♯4 山羊の首/三島由紀夫


三島由紀夫「山羊の首」(新潮文庫『ラディゲの死』収録)

女たらしのダンス教師が戦時中に原っぱで山羊の首を見て以来、女性と寝ていると山羊の首の幻影が頭を離れず、一夜しか過ごすことができなくなってしまう。ただそれに対して山羊の首が恐ろしいとか気味が悪いとか遠ざけたいということはなく、むしろ心待ちにさえしている。しかし、山羊の首の出現を遠ざけたくなる相手もいた。男のダンス教室へ通う香村夫人である。一夜で関係を終わらせたくないほど男は夫人のことが好きだったようだ。男はついに夫人と一夜をともにすることができ、しかも山羊の首の幻影も現れなかった。しかし、朝起きると彼女と過ごすために持参してきた全財産とともに彼女は消えてしまっていた。

『金閣寺』と同じだ。金閣が目の前に現れて不能になってしまう。それに囚われて目の前から消えないから焼いたわけだが、本編は違う。自分の想い人と夜を過ごすことで消えてしまう。途中まで山羊の首を掻っ切って燃やすのかな、などと思いながら読んでいたが結末は違った。他にも『金閣寺』と同じ点がある。その幻影が先の戦争での「敗戦」を表している点だ。山羊の首は戦時中に見たもので、それ以降不能になってしまう。三島由紀夫はこの敗戦によって生き延びてしまうことに生きづらさを感じている登場人物がたびたび出てくる。三島とてそうだったのだろう。

女たらしの主人公の恋の仕方を描く箇所がおもしろかった。貸付に例えているがなんかユーモアを感じない真面目さが三島由紀夫ならではだ。ゆえにおもしろい。

四十歳ともなると、恋は短期貸付わけても一日貸が徳用になるものだった。のんびりと担保供与の手続をたのしみながら、一年二年の長期貸付に専念するほど、潤沢な資金の持合せはいまはなかった。僅かな資金では、廻転を早めなければ立ち行かない。

うまいしおもしろいのだが、うますぎて感嘆のあまりクスッとできない。また男にとって女性を口説くこととはどういうことなのかを説明する一文がすごい。

疾走する橇に乗って、無数のトンネルも目にも止まらぬ速度で駈け抜ける快感だと言って嘘になるなら彼にとっては実体のない思考の道行にすぎぬものが女たちの心にいろんな生物を育ててゆくのを見る珍種栽培家の歓びだ。

よく読まないとわからないが、これを意味の通ったひとつの文章にしているのがすごい。しかも読点は一個のみ。

物語のプロットも作品のテーマもそれを彩る文章も実に三島由紀夫らしくておもしろい。わずか11ページで三島のエッセンスを味わうことができる。三島が好きか苦手か15分ほどで判別できるかっこうの作品だ。

(大虎)