#10 トロイの木馬/レーモン・クノー

レーモン・クノー/塩塚秀一郎 訳「トロイの木馬」(国書刊行会、「短篇小説の快楽」シリーズ『あなたまかせのお話』収録)


レーモン・クノーは、言語遊戯や、数学的理論を用いて新しい文学を実践し、潜在的文学工房=ウリポを創設し、その実験的な小説は文学の幅を広げていった。またそれらの小説は現実をぶち壊すユーモアが溢れていて、クノーは人を喜ばせよう、驚かせようとするサービス精神が旺盛な作家なのだろう。旺盛すぎてよくわからないときもあるのだが。

本作は馬がバーでベラベラとしゃべり、カップルの邪魔をして、しまいにはブチ切れるというユーモア小説だ。馬は馬なのだが、言葉をしゃべるし、二本足で歩くし、酒も飲み、タバコも吸う。誰もが馬を人間のように当たり前に受け入れいてそのすっとぼけた雰囲気が出ていておもしろい。つまり、その雰囲気を作る会話がおもしろいのだ。

「ねえ、私、何歳だと思います?」馬が二人に尋ねる。
二人は馬のほうに顔を向けた。
「四十歳かしら」女が気のない返事をする。
「ばか」男は小声でささやく。「そんな歳なら、馬はくたばっちまうよ」
男は馬のほうを向いた。
「そんなはずないですよね」と男。「二歳半か三歳でしょ」
「そのとおり」馬は満足げに言った。
それから、表情がさっと変わってすっかり冷ややかになった。
「だけど」馬は男に尋ねる。「なんだって『くたばる』なんて言い方するんだ?」
「私?」男はしらばくれて返事をした。
「そうだよ、あんたさ」と馬。「なんで『くたばる』なんて言うんだよ?」
「ああ、なんだ」男は屈託ない。「くたばる、くたばる、か」
「そう、くたばる、だよ」
馬は前脚を大きく動かし始め、それから突然、虚空を後ろ脚で力強く蹴った。踊っていた客たちは、うやうやしく場所をあけた。

馬がブチ切れている。確か同じレーモン・クノーの『青い花』にもしゃべる馬が出てくる。馬がしゃべるというのは何を象徴しているのだろうなどと思ってしまうが、そんなことはどうでもよい。馬がバーでしゃべり、ブチ切れるという、現実と幻想のちょうど中間にある世界、そういう世界があってもよい。

不思議ではあるものの、不思議さを感じさせない奇妙な世界。一度受け入れるとハマってしまう。コントのお手本のような楽しい世界に没入できる。20ページほどしかないのが寂しいがもし気に入ったらクノーの長編小説にもチャレンジしてほしい。

(大虎)