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オープンプラットホーム通信 第184号(2022.6.23発行分)

オープンプラットホーム通信とは、福岡を拠点に活動していうNPO法人ウェルビーイングが毎月発行しているメールマガジンです。noteではバックナンバーを公開していきます。

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メールマガジンのコンセプト


オープンプラットホームとは、人、団体、組織が自由に集まり、交流し、知恵や勇気、パワーを充電し、また、旅立っていくことができる「みんなが集える場」のことです。

初めての方へ
はじめまして。
NPO法人ウェルビーイングは、人々のwell-beingの実現するために自ら活動することを目指し、全国各地で活動している人たちを結び、集まり、分かち合い、元気になるオープンプラットホームの実現を目指しています。well-beingとは、「良好な状態、安寧、幸福」という意味です。
このメルマガでは、ウェルビーイングに集う理事や会員のそれぞれのウェルビーイングな日々やアンウェルビーイングな日々を綴ったエッセーをお届けします。


喫茶去 第83回 よいということ(2)


「善」あるいは「よいということ」のいくつかの糸口をこれからたどってみます。見取り図があるわけではないので、断片的な知識と着想をはしからあげてみます。

半世紀前の修士論文で、フランスの社会学者エミール・デュルケムを読んでおりました。気になったのはかれの「社会」の解説に「よいこと le bien」というコトバがあって、これを「せねばならぬこと l’obligatoire」と対にしていることでした。漢語にすれば「善」と「義務」。訳者の山田吉彦(作家のきだ・みのる)はその素気ない訳語を採っておりました。社会というものは、諸個人にとって、よいこと・望ましいことであり、と同時に、そうあらねばならない・義務・強制するものとしてあらわれるというのです。社会をあらわすもうひとつの対語もあって、それは「内在」と「外在」でした。つまり社会的なものは、個人の外部に制度化されてあらわれているけれど、同時に諸個人の心に浸透してうちがわから諸制度を支えるはたらきをもっている。

法と道徳を例にとると、法は道徳よりも強制力の度合いが高く、道徳よりもはっきりと外部化されています。われわれは生まれてからそのいずれをも学習して(多くは)自分の生き方にとりこむことでやってゆくわけですが、法はその全貌を知っているわけではなく、おりにふれて専門家から教えられて、ときにいやいやながらそれに従う。端的には、コンプライアンス(文字どおり「遵法」=法にしたがう)などの掛け声が外から(しかも日本の外から)やってきて、あわててつじつまをあわせたり、あるいは得心したならこころからそれに応じたりの騒動を体験しています。

いま茶化して書いているのは、日本版社会現象の足元をすくわれそうな顛末に対してで、コンプライアンス精神についてではありません。なぜならこの語彙には、ただの法令に限られない、道徳的なすそ野の広がりが含意されていて、いわば生き方を正すことが本来のねらいであるからです。道徳は法よりもはるかに日常的で、この社会で生きて行く方法に直結したいわば財ともいえるものでした。そうして、そのぶん明文化されない曖昧な領域でもあって、なにより法のような罰則がありません。法のような罰則がないだけで、ほんとうは罰則らしきものが厳としてあることは、社会的な批判や非難を思えば納得できるでしょう。かつてはこれを「おてんとうさま」とか「世間」という語で(リアルに)表現してきました。

話をもどすと、デュルケムのこの対語による社会の解説は、ずっとあとになって知ったのですが、スコラ哲学をはじめとする哲学と神学の語彙であって、なぜなら「望ましいもの」と「義務的なもの」、「内在的」と「外在的」のいずれも「神」をめぐる議論のコトバでもあるからでした。とくにあとの対語は、「外在的」の延長上に「超越的」というのがあり、これを心にあると同時にわれわれを超越している存在としての神と云いかえれば、そのまま神学になるわけです。正確に云うと、デュルケム(だけでなく近代の社会学者たち)は、これまでの神学的・哲学的語彙のストックから、その宗教臭さを脱色して、あるいは世俗化して学術用語を生み出そうとしてきたのでした。そのキャッチ・フレーズをデュルケムが「神は社会である」にしたことは、この文脈からはごく自然なことでした。と同時にかれが「社会はモノ chose である」と述べたこと(これはスキャンダラスでした)も、ひとから外化されて時に計測可能な制度的固化にいたる全域を考えれば、べつだんおかしなことではありません。社会はその両端(神であると同時にモノである)(善であると同時に義務である)(内部にあると同時に外部にある)をふくみこむ、それにしてもその仕組みを解くのは容易ではないナニカ、ということになります。

それにしても、ここで「善」「よいもの」とされている社会の局面(というのか)とは何のことでしょうか。かれの現代社会論(といっても19世紀末のヨーロッパ社会)では『自殺論』(1897)のなかで社会的な結びつきの弱さは自殺を生む傾向にあるとして、アノミー的自殺(社会的連帯の弱化にともなう自殺)をいう切り口を出しました。この場合、社会の結びつきにこそ「よいもの」のありかを求めて、それが食い破られる(いわば)世紀末的現状の解析をこころみたのでした。そして、驚くべきことに第一次大戦前夜の1912年に『宗教生活の原初形態』を著してその五年後に亡くなりました。驚くべきことにと云うのは、それが現代社会論ではなく、オーストラリア原住民(いまは先住民と称)のとくにアランダという一部族の民族誌研究だったからです。いったいかれは、何を夢見て、訪れたことのない土地の、当時のコトバでは「未開の」社会を分析したのでしょうか。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
関 一敏
勤務先:NPO法人ウェルビーイング・ラボ


感じ考え組み立てる 第59回 ポリ袋からの冒険


前回に引き続いて今回もプチプチについて語るはずでした。しかし実際はプチプチの親戚ともいえるポリ袋に関連して、お話しします。この一か月は本当によくポリ袋に触れてそこから考えていました。取り組んでいるテーマは「健康教育の理論」です。なぜプチプチ、いやポリ袋かというと、これらに触れながら考えていると,考えが一歩着実になり,分かりやすくなるからです。

さて「健康教育の理論」といっても様々なことが含まれますので,今回は特に健康教育理論の原点である条件反射を取り上げます。

条件反射とは何か,まずいくつかの辞書から代表的な定義を紹介します。

・日本国語大辞典;「反射を起こす刺激と、それと無関係な刺激とを同時に繰り返して与えると、後者の刺激だけでも反射が生じる現象。先天的な反射(無条件反射)と異なり、生後の経験によって新たに獲得される。一九〇四年、ロシアのパブロフが、犬にメトロノームの音を聞かせると同時に餌(えさ)を与える操作を繰り返すと、犬はメトロノームの音だけで唾液(だえき)を分泌するというところから発見した。獲得反射」

・岩波生物学辞典(第5版);「《同》獲得反射,個体反射.ある個体に生得的でなく一定の条件下に形成された反射。これに対して生得の反射を無条件反射(unconditioned reflex,種属反射)と呼ぶ。I.P.Pavlov(1904)は,イヌの唾液分泌と全く無関係の外部刺激(例えばメトロノーム音)を作用させてから直ちにイヌに食餌を与えるという実験手続きを繰り返すと,やがてはじめは無関係であった外部刺激だけでイヌが唾液分泌を起こすことを発見した.彼はこの現象を反射の重要な一形式とみなし,条件反射と名づけた。・・・」

・日本大百科全書;「生まれつき備わっている反射に対して、後天的に獲得する反射をいう。条件反射は、ロシアの生理学者パブロフが大脳生理学の研究手段として開発したものである。イヌに食物を与えると唾液(だえき)の分泌がおこるが、このような反射は生まれつきのものであり、『無条件反射』とよばれる。一方、イヌに一定の音を聞かせながら食物を与えることを繰り返すと、音を聞かせただけで唾液が分泌されるようになる。本来、音と唾液の分泌とは無関係なものであるが、音を聞かせることによって唾液が分泌されるという新しい反射が形成されたわけであり、これを『条件反射』という。この場合、音を『条件刺激』とよび、食物のような無条件反射の原因となるものを『無条件刺激』という。・・・」

さて、これらの定義はメルマガの読者の皆様にとって、分かりやすいものでしょうか。これらの記述をさらに具体的に分かりやすく書き直すには,どうしたらいいでしょうか。そもそも、生物学や心理学や言語学の専門家が知恵を絞って書いているはずの辞書の記述を、そうした分野の専門家ではない私に、書き直すことなど、できるのでしょうか。

今までは、私自身が長年、大学教員を務めながら、よく使う辞書の記述を、さらに分かりやすく書き直せるとは、ほとんど考えたことがありませんでした。しょせん、専門用語は分かりにくいと諦めていたのかもしれません。しかしプチプチやポリ袋に触れて考えていると、もっと分かりやすく、直接的に説明できるような気がしてきます。触れていると、勇気も貰えるような気がします。頭だけで考るのではなく、手も使って考えているから、より足が地に着いた、分かりやすい記述に関心が向くのでしょうか。いずれにしても上記の三つの辞書の説明では納得できなかったため、結局以下のように説明しました。

・守山の説明;「パブロフは帝政ロシア・ソビエト連邦の生理学者です。1879年、医師の資格を取り、消化生理学研究を開始し、唾液が口外に出るよう手術した犬で唾液腺を研究中に、条件反射を発見しました。皆さんも、手に持ったポリ袋を犬だと考え、『ポリ袋・犬』を犬らしく動かし、パブロフになったつもりで、観察を試みてください。パブロフは犬を観察していて、犬のある行動が、外からの刺激によって変化すること、に気づきました。犬は人間ほどではないにしても、比較的大きな脳を持っており、学習もするし、私たちの声をある程度聞き分けて行動を変え、意思表示もします。しかしパブロフが注目した行動は、生理的な行動、生きることそのものに関連した行動で、しかも計量化できる、数量として行動の量を観察できるもの、唾液分泌でした。
犬が食べ物に出会って唾液を分泌する現象は、特に新しい事実ではなく、『反射』として以前から知られていました。パブロフが新たに気づいたのは、食べ物(エサ)だけでなく、食べ物以外の様々な刺激が、条件によっては、反射(唾液分泌)を引き起こすことでした。様々な刺激として、教科書でよく取り上げられるのは、飼育係の足音、犬小屋の扉をあける鍵音、食事時間を知らせるベル音などの音(聴覚刺激)です。このほかにパブロフは、視覚・嗅覚・触覚を介する外的刺激にも、同様の働きを認めました。これらの(食べ物以外の)外的刺激は、それだけを与えても、通常は、唾液分泌と全く関連しません。しかし、犬がお腹をすかせているときに『食べ物』という、唾液が分泌されて当然の刺激と『ほぼ同時』という条件で、それらの外的刺激を与え続けると、そのうち『食べ物が無くても、外的刺激があれば、唾液分泌が起こる』ことを、パブロフは発見しました。こうした条件のもとで起こった唾液分泌は、単なる反射ではなく、条件反射といわれます。また、ある条件のもとで、行動(反射を含む)が外的刺激と結び付く現象は『(古典的)条件付け』といわれます。」

さて以上の「私の説明」にポリ袋は2回しか登場しません。しかし、説明の具体
を考えるときポリ袋は大きな助けになりました。では、本当に、辞書の記述より
具体的で分かりやすくなったのか、メルマガの読者の皆様におかれましては、ぜ
ひ読み比べて、ご判断いただきたいと思います。

さてここまで書いて、突然に、ほとんど忘れかけていた30年前の事を思い出しました。実は30年前にも私は「分かりやすさ」を追求し、本を書き始めていたのです。あのときは、医療に関連した言葉を分かりやすくしたいと考え、絵・図・マップなど、視覚的な表現を活用することに関心がありました。しかし結局、途中で力尽き、本の完成には至りませんでした。しかし書いたことを無駄にはしたくなかったので、長崎大学のリポジトリに入れてあります。
http://hdl.handle.net/10069/16895
何かの機会に、ご高覧いただければ幸いです。

そして現在、再び言葉に魅力を感じ始めています。絵・図・マップ・動画などは、それなりに興味深い表現手段ですが、結局は、言葉で分かりやすく表すことが大切だと、改めて考えるようになりました。プチプチやポリ袋は,言葉を出す元の発想を、思考そのものを、支えてくれます。これからも、プチプチやポリ袋の助けを借りて、様々なことを分かりやすく示す活動が続きそうです。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
守山正樹
勤務先:NPO法人ウェルビーイング・ラボ

ドクター・マコ At Home! (アット・ホーム) 第133回 蝉の口福、私の幸福 赤坂真理(2016年朝日) 米国の素数ゼミも気になる?


福岡では入梅しましたが、梅雨が明けると蝉の季節が始まります。

米国では13年と17年の周期で、それぞれ大発生するセミが居て、”素数ゼミ”と呼ばれることもあります。なぜ、発生周期が13年と17年なのか?長年米国のセミを研究してきた吉村仁静岡大名誉教授の次のような仮説が有力です。

「セミは何年もの間、地中で暮らし、地上に出て羽化すると、交尾をして2週間ほどで死んでしまう。13と17はともに『素数』。他の数との最小公倍数が大きいため、別の周期で発生するセミと交雑しにくく、いっせいに地上に出た同じ周期のセミと大量に子孫を残してきた。特に氷河期は生息地が極端に限られ、同時に羽化しないと効率よく子孫を残せない。別の周期のセミたちと交雑してしまうと、子孫の大量発生の周期が狂い、生存に不利になる。同じ素数の11年では成長の時間が足りず、19年では長くて死ぬリスクが高まるため、その間の13年と17年の周期のセミたちだけが生き残った」との説です。

ただ「13年や17年の時を正確に刻む仕組みや、氷河期の前にはどんなセミの祖先がいたのかなどまだまだ謎は多い」とのこと。

「蝉は土の中で7年を過ごし地上ではたった7日しか生きない」というコトバは、蝉の一生が儚いことの常套句ですが、一種の比喩であるらしく、正確には土の中で1年から5年。成虫になってからは7日間から一か月。蝉は幼虫期間が長い、というべきであって、トータルとしても昆虫として短命ではない。土の中がめくるめく世界ではないとも、誰にも言えない。

ツクツクボウシは小さな蝉であり、幼虫期間は蝉の中では短く1~2年。とはいえ蝉の幼虫時代が長いのは食べるものによる。蝉の幼虫は、木の根から導管液を吸って成長する。根からの栄養を運ぶのが導管、葉からの栄養を運ぶのが師管。葉からの栄養は光合成により養分が多く、根からの栄養は主に水である。導管液から栄養をかき集めて成長するように進化したのが蝉の幼虫であり、他の昆虫との競合を避け、低栄養の食物で大きくなるため幼虫期間が長い。

昆虫食に詳しい人によれば、いちばんおいしい昆虫は樹液を吸う幼虫、いちばんまずいのが土を食う幼虫。とすると、樹液の中では栄養の少ない導管液を吸っている蝉の幼虫は中の下の味わいか。但し、2021年の朝日新聞記事によれば、セミを料理に使う時はよく洗った後、10分間煮るという下ごしらえが欠かせないとのこと。しかもセミはエビやロブスターに近い種であるため、魚介類にアレルギーがある人は食べない方が良いらしい、です。

ちなみに蝉の幼虫は素揚げにして塩をかけるとパリパリとけっこうイケるそうである。ともあれ、かくして地上に出た蝉たち、そのオスたちは、彼女を求めてそれぞれの音色で魂の叫びを地上に響かせ、メスたちは卵を産む。成虫になってからの栄養も導管液だが、木の幹の構造上、導管液を吸うと師管液も入ってくるらしい。それこそ、蝉にとっての口福であろう。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
川上 誠
勤務先:川上歯科医院

編集者後記


今月もメルマガをお読みいただきありがとうございました。
太宰府市と筑紫野市にある宝満山の登山道には、この時期「わずか1cmくらいの小さな子ガエル(ヒキガエル)の登山道を登っています。足元にご注意くださるようお願いします」という看板が立てられます。

5月下旬頃から麓の池でオタマジャクシからカエルになり、標高差600m、2.5kmほどの道のりを経て山頂に向かうため、登山者に注意を呼びかけているのです。

約1万~10万のカエルたちが1ヶ月かけて山頂を目指すものの、道のりは過酷な上に外敵も多いため山頂にたどりつくのは数百匹程度と言われています。このように毎年何万匹ものカエルが山頂を目指すのは非常に珍しい現象で、太宰府市の市民遺産にも登録されています。

6月に入って3回ほど宝満山に登りましたが、まだカエルには遭遇できていませんが、1匹でも多くのカエルが山頂までたどり着ければいいなと願っています。

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https://note.com/open_platform/

(いわい こずえ)
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ご意見、ご要望などお待ちしています。
編集:NPO法人ウェルビーイングいわい こずえ jimukyoku@well-being.or.jp
NPO法人ウェルビーイングホームページ http://www.well-being.or.jp/

<NPO法人ウェルビーイングのface book>
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