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葉緑体のこと・暗記と思考のこと

―テーマ―
・葉緑体のこと:義務教育レベルのことと,もう少し+αなこと。
・暗記と思考のこと:何を以て「思考」となすかということ。

―おことわり―
 この投稿は,twitterハッシュタグ「高校生の皆さんにはお手元の教科書を開いていただいて」を使って呟いた内容の清書です。でも,今回の投稿はやや大人向けです。高校生の方もどうぞ。

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―とある生物の問題集にて―

Q1. サクラの根端分裂組織には,葉緑体がある。〇か×か。

 早速ですが,上の問題を解いてみて下さい。大人の皆さま,もし万が一,「根端分裂組織」という用語を忘れてしまっていたとしても,少なくとも「根」であることは読み取れると思いますので,あとは何とかしてみてください。
 いいですか?答え合わせをしますよ?この問題が掲載されている問題集の,別冊解答の模範解答は「×」です。サクラの根端分裂組織には葉緑体がないというのがこの問題の答えです。
 このQ1.は,その問題集の中では「基本問題」として,序盤に出題されているものです。この手の出題は,「サクラの根端分裂組織」を他の生物やその細胞・組織に置き換えたり,「葉緑体」を他の細胞小器官に置き換えたりして,様々な問題集で典型問題として掲載されています。

 では,続いて2つお伺いします。

Q2. Q1.は,知識問題だと思いますか?

Q3. 「×」と答えられた方は,サクラの根端分裂組織に葉緑体がないことを,「知って」いましたか?

 「×」と答えることのできた方,あるいは「そらそうか」などと思った方へ。あなたは,何故,「×」と答えることができたのでしょうか。私,結構不思議に思っているんです。私は,Q1は知識問題ではないと思っています。そして私はサクラの根端分裂組織に葉緑体があることを「知って」はいません。見たことがないからです。でも,あなたも私も,「この問題の模範解答は×なのではないか」と答えることができました。これが,いったい何故なのかというお話です。
 というのも,恐らく,国内で発行されているどの教科書や参考書にも,「サクラの根端分裂組織には葉緑体がない」というテキストは掲載されていないと思います(全部調べたわけじゃないですけれど)。掲載されているテキストは,「植物の根には葉緑体がない」ではなく,「植物の葉には葉緑体がある」というものです。それなのに,なぜ「×」だろうとすることができたのか。考えられそうな理由をいくつか挙げてみましょう。

理由①「根で光合成が行われないことは知っているから」
 本当にそれが理由でいいでしょうか。私たちが理科の教科書で学んだことは,たぶん,「葉で光合成が行われること」ではありませんでしたか?「根では光合成が行われない」なんて,どこかに書いてありましたっけ。

理由②「タマネギの根端分裂組織は観察したことがあり,そこに葉緑体は無かったから」
 本当にそれが理由でいいでしょうか。確かに中学理科あたりでタマネギの根の観察は行われますが,それ,タマネギの場合にしか当てはまらないんじゃないですか?サクラの根端分裂組織を観察していないなら,サクラの根端分裂組織に葉緑体がないことなんて,分からないじゃないですか。

理由③「タマネギもサクラも植物だから」
 なるほど,それを根拠に葉緑体がないと判断したのですか?だとしたらやはり,やはり思った通りなんですけれど,それは知識ではなくて思考なんじゃないですか―と。
 学校理科の生物分野には,「生物の多様性と共通性」という大きなテーマがあります。Q1に模範解答を以て答えることのできた方は,そのテーマをよく理解なさっていると思います。
 タマネギとサクラは,どちらも植物の多様性のうちの1つであり,同時にどちらも種子植物であるという共通性をもちます。タマネギで言えることはサクラにも言えるもしれないという類推は,まさに,文部科学省が学習指導要領の中でうたう「科学的なものの見方」ではないでしょうか。

 タマネギの根端分裂組織に葉緑体が観察されないことは,教科書の挿絵などからも判断することができます。また,タマネギやサクラが植物であることは,義務教育の理科の中で学ぶことです。これらは「知識」と呼んで差し支えないかもしれません。
 しかし,それらの事実から,「サクラの根端分裂組織に“も”葉緑体がない」という類推を行うとなれば,それはもう「思考」と呼んでいいのではないかと思うのです。

 最近の私のtwitterのタイムラインでは,大学入試共通テストの話題が紛糾し,「思考力」という言葉がまた頻繁に使われるようになってきた節があります。これはすべて私の私見ですけれど,何を以て「思考力」とするかのハードルは,もっと低くていいのではないか「思考力」とやらが満たすべき条件は,十分条件ではなく必要条件で考えた方がいいのではないか―といったことをぼんやりと考えるのです。
 「思考力」は,今までの学校教育・民間教育の中で,あるいは学習指導要領の中で,本当に養えなかったものでしょうか。少なくとも理科という教科は,これまでもずっと,教科書の中身を学ぶことで巨人の肩の上に乗り,当人にとって見たこともない問題にアプローチできるようになることを目標としていたのではありませんか。それを「思考」と呼ばずして,何と呼ぶというのでしょうか。

 本当は,「思考力が足りない」と煽るのではなく,「それが思考ですよ」と教えるのが妥当なところではないのですか。帰納とか,演繹とか,類推とか,いろいろあるでしょう?ほら。

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「与えられた選択肢から答えを一つ選ぶというマークシート方式で、暗記していることを正確に出せるかを問う試験です。」

 これは,2015年12月12日,下村元文科相に対するインタビュー記事の(https://newspicks.com/news/1295889/body/)の中で,下村氏がセンター試験について述べた発言です。暗記していることを正確に出せるかを問う試験であれば,サクラの根端分裂組織に葉緑体があるかどうかを問う問題は,出題することができないように思います(なぜなら,教科書に載っていないからです)。しかし,実際の大学入試センター試験の生物基礎・生物は,「サクラの根端分裂組織に葉緑体があるかないか」程度の問題を出題して終わりにはなりません。単純かつ明快に,もっと難しいんですよ。「そんなこと聞く?」と疑問に思うような出題がないわけではありませんが,単純に知識だけを問うのではない,よく練られた問題が多いと私は思います(下村氏の言う「センター試験」が,いったいどこの世界線のセンター試験なのか,私めには到底分かりませんので,その話はこれ以上触れません)。

 ある細胞の葉緑体の有無を問うようなこの程度の問題ですら―否,この程度の問題だからこそ,思考力の放棄は致命的なのです。それもそのはずで,そもそも高校生は,植物細胞の模式図を使って,「植物細胞には葉緑体がある」とも学習しているのです。根の細胞は「植物細胞」ですから,その内容をサクラの根端分裂組織に演繹すると,Q1の答えは「〇」にしてもおかしくはないのです。
 すなわち,Q1に答えるということは,「植物細胞には葉緑体がある」という事柄から演繹されることと,「タマネギの根端分裂組織には葉緑体がない」という事柄から類推されることと,どちらが「サクラの根端分裂組織」に当てはまりがよさそうかを吟味するということです。どうです,急に難しい問題に見えてきませんか。タマネギが例外だったらどうします?

 サクラの根端分裂組織に葉緑体がないらしいことを,文字通りに「知らず」,そんなこと教科書に書いてあったかな…と考え込んでしまう学習者は実際に少なからず居ます。私はこれを,「理科の問題を文字列操作で解こうとする」と表現しています。ちょうど,Microsoft Officeの文字列検索機能のように,脳内で文字列を検索して該当するところを探すのですが,その文字列に意味がありません。そこに根のイメージが存在しないのです。WordやExcelが,文章の意味を解さないのと同じです。

 思考力を放棄すれば,もし,たまたま,「サクラの根端分裂組織には葉緑体がない」というテキストをどこかで見たことがあったとしても,「サクラ」が「ツツジ」に変わって出題されたらお終いです。知識と知識を,正しい関係性(順序や包含関係など)のもとに結びつけて理解したり,判断したり表現したりするその練習は,できれば初等教育のうちに,簡単なものから,少しずつ積んでおいて欲しいなぁと思っています。

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―種明かし的な話。―

 さて,実は私,さっきから「サクラの根端分裂組織には葉緑体はない」が正しいとは言っていません。いや,問題集の模範解答では「ない(×)」が正解で,確かにそれでいいと思うんです(観察したことはないですけれど)。でも,植物の根端分裂組織には「原色素体」という,植物の色素のもとになる構造があるんですよね。
 実際に,シロイヌナズナという植物(モデル植物といって,よく研究材料になる植物です)の地上部(茎+葉)を除去すると,地下部(根)の原色素体が葉緑体に分化するという現象は観察されています。根で光合成を行い,有機物を合成することで,地上部の再形成を進めると考えられているのです。

 さぁ,何か気付きませんか?

 Q1の「サクラの根端分裂組織」を思い出してみましょう。サクラの地上部,特に言及されていませんが,どうなっているんですかね。シロイヌナズナのように,除去されてはいませんかね。葉緑体,ないって言い切っていいですかね…!
 勉強を進めていけばいくほど,「あれ?葉緑体がないって言っちゃって大丈夫かな…?」なんて気持ちにもなってくるんです。基本問題といって侮るなかれ―この問題,扱いようによっては本当にいい題材だとは思いませんか(良問かどうかは別です←これ,大事なことです。本当は作問者が注意しなきゃいけないんですよ)。

 しかしながら,私は立場上,そこに落としどころを決めなければなりません。「×でしょ」と,知ったふうな口を利かなければなりません。「でもね…!」「実はね…!」などと続けようものなら,終わる授業も終わりません。
 でも,このnoteのようなお話を,ちょっとだけ,しれっと雑談として混ぜることを,どうか許してもらえると嬉しいです。自学自習の際に,「あれ…?雑談の内容と解答解説が矛盾する…?」だなんて思ってもらえたら幸甚です。(結)

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