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オープンプラットホーム通信 第173号(2021.7.15発行分)

オープンプラットホーム通信とは、福岡を拠点に活動していうNPO法人ウェルビーイングが毎月発行しているメールマガジンです。noteではバックナンバーを公開していきます。
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喫茶去 第72回 死ぬということ 願わくば上手に(11)不死の苦しみ


ここでギリシア神話に目を転じてみます。ギリシア神話の人間の死の起源や不死の探求は、創世記のように公的に正典化された書物特有の「一定の物語」をもっていません。それどころかゼウスやヘルメスのような神々の世界の記述のほかに、人間がいつどのように生まれた(造られた)かも判然としていないのです。この不安定なあいまいさは、同じ神話でも古事記や日本書紀に代表される日本の神話よりもはるかに分かりにくい状態です。前8世紀のホメロスや全6世紀のヘシオドスをはじめ、紀元前後のオウィディウスや2世紀のアポロドロス等々の定番の古典群はあるのですが、そこに物語の濃淡と異同があるので、近現代のリライト担当者たちは研究者を含めてそれぞれの工夫と決断をこめて神話を再構成することになります。ただそうしたなかにも比較的はっきりと共有された前提として、神々は不死であるが、英雄たちは死ぬ運命にある、というのがありました。英雄とは神と人間の間に生まれた存在(半神半人)で、アリアドネの糸の導きで牛頭人身の怪物ミノタウロスを倒したテセウスや、十二の冒険(偉業)をなしとげた怪力のヘラクレス、トロイ戦争で唯一の弱点であるかかと(アキレス腱)を射られたために戦死したアキレウスらがそれです。

これら英雄のうち、ヘラクレスをめぐる物語に不死にかかわるものがふたつあります。ひとつはかれ自身の死にあたって、その塗炭の苦しみと祭壇の炎の中の死、そうして父ゼウスによる神としての復活=神化の話。もうひとつは、ヘラクレスがその「十二の冒険」の途上でコーカサス山に縛りつけられたプロメテウスを救出する話。どちらもたいへん面白い展開なのですが、ヘラクレスが神になる話はあまりにひいでた英雄譚の一片であり、いま考えようとしている不死の探求からはかけ離れています。もうひとつはどうでしょうか。プロメテウスの神話を早足でたどってみます。

プロメテウスは人間にとっては忘れがたい文化のもたらし手でした。秘められたゼウスの「火」をウイキョウの茎に隠してわれわれのもとに届けてくれた神だからです。ところがこれに怒ったゼウスは、かれを捕えてコーカサス山に縛りつけ、それも工人ヘパイストスに命じて逃れようのない拘束具によって永劫の苦悶を与えました。鷲が日々その肝臓をついばむという苦痛が何万年とつづいたときに、十二の冒険のさなかのヘラクレスが通りかかってその鷲を殺し、プロメテウスのいましめを解こうとしました。しかし、そのためにはゼウスの出した条件がありました。誰か不死の者が死に赴くことが必要だというのです。おりしもヘラクレスは第四の冒険(エリュマントスの猪狩り)の途上で、ケンタウロスのケイロンを誤って弓で射てしまったことがありました。その矢には第二の冒険(レルネーの水ヘビ退治)で成敗したヒュドラの毒胆汁が塗ってあったので、射られたケイロンは不死の身ながらに不治の傷にひどく苦しむことになりました。その苦しみから逃れるためには死ぬしかないと考えたケイロンは、むしろこれを好機としてゼウスに自死の意向を伝えます。これによって本人は不死ゆえに永遠につづく苦しみを免れ、プロメテウスもゼウスの報復から逃れることになりました。ちなみにケンタウロスは人頭馬身の、ふつうはおおいに野性的で攻撃的な神々ですが、ケイロンは例外的な知恵者・技術者として知られており、ヘラクレスに武術と馬術を、アスクレピオスに医術と薬草の知識を与えた人間にとっても大切な存在でした。

この神話から学びうることは何でしょうか。ケイロンもプロメテウスも、ともに塗炭の苦しみ下にありながら、皮肉にも神であるゆえの不死性がふたりの苦悶を永劫に続くものにしていました。プロメテウスに死の願望があったかどうかは不明ですが、ケイロンは少なくともそうした願望をもってこの「身代わり」(というのか)の出来事に対処したようです。前回まで考えてきた「不死の探求」とは正反対の願いですね。死にたいのに死ねないという事態。なお、その死の願望の理由としては、毒による苦しみが第一に挙げられますが、もうひとつ。不死に飽きていた、という説がありました。不死ゆえの苦しみと、不死への飽き飽きした感情。この二点には深い意味がありそうです。

なるほど、この角度からもういちどギルガメシュ叙事詩にもどってみると、ウトナシュピティムははたして何を生きがいにしているのでしょうか。孤島で何を楽しみにしているのでしょうか。この問題は微妙です。死なないというよりも死ねない、という暗澹たる孤独です。これについてメソポタミア学者のTh.ガスターは叙事詩の解説のなかで「適度の不死性」と述べました。ふむ。

  
☆☆筆者のプロフィール☆☆
関 一敏
勤務先:NPO法人ウェルビーイング・ラボ


感じ考え組み立てる 第49回 インストルメントから考える


ベトナム、Nam Dinh看護大学への集中授業、モジュール2がやっと先日終わりました。

前回のメルマガでご紹介したように、Nam Dinh看護大学はアメリカのテキサス州にあるベイラー看護大学をモデルとしており、教科書も同じものを使っています。この教科書*を前にして、どのように教えたらよいか、ずいぶん考えました。教科書通りに形式的に話を組み立てることも考えたのですが、それでは用語の説明に終わってしまい、ナムディンの学生に量的研究の興味深さを伝えることができません。迷った末に、前回のメルマガにお示しした方針「単純なInstrumentを何種類か示し、そこから文献にも親しんでもらえるような教え方」を採用しました。

最初に取り上げたのは、もっとも単純なInstrumentとしての「対象者の一属性(年齢、経験年数、家族人数etc.)の値を問う質問」です。ふつう「一属性の値」は「調査で最初に聞く基本情報としての一項目」とは理解されても、「その一属性の値」を起点として、研究を進め、結果を得て、論文まで書けるとの見通しは、なかなか生まれません。しかし、実は、たった一つの属性の値からでも研究を進め、最終的にはそれで論文を書くことも可能です。つまり「一つの質問」を「最も単純なInstrument」と位置づけることが可能です。こうした一つの質問の例として、まず「あなたの初潮年齢は何歳ですか?」と「あなたの妊娠回数は何回ですか?」を取り上げ、そのような質問(Instrument)を出発点として、「どう研究を進めるか」「どのようなResearch questionを立てるか」「結果を集計するときの課題は何か」「得られた値の信頼性や妥当性をどう評価するか」「どのような考察が可能か」などを話していきました。

今回の集中講義では、話が進むにつれて学生たちの質問が増えてきたことが興味深く思われました。特に後半の授業では質問が多く、また私の説明を聞いた後で、休憩時間中も、彼らなりに意見の交換をして理解を深めていた様子です。彼ら同士の話はベトナム語のため、ときどき使われる英単語から内容を推測することしか出来ませんでしたが・・・。

学生たちは、思いもかけないテーマも関心を示しました。例えばデルファイ法について、一応、教科書にその項目があるので話をしたのですが、ことのほか関心を示す学生が多く、1時間くらいで終わるはずが、その倍以上の時間がかかりました。

「量的研究のInstrument (道具)」という捉え方についても、研究の出発点となる概念(concept),そのconceptを量的に測定可能な事象へと具体化する過程(operationalization)について、「それぞれが具体的にどのような事なのか」などの質問も多く、基礎的なことをしっかり理解しようとする学生達の熱意が伝わってきました。

そして特に興味深かったのは最後の最後、日曜の夕方、そろそろ終わりの言葉を述べようとする段階になって、「量的研究と質的研究の違い」についての質問が出てきたことです。量的研究への理解が進んだ結果、最後に、質的研究へも、改めて関心が広がってきていることがわかりました。

*Waltz. C.F., Ora.L.S., and Elizabeth.R.L. (2010).
Measurement in Nursing and Health Research (4th edition).
Springer Publishing Company.

☆☆筆者のプロフィール☆☆
守山正樹
勤務先:日本赤十字九州国際看護大学

ドクター・マコ At Home! (アット・ホーム)第125回 「蝶々は英語で何という?」→「バタフライ」ですよね。では「蛾は?」


ウェルビーイングのある時の飲み会で、横に座っていた守山先生(日本赤十字九州国際看護大学特任教授・東北大医学部出身)に問題を出しました。「蝶々は英語で何ですか?」当然「butterfly」と。では、「蛾は英語で何でしょう?」周りの人は殆ど答えられません。ところが、さすがに守山先生です。「moth」と答えたではありませんか。→これは発音に気を付けて下さいよ。単純に「モス」って発音すると、苔という意味の「moss」になってしまいますので。で、川上はそこでハタっと気づいたのが、昔の、「蛾」が巨大になった怪獣映画の「モスラ」はここから来ているのかあ!ってこと。要するに今頃になって『怪獣の名づけの方法』に気づいたわけで・・・。

一昨年12月のこのメルマガで、2003年東京大学入試の数学問題=『円周率が3.05よりも大きいことを証明せよ』という問題を出しましたので、今回は英語です。

ではここで問題です。次の英訳文の原典は何でしょう?

The current of the flowing river never ceases,yet the waters never remain the same. In places where the current pools, bubbles form on the surface, burst and vanish while others form in their place, never for a moment still. People in the world and their dwellings are the very same.

分かりますか?

これは、ある古典の冒頭をピーター・マクミランさんが英訳したものです。彼によれば「枕草子」や「徒然草」は冊子に平仮名で書写されるのに対し、この古典は巻子本に漢字仮名交じり文という形式で書かれている、ということです。これは典型的な「記録」の形式なのだそうです。

→はい、はい。答えは「方丈記」ですね。(受験勉強時代に学びましたよね?)

彼はアイルランド出身で、88歳の老母の世話をするために、里帰りをした際にも、この方丈記を思い出し、『災害がもたらす悲しみや、容赦ない老いのスピードに違いないんだなあ』と感じたそうです。そして、あのアイルランドにある障害者施設の外壁に、次のようなエミリー・ディキンソンの詩の一節が記されているとのこと。

「愛される者に死は訪れない。愛とは不滅だから」
=Unable are the loved to Die, for love is immortality.

彼は続けて書いています。川は流れ、泡は浮かんでは消えていくが、私たちの愛は、そして私たちが愛する人々は、永遠に生き続ける、と。コロナのワクチン接種も進んできました。WB理事はほとんど二回接種を済ませています。あともう一息です。上記のような流れに沿って生きるためにも粘りましょう!

☆☆筆者のプロフィール☆☆
川上 誠
勤務先:川上歯科医院


編集者後記


今月もメルマガをお読みいただきありがとうございました。
福岡は、まん延防止等重点措置が解除され、通勤で通る警固公園の柵が撤去され、日常の風景が戻ってきました。また、この時期開催される博多山笠の舁き山行事は中止になってしまいましたが、今年は飾り山笠は市内の各所に飾られ、少しお祭り気分を感じることができました。

(いわい こずえ)
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ご意見、ご要望などお待ちしています。
編集:NPO法人ウェルビーイングいわい こずえ jimukyoku@well-being.or.jp
NPO法人ウェルビーイングホームページ http://www.well-being.or.jp/

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