誰もが主人公だという事実

48日目(11月24日)

お昼ごはんを食べた後ベッドに寝転がったら、夜の9時になってた。
何の予定もないと、私の中の駄目な部分が全力を出してくる。怠惰に次ぐ怠惰。なーんにもできないしなーんにもしたくない。床に寝っ転がって天井を見上げると、めちゃくちゃ天井が広く見える。ていうか部屋全体が広くて、自分が小さい。
なんで今日は予定がなかったのか、それはテスト期間だからだ。テスト期間だから部活も無い。勉強をしなければいけないからだ。でも私は勉強をしない。2時ごろにたらたら「もう1日が終わるなぁ」とか思いながら湯を沸かして、インスタントのチーズリゾットを食べた。結構美味しくて、「勉強がんばるぞい」という意欲が湧いてくる。むくむくと湧いたその感情は、3時半には干からびてしおれきっていた。
とりあえず学校から持ち帰った教科書を机に並べてみる。世界史、日本史、英単語帳。数学のプリント。なんかぜんぶ灰色に見える。真グレーの重金属達が机を圧迫している。重金属だから1ページ1ページが重くてしょうがない。試しに世界史の教科書を開いてみると、あまりの情報量に目がチカチカした。よく考えてみれば1人の人間が持つ歴史だって膨大な量なのに、世界の歴史を頭に詰め込もうなんて正気の沙汰とは思えない。しかも、全員人間だから時々理解に苦しむ展開も出てくるし、一見突拍子も無いことをする奴もいる。現実の歴史は漫画と違って読者を意識してない。だから頭にぜーんぜん入ってこない。私の勉強不足と言われればそれまでなので、この話については何も思わずすぐに忘れて欲しい。

公衆トイレとかで見知らぬ他人を見ると、時々思うことがある。それは「この人も人生がちゃんとあるのやばすぎるな」ということで、それはどういう事かと言うと、一人の人間が持つ情報量って凄すぎるということだ。例えばアニメのキャラ達を見ると、もちろん主人公やその周りのいわゆるメインキャラクター達は設定が作り込まれている。しかし話の中心に据えられる事のないサブキャラ、モブキャラ達の設定は見た目やある程度のプロフィールにとどまる。
それを踏まえて現実を見てみると、頭がおかしくなりそうだ。全員が全員単行本100冊はくだらないストーリー量を持ってて、主人公以上に作り込まれたプロフィールがある。こう考えると、「誰もが自分の人生の主人公」という言葉に妙な説得力が出てくる。誰がその物語を読むのかと言われると、何も言えないが。
テスト期間に世界史の教科書に緑のラインを引いて満足している主人公なんていない。





#日記

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