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オープンプラットホーム通信 第183号(2022.5.25発行分)

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喫茶去 第82回 よいということ


いく年か前に俳句の独習に『ちびまる子ちゃんの俳句教室』(集英社、2002)を最初に買って、ふむふむなどと寝っ転がって読んでおりました。なかに編者の夏石番矢の句があってびっくりして(もじどおり)跳び起きました。

〇未来より滝を吹き割る風来たる(1985)

すごいなあ。こういうのをひとつでも作れたならば本望だと心底からふるいたって、正岡子規とかれの推奨する蕪村をぼちぼち読み始めました。そのなかで独習者に手をさしのべてくれるのは、いわゆる入門書よりも多少高度でも、これまでの先人たちのよい句を選んで深く解説してくれる本だと観じて、小西甚一『俳句の世界 発生から現代まで』(初版1952、改訂版1981、講談社学術文庫1995)と、山本健吉『現代俳句』(新書版1951-52、新版1962、角川文庫1964)を熟読することにしました。じつはこれ、まだ途上です。その理由や、先人たちとのつながりの得方(伝統とのつきあい方)については、いずれ書くことにして、ここに、今の季節(春から初夏)にあう句を上の『現代俳句』からひろってみます。それぞれの俳人の本領は(なぜか)秋や冬に集中している印象があるのでかれらには不本意かもしれませんが、それはそれ。このブログでは一文字下げがきかないようなので、かわりに〇をつけておきます。

〇五月雨や上野の山も見飽きたり(正岡子規)
〇囀りの高まり終り静まりぬ(高浜虚子)
〇花散るや耳ふって馬のおとなしき(村上鬼城)
〇かたまって薄き光の菫かな(渡辺水巴)
〇青天や白き五弁の梨の花(原石鼎)
〇山吹や根雪の上の飛騨の径(前田普羅)
〇谺して山時鳥ほしいまま(杉田久女)
〇物の種にぎればいのちひしめける(日野草城)
〇来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり(水原秋櫻子)
〇壺にして深山の朴の花ひらく(水原秋櫻子)
〇夏の河赤き鉄鎖のはし浸る(山口誓子)
〇方丈の大庇より春の蝶(高野素十)
〇花散るや鼓あつかふ膝の上(松本たかし)
〇葉桜やすずろに過ぐる夜の靴(金尾梅の門)
〇沈丁にはげしく降りて降り足りぬ(中村汀女)

同じコトバを使いながら、なぜこういう次元のコトバにとどかないのかという隔靴掻痒の思いはいつものことなので、これらの「よい」表現にとどかぬゆえんを自問自答しながら句作をかさねる現況です。


さて気分と角度をかえてこれから「よい」ことについて考えます。形容詞なら「good」副詞なら「well」です。個人的には半世紀前の修士論文で、フランスの社会学者が「よいこと le bien」をキーワードにしていて、その深さを測りかねて往生したのが始まりです。作家きだ・みのる(社会学の翻訳家としては山田吉彦)はこれを「善」と訳してわかりやすい絵解きをしてくれなかったので、多少の恨みをこめてタナにあげておりました。今ならプラトンの善のイデアから、直近のウェル・ビーイングの活動が目の前にあるので、いくらか明快なことを考える素地があるよなと考えて、この問題をタナからおろすことにしました。というか、歯もかけ、あしもともふらつきはじめている昨今、これをやらないともはやそれまでだという終わりに近い現状認識でもあります。いつやるのか? 今でしょ、などと遅ればせの合言葉を景気づけにしてと。ひとは死ぬという有限の状況にあるからこそ、無限につながろうとして俳句の世界にふみこんでゆくのだと小西甚一の本にもありました。うむ。つながりたい。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
関 一敏
勤務先:NPO法人ウェルビーイング・ラボ

感じ考え組み立てる 第58回 プチプチからの冒険


前回、二度目の退職とリセットについて書きました。その退職後、2ヶ月目に入り、様々な整理を始めました。プチプチの原稿をまとめるのもその一つです。プチプチに触れて何を感じるかは、これまでの3年間も色々と原稿に書いてきました。現在は触れることの意味を考察しています。どのような概念をプチプチと結びつけて考えるかにより、原稿を書く方向が違ってきます。今回は冒険を取り上げます。

冒険は日本国語大辞典を引くと「危険をおかして行なうこと。成否の確実でない事をあえて行なうこと。また、そのさま。」とあります。

4年前、前例の無い試み、プチプチで授業する、を始めたとき、私にとっては冒険でした。ウェルビーイングのゼミでプチプチを紹介したときも、いくつかの学会でプチプチの活用を発表したときも、冒険でした。このプチプチからの冒険は、今も続いています。・・・

さてここまで書いて思い至ったのは、実はこれまで小さな冒険はたくさんしてきたということです。例えば35年前、健康診断の結果を受診者自身が描く「手書き顔グラフ」を始めた時もそういえば冒険でした。一同に会した数十人の初対面の人々に「あなたにとって無くなったら困る大切なものは何ですか?」と質問し、さらに交流してもらう方法Wifyを、公衆衛生学会の自由集会で、20数年前に初めて行った時も冒険でした。しかしこれまで,私自身の試みに,冒険という言葉を使ったことは,ありませんでした.冒険と位置付けて考えるのは,今回が初めてです。

では世の中の傾向としては、言葉「冒険」はどのくらい使われているのでしょうか。学術データベースCiNiiを使って直近の1年間で調べたところ、313件の文献がヒットしました。文献の題名から推測すると、「飛ぶ教室(副題;児童文学の冒険)という総合誌が光村図書から刊行されていることもあり、殆どが文学のジャンル、中でも物語や随筆で使われているようでした。他方、以下のように、学術的な文献と判断されるものも、わずかですが、見当たりました。

・進化のじかん(※)五感の遺伝子をめぐる冒険  ※31から34、計4編。
・「医療社会学の冒険※ 新型肺炎COVID-19の時代に」 ※24から26、計3編。
・ゼミから始まる学問の冒険:東北学院大学法学部 玉井裕貴ゼミ(倒産法)
・大学における冒険教育の教育的意義<研究ノート>--冒険教育研究の動向と展望
・「冒険社会学」という視座についての覚書
・『現代神学の冒険――新しい海図を求めて』芦名定道著
・機械学習をめぐる冒険
・授業動画をめぐる冒険2001-2021

これらを見て、メルマガ読者の皆さまは、どのように感じられるでしょうか。私は、学術分野において、冒険が減って来ていることを感じます。

すでにジョン・ホーガンは1996年の著書『科学の終焉』(The End of Science)で、純粋科学(pure science)を「宇宙とその中での私達の位置を理解しようとする人間の原始的な探検」と捉えた上で、科学が発達するほど探検すべき分野が減り、「いまや純粋科学は終焉を迎えようとしている」と結論しました。ホーガンは探検という言葉を使いましたが、彼の主張は「冒険」についても、当てはまると思います。

科学が進むと、様々な知識や情報が整頓管理される一方で、冒険は少なくなるように感じられます。

しかし、それでも私は、冒険は大切だし、冒険を失ってはならないと思います。冒険について考えるとき、必ず思い出すのは、ポール・トゥルニエの以下の言葉です。

「このように、人類のすべての企ては、発見とそれにまつわる数知れぬ困難や、即興的なものへの沸き立つような熱情を持って始められたが、少しずつ組織化され、進歩するにつれて標準化し、そして平凡化して慣れに落ちてしまった。こうなると企ては初期の原型よりずっとうまく非の打ち所もないように進んで行く。しかし冒険の喜びは去ってしまった。もう一度この喜びが沸き起こるためには他の道を見つけ出さなければならない。」ポール・トゥルニエ「生の冒険」8ページ、久米あつみ訳、ヨルダン社、1971年

さて、再びプチプチからの考察に戻ります。なぜ私はここまでプチプチにこだわるのか、それは指先から冒険ができることです。どのような冒険ができるのか、以下は次回に続きます。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
守山正樹
勤務先:NPO法人ウェルビーイング・ラボ

ドクター・マコ At Home! (アット・ホーム) 第134回 巣鴨プリズンと米軍捕虜生体解剖事件(九大)現場があった現歯学部キャンパス


我々が歯学部を卒業した昭和の時代まで、その鬱蒼とした建物はまだキャンパス内に存在しました。しかも歯学部の建物のほぼ中心に位置する場所に。先輩たちから「あれが戦時中、米軍捕虜を生きたまま“解剖した”事件の現場になった建物だよ」と教えてもらいました。
 
この事件は終戦の年の5月ごろに実際に起こった事件であり、遠藤周作「海と毒薬」作品の基になった出来事でした。取り調べ最中に、中心人物の石山教授は自殺。その他の関係者は終戦後、軒並み「戦犯」として拘留・取り調べを受けました。その不名誉な建物を、早く“抹消”したかったのか、現在はもう解体処分されてその建物は影も形も在りません。

そして、2019年3月の朝日新聞土曜版特集として「巣鴨プリズンへの道」と題した記事が載っており、東京・池袋にあり、若者であふれている60階建てビル複合施設「サンシャインシティー」が、かって「巣鴨プリズン」と呼ばれた場所で、敗戦直後の45年11月GHQは、この地にあった東京拘置所を接収、戦犯刑務所を開設したのだ、と紹介されていました。

6棟の監房棟が並び、A級、BC級戦犯が多いときには2千人近く、のべ4千人以上が収容されました。開戦時の首相だった東条英機ら60人の処刑が50年まで続いたそうです。理不尽だったのは上官の命令に従うしかなかった下級兵士のBC級戦犯と、捕虜監視員として徴用された朝鮮人戦犯たちでした。BC級戦犯で984人、朝鮮人戦犯で23人が刑死しました。記事には、収容された彼らの獄内での活動経過を著してありましたが、とにかく不条理の極みです。その中から、テレビドラマ「私は貝になりたい」が生まれ、筆者は子どもの頃、フランキー堺主演のものを観て、数年前に中居正広主演でリメイクされたものも観ました。その昔、原作を読んで衝撃を受け、映画化の脚本を引き受けた安部公房は「ここに真の平和主義者がいた」と驚いたのだそうです。戦犯ゆえに誰よりも戦争と向き合い、戦争に対する憎しみも持つ人々だったのです。

つい数年前に、最後の生き証人で、当時若い医師で首謀者ではなかった、産婦人科医が亡くなりました。

この2つの戦争遺物を、その時代に生まれ合せていない我々が批判する資格はないのでしょうが、つい数十年前にはそういう建物があり、その中で極めて不条理な出来事があったのだということを、記憶に留めておく必要はあるでしょう。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
川上 誠
勤務先:川上歯科医院

編集者後記


今月もメルマガをお読みいただきありがとうございました。
先月から商品の企画会議を行っています。診療室でフッ化物をお勧める際に使える媒体を作っています。昨年から企画はあがっていたものの、なかなかかたちになっていなかったので、今年は毎月会議をしながらかたちにしています。どんな商品ができるのかご期待下さい。

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(いわい こずえ)
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編集:NPO法人ウェルビーイングいわい こずえ jimukyoku@well-being.or.jp
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