#1 羽蟻のいる丘/北杜夫

北杜夫「羽蟻のいる丘」(新潮文庫『夜と霧の隅で』収録)

女の子がじっと土を見つめている。蟻がいるからだ。蟻の行列を見つめて遊んでいるところから、徐々に後ろのほうにいる男女へと話は向かっていく。女の子の母親と、色が黒く額が広いけむくじゃらの男の二人が何やら話をしていて、その会話が小説の核心である。男女の心理の機微がそこはかとなく穏やかな空気のなかに描かれている。終盤、男のある一言で突如しかし必然性を持って終末を遂げる。

とてもこわい小説でありながら、終始穏やかさを感じるのが不思議だ。男女の会話の取り止めのなさ、論理的には噛み合っているのに噛み合わない歯痒さは、すれ違いというよりそもそもの違いを描いているように思えた。後半、女がスジコの話をしだした途端にこわくなってくる。終わりの始まりだ。口数も増え、畳み掛けてくるのがこわい。

冒頭の蟻の細やかな動きの描写、つまり女の子のミクロな視点から、だんだんとカメラがズームアウトしてくのに反比例するように、物語は遠いところから男女二人の核心へと向かっていく。終盤女の子が男に空高く抱き上げられたときの視点、そして直後の核心をつく恐ろしい一言。この視点と核心の交差が見事で、二度読んでも交差の到達がわかっているのに楽しい。わかっているから楽しいのか。

20ページほどの短編ですぐ読めちゃうが、二人の会話と描写に余分なものがなく、その間を読者が埋めていく。読者の体験がなんとなく反映されるような小説だった。

(大虎)