400年の間にアフリカが随分と変わっている。
結論からいえば、アフリカにはかつて現在のような砂漠などは存在しておらず。この大きな砂漠が生まれたのは、17世紀に入ってからの事だ
大きな都市が存在する文明を内包していらが、17世紀にはいってから何らかの出来事によって滅び、砂漠が拡大したのである。
順を追ってみていきましょう。
サハラ砂漠のあたりの地図をみればわかるが、17世紀までの地図には現在の砂漠の位置に川や湖がかつて存在していたのがわかるだろう。さらには、いくつもの都市の名前が記されている。
17世紀後半にはサハラ砂漠という表記が現れ、18世紀にはいるとそれらは抹消され、地図には「空白」が生まれている。
この16世紀のアフリカにはハッキリと都市と川と湖が描かれているのが分かります。
ここには、
リビヤの近く、その名の町、レトアニア、ゼブオポリスからブギア、そしてビルドゥルに水を供給し、森を抜けて湖に流れ込んでいる。
と記述がある。
リビヤが現在のリビヤなら、そこは現在は砂漠である。しかし、1574年の地図には確かに湖と川が描かれています。
同じくアフリカの本
は、
1574年の地図をみると
ziz Auuiusと書かれた川を見つけることが出来る。これが上で抜き出した川のことだろう。たしかにナイル川程の大きさがあるように見える。
しかし、これらアフリカの地図にはサハラの目が描かれていないのはどういう事であろうか。
奇妙なことは、18世紀後期から地図が消されてしまっていることだ。
このような地図の消滅はアメリカ大陸においてもみることが出来る。
この時期に何かが起きたのは間違いないだろう。