市民オペラに参加するということ 4
私が参加した職場近くの市民オペラ(以下、便宜的に欅の会と名づけることにする)の定期公演は毎年7月だった。ちょうどオリンピックの開催時期と同じタイミングだ。2020年の東京オリンピックも、欅の会の公演も、新型コロナウィルスの影響で延期になった。そして翌2021年になっても、パンデミックは一向に収まらなかった。夏になるまでのほとんどの期間、緊急事態宣言下だったし、私の会社は社員が順番にテレワークを行っていて、全ての社員が出社するという状況にはなかった。感染者数はケタ違いの多さなのに、人々はそのことに慣れて行った。
そんな状況下なので、東京オリンピックも中止だろうと誰もが思ったと思う。ただでさえ感染拡大が一向に収まらないのに、海外から人を入れるなんて、狂気の沙汰だ。いつになったら中止が発表されるのだろう、と思いながら、人々は過ごしていたし、中止が既定路線だろうと思われていたので、大会が近づいても、全く盛り上がらなかった。こんな不便な日常生活を強いられているのに、オリンピックなんて冗談じゃない。
それなのに信じがたいことに、東京オリンピックは実施された! 会場を無観客にするなど、いろいろな制限を受け入れなくてはならなかったが、開催されたのだ。
そんな状況下だっから、欅の会が今年の公演を行うと、初夏に差し掛かるころに聞いた私は、信じられない思いだった。この状況でやるの? できるの? どうやって練習してるの? と言うのが率直な感想だった。でもおそらく、会は昨年、同じ演目の練習をして、本番に備えていたので、今年の本番にも耐えられたのだろう。本来なら昨年やるはずの公演だったのだ。ある程度の準備はすでにしてある。だから今年こそは上演したい、というのが、彼らの悲願であったのではないかと思う。
むろん私もチケットを買って本番を見に行った。コロナが流行して、一時期全て中止されたコンサートは、徐々に再開され(演奏会中は話さないので飛沫が飛ぶことはない)、私が聞きに行ったものもある。しかしパンデミック以降、オペラは観に行っていなかった。だから、普段はオーケストラピットに隠れているオーケストラが、舞台上に上がっていることにまず驚いた。確かにオケピでは密になること必至なので仕方ない。
舞台はオーケストラの後ろにあるので狭いし、オケが邪魔で見にくい。さらに歌手同士が密にならぬよう、ソーシャルディスタンスを取った演出になっていた。だから、普段のオペラみたいに合唱団が舞台で演技することはなかった。二階の客席から、彼ら彼女らは演技はせずに紗幕の裏で歌を歌っていた。アリア(独唱曲)だけではオペラとしては成り立たず、合唱は不可欠なので、やむを得ない措置なのだろう。そんな思いをしてまで公演を行った仲間たちに、私は敬服した。
一方で、私は演技なしの、単なる合唱としての参加なら、せっかくオペラに出るのに物足りないなあ、と私は自分に引き直して思っていた。やっぱりオペラは演技もするからよいのだ。後で聞いた話だと、実は彼らは紗幕の裏で演技もしていたのだと言う。でも紗幕の影でそれがよく見えなかったらしい。だとするとより一層物悲しい。