【速報】寒川神社の御浜下り【千葉】
寒川神社(千葉市)の例祭の中で行われた御浜下り(おはまおり)の模様を速報でお届けする。
神輿の海中渡御自体は珍しいものではないが、近年は担ぎ手不足の問題もあって減少傾向にあるようだ。
寒川神社の場合は昭和30年代後半に一度中断したが、平成12(2000)年に復活し、現在も継続しているという。
市の地域無形文化財にも指定された御浜下りの現在について見ていくことにしよう。
■御浜下りとは何か■
三方を海に囲まれた房総半島では、神社の祭礼において海に向かって神輿を渡御する事例は多くあり、「おはまおり」「しおふみ」「おはまで」などと呼ばれている。
その意味するところは豊漁祈願であったり、海を故郷とする神さまに一度里帰りしていただき、戻ってきてもらって再び守っていただくなど、社によってもさまざまである。
寒川神社の神輿が海に渡御するのは、一言では説明しきれない歴史的経緯によるものだ。順を追って説明する。
寒川神社といえば相模国一の宮があまりにも有名だ。
しかしながら、千葉の寒川神社も延喜式神名帳に記載された、いわゆる式内社(※)であり、相模国より勧請したという事実はない。
(※船橋市三山・二宮神社とする説もあるが、この問題についてはひとまず置く)
寒川比古命、寒川比売命は相模国の寒川神社と同様であるが、これは後に相模国にならってつけ加えたものではないかと菱沼勇『房総の古社』は指摘している。
寒川神社は天照大神を祀る神明社であり、寒川村一帯の総鎮守でもあった。
この記述だけでも、当社がこの地域において強い力を持っていた様子がうかがえる。
■千葉神社との関係■
ところで、千葉郡にはもう一つ強大な権力を誇った社があった。
千葉妙見宮、あるいは妙見社。現在の千葉神社である。
江戸時代の妙見社の祭礼において、神輿が海(妙見州)に渡御する様子が伝えられているが、この御浜下りをつとめたのが寒川神社だった。
図式としては、天照大神を祀る社が妙見菩薩を祀る社に協力する形とはいえ、従う格好となっている。
神輿に乗っているのはアマテラスではなく、あくまで妙見さまであるからだ。
これも神仏習合時代の一つの景色といえるだろう。
明治以降も千葉町と寒川村の協力関係により祭礼は継続されていた。
その後、戦争による中断があり、千葉神社は空襲によりほとんどの建物を焼失した。
戦後に入り、寒川神社が神輿を新調したのをきっかけに、「御浜下り」は寒川神社の例祭として行われるようになったのである。
と、ここまでの経緯については何の疑問点もなく理解していた。
2023年秋に千葉県立博物館で開かれた企画展「おはまおり」を見に行った際に、パネル展示にこんな記述があった。
やはり、神社間の主従関係については寒川町の人々にも思うところがあったようだ。
パネルの左には、「妙見州でのおはま(おはまおり)は寒川の役目で、妙見様が海に入らないと漁がないと言われてきました。」とある。
今でもそうなのだろうか。
太陽神・天照大神は海の神さまではない。
皇祖神だから万能であると言ってしまえばそれまでかもしれないが。
一方、妙見菩薩は北極星(北斗七星)の尊格であり、海をゆく漁師が航海の目印にしたことからも海上安全の神としての意味を持つ。
いったい、神輿に乗っているのはどちらの神さまなのだろうか。
■現在の御浜下り■
歴史的経緯について、もう一点だけ追加しておく。
かつて、出洲海岸と呼ばれた場所に大鳥居が建っていた。
だが、昭和30年代後半の埋め立て事業により出洲海岸は消滅。
「御浜下り」は船上渡御という形で続けられることとなった。
その後、寒川地区の氏子青年会を中心に復活に向けての活動がはじまり、平成12(2000)年に晴れて御浜下りが再開されることとなったのである。
現在の渡御ルート図を見てみよう。
少々込み入ってはいるが、緑のラインが車両による巡幸、赤のラインが担いでの渡御となる。
「巡幸」という言葉にピンとこられた方もいるだろう。
巡幸は天皇による巡行を意味する。
祭神・天照大御神の御霊を乗せた神輿は車両により、文字通り巡幸する。
そして、担ぎ手によって「渡御」するのは別の神さまだ。
妙見様ということになる。
人は争い、諍いも起こすが、神さまにおいてはこの限りではない。
二神は仲よく神輿に乗っておられるというわけだ。謎が解けてよかった。
■御浜下りの実際■
それでは、御浜下りの実際をごらんいただこう。
千葉県の神社の中にも神輿の渡御を辞めてしまったところはいくつかある。
いずれも担ぎ手不足が原因である。
ある関係者は、こうつぶやいていた。
「神輿が泣いてるよ」と。
御浜下りは毎年8月20日の固定開催であり、平日に行われることも少なくない。
担ぎ手不足の問題が叫ばれる中で、これだけの質を保ちながら、平成12(2000)年からコロナ禍による中断はあったとしても継続できているというのは、寒川地区・氏子青年会の努力と結束力の賜物といえよう。
神輿を下ろした龍蔵神社から千葉ポートパークまでの距離は最短で約2.1km。
無理をせず、神輿はトラックで巡幸し、担ぎ手はバスで移動する。
これも継続のための取り組みであり、一つのアイデアではないだろうか。
同様の問題を抱える関係各位にご一考願いたく、紹介させていただいた次第である。
[2024年8月20日]
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