというデメリットがありました。色素増感は10%も性能が出ますが,それを固体化するとその半分も出ない。だから,実験をする部屋も違ったわけです。ただ,村上君は彼と仲良くなっていて,毎週末のようにビールを飲みに行く飲み仲間だったのです。
 ある時,スネイスが私の論文を読んで,ペロブスカイトが面白い,不安定で膜が溶けると言うが,完全に全固体化すれば使えるのではないかと。それじゃあ少しつくってみようというところで,彼が少し有名になり,自身の出身地である英国のオックスフォード大学へ戻って教授になったのです。
 そのオックスフォードから私の研究室に,ペロブスカイトのつくり方を学ぶために大学院生を派遣したのです。2カ月ぐらいここにいまして,ペロブスカイトのつくり方を学んでオックスフォードに持って帰りました。うまくいかなくて,半ばあきらめかけていましたが,英国に戻る直前にちょっと安定化するものができて,戻って行きました。その後,いきなり効率が10%まで上がった成果を発表し,それで火が付いたのです。
 韓国のパク先生とスネイスの研究は全くつながっていませんでしたが,2人の研究がほぼ同時に出てきました。ポンポンと,花火が2つ上がったようなものです。見た人はびっくりしたでしょうね。色素増感が10年以上もかかってやっと届いた10%に,こんな固体でいきなり10%に,それも,いきなりどこの誰とも分からない人が達成した。それで,火が付いたのです。
 それが2012年で,それからはみんなが寄ってたかって研究をはじめました。その後の変化が大きく,それまでは色素増感太陽電池をやっている研究者がアジアを中心に大勢いました。日本とその周辺で活発な研究が行われていたので,アメリカは,いまさら入っていってもユニークなものはできないのではないかと少し引いていたので,あまり研究者はいませんでした。ところが,ペロブスカイトの研究成果が出た2年後には,色素増感をやっていた研究者が,ほとんどペロブスカイトに移ってきました。
 一昨年,EPFLの有力者とある学会で話したら,もう90%以上がペロブスカイトだと言っていました。1年ほど前に,ヘンリー・スネイスも,最後の色素増感の論文を出したと言っていました。
 私の研究室ではほぼゼロになっています。全部ペロブスカイトで,2週間に1本,論文を出しています。年に20本ぐらいです。

左から軽量フレキシブルなフィルム状の ペロブスカイト太陽電池,
太陽電池の断面構造, ペロブスカイトの顕微鏡写真

ペロブスカイト太陽電池はシリコンと戦っていく必要はない

宮坂:ペロブスカイトは光発電する光吸収材料としては,安いコストも含めていいことずくめです。
 ただ3つ,懸念点があります。
 1つめは耐久性です。ただ,この1年ぐらい,耐久性についての研究が進み,論文もたくさん出てきて,耐久性についてはほぼクリアーできそうになってきました。
 2つめはなかなか高い性能が再現しない,再現性にクエスチョンが付くことですが,これも,まだ産業に持っていくには問題がありますが,当初懸念されていたよりもかなり安定だということが分かってきています。
 すると,懸念点は最後の1つしかありません。それは鉛です。ペロブスカイトに鉛を使うということです。今,海外の学会で,ペロブスカイトの特定セッションシンポジウムができ上がり,立ち見が出るにぎわいで,発表の件数も,ペロブスカイトだけで200件以上ある状況ですが,鉛の有害性について触れる研究者というのはほとんどいません。
 というのも,あまりにも性能がいいので,その性能を高めるためにやるべき研究がまだまだたくさんあるからでしょう。
 ただ,使用している鉛は微量で,これをクローズドできちんと回収することにできれば使用は問題無いのではないかと考えられています。日本で太陽電池を研究しているメーカーカーからも同様の意見が出ています。
 私も分析したことがありますが,カドミウムや水銀は地面にほとんど含まれていません。でも,鉛は土壌の中に十分あり,例えば,家庭菜園で土を掘ったときに,土の粉末が鼻に入れば,ごく微量の鉛が体内に入るわけです。
 ちなみに,ペロブスカイトの太陽電池に含まれる鉛は,同じ面積の地面の厚さで1センチに相当します。厚さ1センチの地面の鉛から同じ面積のペロブスカイト電池がつくれます。
 これは,非常に安い豊富な資源だといえます。ある意味では使いこなすべき材料だと思っています。
 また,ヘンリー・スネイスが言っていましたが,車のバッテリーは鉛電池ですが,あれ1つから,約700平方メートルのペロブスカイト太陽電池がつくれます。車のバッテリーは日常生活の中にある鉛の代表的なものですが,ほとんど100%回収して,鉛が環境に出ないようにしている。同じような形で,完全に回収されればいいと思っています。
 今,耐久性がかなり上がってきています。どれぐらいの耐久性かというと,強い光に当てっ放しで温度が60℃ぐらいまで上がった状態で1,000時間ほとんど劣化しません。1,000時間ほとんど劣化しないということは,何十年ももつ可能性があります。最近では,100℃でも安定だというものが出てきています。
 それ以上に高い,300℃,400℃では,有機物が中に入っているのでなかなか難しい。こんな温度が太陽電池に必要なのかというと,事故でもない限り,そんな温度にさせないわけです。どんなに考えても,せいぜい60℃ほどなのです。
 しかし,今,太陽電池火災が問題になっています。太陽電池の一部が葉っぱなどに覆われて影になると,光が強く当たる部分と影になっている部分で差が付き,影になっている部分に逆電圧がかかり,すごい負荷になって熱が上がる。熱が上がると,電気接点やはんだが溶けて,さらに高い負荷がかかって,それが火災の原因になるというものです。
 このような事故を防ぐため,太陽電池には鉛フリーはんだが使いにくい。皆さんの究極の安全を考えると,耐熱性が高いことが必須となりますが,その点では,今商品化しているシリコンなどの太陽電池とまったく同じ扱いにはできません。
 シリコンはまだまだ安くなる可能性がありますし,まだまだ進化する可能性があるとおっしゃる先生もいます。ペロブスカイト太陽電池は,それと戦っていく必要はないと思います。シリコンはシリコンで,もう十分コモディティー化していますから,ペロブスカイトはシリコンがどうしても今まで使えなかったところをサポートしていく。そうなってくると,軽量でフレキシブルであることに意味がでてきます。
 軽量でフレキシブルになれば,モバイルとか,車搭載とかの用途が考えられますが,そうすると,今度は体に触れる距離になり,また,鉛が問題になってきてしまいます。これがジレンマで,今,私たちは鉛使用量をうんと減らしたもの,あるいは,まったく鉛を使わない新材料の研究を始めています。  ただ,これは非常に難しくて,世界の何人かの研究者が無鉛型に特化して,周期律表を眺めながら,しらみつぶしで新しい元素を試していますが,どれひとつうまくいっていない。みんな言っているのですが,やればやるほど鉛の美しさが分かってくると。あれだけ重たくて,あれだけ軌道がすごくソフトでいい機能を持っているものはないと。
 今,最高効率を出しているものでも,鉛の使用量というのは少なくて,1平方メートルでだいたい0.4グラムです。量のイメージとして,マッチ1本の先ほどでしょうか。
 信頼できる公的機関や企業が証明書を発行する効率というのが22.1%ほどです。シリコンの置き換えを狙っているCIGS太陽電池,カドテルといわれるCdTe,これと同じ値なのです。CIGSとカドテルは,ずいぶん長い歴史があって,ゆっくりと効率が上がって22.1%に届いたのですけれども,ペロブスカイトは道場破りで,いきなりロケットのように上がって届きましたから,このあとは多分抜くだろうと思います。
 カドテルは日本の企業では生産していません。製品の環境問題というよりは,日本の企業では,カドミウムは使えないということです。海外では,実用太陽電池で動いていますが,安価で耐熱性が高く,とても優秀です。鉛の毒性はカドミウムより小さいのですが,ただ,長い間にあまりにもいろいろな問題を起こした歴史があり,法律がきっちりと,デパートのようにできてしまっているのです。

基礎研究は楽しむだけでは駄目

聞き手:研究・開発プロセスにおいて,自信を喪失されたり試行錯誤して苦悩された苦いご経験がありましたら,是非そのエピソードをお聞かせください。

宮坂:特に太陽電池の研究では,効率と耐久性が2本柱で常に問われます。効率というのは,太陽スペクトルに対して出てくる電力で,まず,広い太陽スペクトルをどれだけ吸収できるかという光吸収能力と,さらに,この吸収した光を電気に変える能力が出てくるわけです。
 私は太陽電池をフレキシブルフィルム化する研究では,残念なことに,この2本柱がガラス型に比べると両方とも低いのです。というのは,フィルムでつくる素材は低い温度でしか製造できませんから,製造工程が限られてくる。低温でつくるとどうしても性能が出てこないし,耐久性も低い。だから長い間,ガラス基板でつくった素子とフィルムの素子とを比較され続け,常に劣等感を抱いていました。
 ただ,企業での研究でしたから,そこでの研究は,つくるものが社会で受け入れられる用途を考えて,その用途に向けてつくり込んでいく事になります。
 例えば,ガラス型でいいものをつくっても,シリコンと比べて駄目であれば,結局出番がなくなります。ならば,急がば回れでフィルム型ならではの魅力をいかしたものを作るのだと言っています。
 ただ,これをなかなか理解してくれない。大学の先生になると理解してくれるのですが,太陽電池の研究というと,NEDOだったり国が絡んできて,国からのお達しが来るわけです。技術系の事務官が社会の動向を見ていて,常に太陽電池ではシリコンを相手にするのです。そうではないのだということを口酸っぱく言うのですが,なかなかそれを分かってくれないのです。
 それを打ち破るためにどうしたかというと,やはり口では駄目だから,実際制作したものを持ち出して見せる。
 それと太陽電池という言い方が,私はあまり好きではありません。英語では,photovoltaic deviceという表現があります。日本語にするなら,光を電気に変換する,光電変換素子という感じでしょうか。
 なぜ太陽電池という表現が嫌いかというと,相手を太陽と限っているからです。例えば,屋内のオフィスにあるパーテーション,これを全面太陽電池にしたとしたら,相手にする光は太陽とは限らないわけです。だから,このパネルを太陽電池ですよと言っても,ピンとこないこともある。そこで,ブレークスルーとして,弱い光が当たった時にどれぐらい発電するかということを示しました。だいたい200ルクスとか1,000ルクスの弱い光です。  これぐらいの弱い光では,世の中で実用化している太陽電池は機能しません。特に,シリコンはまったく機能せず電圧が出ません。強い太陽の光であれば,所定の電力を出すことができますが,こういう弱い光だけになると,もう別世界なのです。そこで,どれぐらい感度が高いかということをデータで示しました。それを示すことで,優位性というのを分からせたのです。今は,ようやくエネルギーハーベストという産業出口が明確になってきたので良かったですが,当時はなかなか難しかったです。
 企業にいた経験から,社会で通用するものに結び付けたいという思いがありますから,あまりにもつくる工程に時間がかかるとか,素材が高価であるものとか,そういうものは自分ではあまり評価しないようにしています。基礎研究を楽しむだけというものでは駄目だと思っています。

エネルギーの取引は面白い

聞き手:最後に,光学分野の若手技術者や学生などに向けて光学分野の面白さやメッセージをお願いします。

宮坂:なかなか光のエネルギーの強さというものを,物理的な意味で分かってない学生さんが多いと思います。私が経験したように,熱と電気と光の持つエネルギーの違いというのを分かって,光とはどういうものかというのに魅力を感じてもらいたいなと思います。私たちは常に光にさらされているわけですから。
 よく話すのは,紫外線で日焼けや皮膚炎になりますが,これを物理で考えると,紫外線の光というのは,波長で言うと350から400ナノメートルぐらいです。この光はアインシュタインが証明したように,粒子であって,光子という粒子として数えられると同時に,1つの粒子が波動を持っています。
 紫外線の光子,フォトン1つというのは,おおよそ3.5エレクトロンボルトのエネルギーを持っています。植物の光合成には,700ナノメートルの赤い光が用いられますが,これはおおよそ1.8エレクトロンボルトのエネルギーがあり,これを熱エネルギーに換算すると,いろんな換算方法があるのですが,1モルの水にすると,温度で2,000℃以上になるのです。2,000℃以上の熱に相当するエネルギーが,光ならば,赤い光を当てて得られるのです。こういう,エネルギーの取引は面白いので,よく知ってほしいですね。
 それから話が変わりますが,今,ITが本当に便利になってきていますが,かなり電気エネルギーを消費しています。この増えていくエネルギー消費に対しての,省エネルギー,節電,節エネルギーに向けての感度を高めてほしいなと思います。これから,どんどんエネルギー消費が増えていくと思いますが,今の若い世代がなんらかのブレークスルーをつくっていかないと,本当に化石エネルギーが枯渇する時代が来てしまいますから。今はまだ,過ごしやすいからいいのだというのではなく,自分たち一人一人がどうやってエネルギー消費を減らしていくかということを,人任せではなく考えてもらいたいと思います。そういったところも,光の能力ということも含めて,勉強してみてはと思うのです。

(O plus E 「私の発言」2016年11月号, 1002~1010ページ掲載。
ご所属などは掲載当時の情報です)


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