オープンプラットホーム通信 第182号(2022.4.22発行分)

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喫茶去 第81回 死ぬということ 願わくば上手に(20)


ディオニュソス(バッカス)の神話をながめていて気づくのは、この神のもつ奇妙な暴力性と陽気さと、そして何というのか、めげない柔軟さと強靭さというような不思議なありようでした。葡萄の木の発見者であり、葡萄酒の発明者であることから、お酒の芳醇さと狂気のイメージがそこに伴います。訪れる先のあちらこちらで軋轢を生んで、領主たちから疎んじられる一方で、女たちをまきこんで狂乱の秘儀をくりひろげる厄介な存在。それぞれ職能の定まったギリシアの神々のなかでも、何か融通無碍で、とらえどころのない、それでいて魅力に富んだ無視できない個性のもちぬしとして描かれます。愛でも和平でも戦闘でもなく、そのいずれにも深く関与する横断的な個性と云えばよいでしょうか。

だからでしょうか。かれをめぐる研究書には異様なまでに熱のこもった大部なものが数多くあるのです。そしてそれぞれの研究のキーワードには、学術書からはみ出るように突飛なものがあふれています。いわく、「破壊されざる生」「湿潤」「鼓動」…。このうち「破壊されざる生」というのは、ギリシア語の「ゾーエ」で、個々に分断される(たとえばわたし個人の命のような)生命である「ビオス」を超えて、連続してあるナマの生をさしています。うん。日本語の発想にはない(みつかりにくい)語感です。でも、もっと古典的な研究書にある「植物神の死と復活 あるいは生と再生」のイメージをもってくれば、多少ともわかってくるはずです。生の連続性。途切れない生命のありようをさしたコトバです。日本の民俗学者たちはここに着想を得て、稲の霊(イナダマ)が冬を超えて春に再生するさまを穀霊のいのちの連続性として描いています。いっけん死んだかのような冬のイナダマは静かなおこもり状態で厳しい季節をとおりぬけて、春の芽生えを謳歌する。その死の季節はじつは「ふゆ」=「殖ゆ」で再生の準備でもあり、再生そのものの目には見えにくいが確かにあるプロセスなのだと主張しています。

ディオニュソスが諸国をめぐる「凱旋行列(練り歩き)」を蜿蜒(えんえん)とくりかえしていることは、この神のいちばんの特徴でした。酩酊のまま各地を群れなして行進するのです。ヒョウやトラに曳かれた車に主人公が乗り、そのお供に、酒を片手にした巨漢のシレノス、山羊の角のサテュロス、ときに凶暴なマイナデス(狂信女、バッコスの信女、バッカイ)らが連なって、鉦や太鼓をドンジャン鳴らしながらあちこちで狂騒をくりひろげるという一種異様な集団です。もしアニメーション映画に親しんでいるひとなら、今敏(こん・さとし)監督の『パプリカ』(2006)に出てくる悪夢のパレードを思い起こせばよいかもしれません。蛙たちのラッパにあわせた電化製品や招き猫や人形たちの行進が、意味も目的もなく練り歩くようすには、現実をくいやぶる悪夢の力がこめられていて、わたしたちはそれを観て、ギョッとするような驚きをおぼえます。しかもなにか懐かしさもあって、つまり驚きながら心惹かれるという厄介な感じ。この厄介さを神の造型に求めるというギリシア人たちの想像力の結晶がどうもこのディオニュソスらしいのです。

このうねうねと途切れることのない異様に騒々しい行列は、ニイチェの芸術をめぐる古典的な分類を想起させます。「アポロン型」と「ディオニュソス型」ですね。アポロンは空間的芸術(造型)を、ディオニュソスは時間的芸術(音楽)をそれぞれ表します。ふむふむ。すると、うねうねととぎれないかれらの行列は、空間で仕切ることのできない時間の流れ=音楽の象徴ではないのか。そうであるならば、この神がとらえようのない、と同時に魅惑に満ちた不思議な存在であることにも合点がゆくでしょう。ほかの神々の安定的で固定したな造型を、この神だけはその流動性と持続性ゆえに拒んでいるからです。研究者たちのひねりだしたキーワードが、多くとっぴもない語彙であることには確かな理由がありました。古色蒼然とした空間的な棚(カテゴリイ)にはおさまりきらない相手だからです。なるほど、こういう神のかたちを造りえたギリシア文化というのは、やはり凄い。

ではディオニュソスがこうして生の連続性とその横溢をあらわすことと、その一方で死にも深くかかわることをどう考えればよいでしょうか。前回、引用した事典の項目にも、秘儀と深くかかわって「冥界神」ともなる、とありました。明晰には分節されないある種の「生」の渾沌の表象は、同時に「死」という連続性の切断としてもあらわされます。流れる音楽の止まることのない時間をたちきること。生の歯止め、輪郭としての死、と云えばよいでしょうか。この切断と輪郭なしには、生の秩序は成立しない…。ギルガメシュ叙事詩の研究家ガスターの「適度な不死性」という表現を思い起こしてみます。はてしない不死性の欲望が、じっさいには何をどうしたいのか分からない状態であることは、この連載でもくりかえし述べてきました。ここで適度とは、われわれの想像力の届く圏内にあること、不死ではないという人間的条件にみあった範囲内のことがらを意味します。芸術家や詩人たちがコトバの領域で、そうして武道家やスポーツマンたちが身体の領域で日々努めているのはこの人間的条件の突破と拡大です。でなければそれを読む者、それを観る者をあのように感動させることはないはずでした。ここに音楽家をいれこむなら、それがディオニュソス的な生の横溢とコントロールにもっとも近接した仕事として、それを聴く者たちに感動を与えつづける仕組みがみえてくるでしょう。

そうですね。
孤島にともなう一冊の本は「季寄せ」にする。
葬儀のレクイエムは さて。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
関 一敏
勤務先:NPO法人ウェルビーイング・ラボ

感じ考え組み立てる 第57回 二度目の退職とリセット


ほぼ6年前、最初に退職したとき、リセットについて書きました。まず要約します。


この半年の間に自身の物の見方考え方が3回reset されました。" 変化" というより「全てが一新される」感覚から「reset」と表現します。

第一のreset は退任前の最終講義(2015年12 月)とその後のネパール行きの中で。最終講義ではこれまでの仕事を振り返り、公衆衛生活動の全体を図一枚にまとめました。しかし2週間後、カトマンズ市内、バグマティ川まで行った際のこと。・・・受胎前から死後までも含まれ得る本来の公衆衛生活動の姿に、最終講義でやっと到達できたのに、バグマティ川岸の光景はその遥か先を示していました。

第二のreset は2016年3 月末の研究室の整理の中で。長年開けることがなかった戸棚を次々に開け、本当に大切なもの以外は全て捨て去る作業を繰り返す中で、20 歳代から現在(65 歳)に至るまでの様々な記憶が自分の中を通り過ぎ、そしてそれらを葬りました。

第三のreset は退職後の2016年4 ・5 月。大学入学から就職・定年に至るまで半世紀近くを過ごした医学部の世界を離れ、看護大学に再就職したことが契機です。最寄りのコンビニまで数キロ、毎時間一本の路線バスで最寄りのJR 駅まで20 分、緑が眼に沁み、夜は蛍が飛び交う環境で,ベトナムでの集中講義,国際赤十字の人道危機対応研修,インドネシアの大学訪問などが押し寄せるなか,resetが進んでいます。


さて、あっと言う間に6年たち、先月末(2022年3月)、看護大学での仕事を終えました。二度目の退職です。そして4月の今、振り返ると、あの3回のresetは、遥か昔のことと感じられます。その後に起こった様々な変化は、第4のresetと言えるでしょうか? この間に考えたことは、メルマガにも書いて来ました。

・弾力性のある物体(プチプチなど)を介して考え始めた。
・100年以上前に活躍した人々に関心を持ち始めた
 (ナイチンゲール,コメニウス,・・)。
・わが国における概念(たとえばwell-being)の流行が気になりだした。
・効率主義の下で見失われがちなものが気になりだした。
・様々な声が形作るポリフォニーをより強く意識し始めた。
・・・

まとめると「物の考え方の変化」となりそうです.コロナ禍の2年間も大きく影響しています.そして,6年前,3回のresetと異なる点がもう一つ、resetが終わらなくなってしまったように感じます。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
守山正樹
勤務先:日本赤十字九州国際看護大学

ドクター・マコ At Home! (アット・ホーム) 第133回 歯科医師が主人公である小説を見っけ!


医師が主人公の、映画・ドラマ・小説・漫画・アニメなどは、無数にあります。『ドクターX』しかり『ブラックジャック』しかり。でも歯科医師が主人公の小説はほとんど見かけませんでした。

本業が歯科医師(大阪歯大)かつ小説家は、上田秀人さんがおられ、人気も博しているようですが、彼が書いているのも歯科医師が主人公の小説ではないようです。

そしたら、やっと見つけました。とりあえず歯科医師が主人公の文庫本・小説を。「もう一度走りだそう」川島誠著(角川文庫)。(どうでもいいけど、著者名は筆者(川上誠)とは一字違い)

主人公は36歳の、開業歯科医であり、高校時代は陸上部で400mハードルをやっていたハードラー。そして、最近、夜間や自宅と医院との往復通勤にランニングを始めた感じ。奥さんの父親が経営する歯科医院にしばらく勤務した後、開業した、らしい。

身長が186センチ、体重78キロ。高校時代の記録は全国3位。スポーツ推薦で大学に入れる程のレベルではあったのだが、既に高校時代に、歯科医の一人娘と交際しており、なぜか18歳の時点で、その娘との結婚を決めており、歯学部の受験もその進路の中にあったとのこと。良いですねえ、高身長だけでなく、このすぐ開業に結びつく境遇。筆者とは大違い。

しかも、外見が良くてもてるのか、医院に来ているアルバイトの女子学生や、古参の独身の衛生士とも関係を持っている。これも筆者とは大違い。羨ましい?なあ。

クリニックの経営は順調で、美しい妻と可愛い子に恵まれ、成功した人生を送っていると感じている若き開業歯科医。この点も、だいぶ違うかな?

この小説の中には、「リーマ」とか「レジン」とか、歯科用語がふんだんに出てくるので、『この著者は、歯科医なのかな?』と思うくらいですが、プロフィールを見ると、京都大学文学部卒。なんで、こんなに歯科に詳しいの?って尋ねたい程です。

そして主人公の妻は、なぜか小説を書くことに没頭しており、小さな賞なども受賞するくらいには優秀な書き手になっています。そして、この妻にも何やら「不倫」の匂いが・・・・・

後半はこの二人の関係性が色々動いていくのが、この物語の肝なのですが、あまりここで書くとネタバレになりますので、これ位にしときますが、ランニング練習の様子とも、絡んで、(川上の現実生活とはだいぶ異なるものの)面白い展開になっていきます。
 
ただ、言えることは、医師の小説とは違い、患者さんの生死とか健康とかがテーマではなく、何かしらチマチマとした歯科医師らしい小説でした。

☆☆筆者のプロフィール☆☆
川上 誠
勤務先:川上歯科医院

編集者後記


今月もメルマガをお読みいただきありがとうございました。
メルマガの発行当初は、まぐまぐ(メルマガの発行サイト)でバックナンバーを見ることができていました。しかし、数年前にそのサービスがなくなり、過去の記事が見られなくなってしまいした。
読者やメルマガを執筆してくださっている先生方より、過去の記事を読み返すことができた方が良いとの声がありましたので、今年よりnoteでバックナンバーの公開を始めました。今年は月に4本ペースで過去の記事をアップしていくのが目標です。noteの方もよろしくお願いいたします。

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(いわい こずえ)
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編集:NPO法人ウェルビーイングいわい こずえ jimukyoku@well-being.or.jp
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