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私のライターはじめの一歩!ミニコ誌01

こんにちは。川野です。今日は私のライターはじめの一歩について。当時の状況についても語ります。
私のWebサイトはコチラ→ http://www.opato.info

◎固定報酬5,000円のミニコミ誌のお仕事。

私のライターとしてはじめの一歩は、大手新聞の販売店が集まって立ち上げた地域密着型のミニコミ誌(月1配布)でした。コンセプトは、主婦層向けに、同じ目線の主婦ライターが地元を取材して情報を届けるというもの。ライター自身が住んでいる地域の公共サービスやイベント、話題のお店などを取材し原稿にします。報酬は固定で5,000円。月に1本原稿を提出すれば、掲載されてもされなくても支払われます。

◎専業主婦だった私にとっての好条件

当時は、長女が6歳、次女が4歳で私は専業主婦。夫はときどき夜勤もこなすなど一生懸命働いていましたが、マンションのローンと二人分の幼稚園の月謝もあり、家計はかなり厳しい状態でした。だからこそ、取材は自転車で回れる範囲でいいOK。経験ゼロの私が、取材ができて原稿が活字になって、そして、5,000円!がもらえる。なんて好条件!まさに私のためのお仕事だと思ったのです。

採用人数は30名前後だったかと。新聞の折り込みチラシで募集を知った私は、書類審査用に身の回りであったことを原稿用紙2枚にまとめて応募。そして、合格。1998年10月、主婦ライターの活動がスタートしました。

◎最初の取材先は沢庵屋さん

最初の取材先は知り合いの沢庵屋さんで、その年に漬けた沢庵の出荷が始まる頃。なんというグッドタイミング! 原稿のタイトルは「たくあんの旬は今!」とつけました。今、こうしてnoteに書きながら、翌月(12月)に原稿が掲載されたミニコミ誌を開いたときのドキドキ感を思い出し、しみじみ0から1への一歩の大きさを感じています。

◎未経験なのに取材ができた理由

なぜ未経験のだったのにちゃんと取材ができたのか? 記憶は曖昧なのですが、最初の顔合わせで編集部による説明会があったのかと。アポの取り方や原稿を書く上でのルールなどを教えてもらったのだと思います。はっきり覚えているのは、文末に「あなたはどう思いますか?」という投げかけは厳禁だったこと。最後の部分を相手に委ねてはいけないという編集長のポリシーでした。これは、20年以上たった今でも守っています。

ちなみに「書く」ということに目覚めたのは中学生の頃ですが、長くなるので別の機会に。

◎振り返って思う大事なポイント!

・これ!と思ったら迷わず応募。
・自分にとっての好条件を優先する。
・仕事のルールを守る。
・0から1への一歩は大きい。

お仕事図解0620


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