2人、映画、シーツ

40日目(11月16日)

電車で2人の男性を見た。2人は間を空けて座っていたが、おそらく同じバイトをしていたのだと思う。2人は同じ不動産広告の看板を持っていた。「入居者募集中!」などの売り文句が書かれた1平方メートル大の看板は人間1人が抱えるには少々大きく、2人は自分の領域を主張し合うかのように、看板を前に置き看板分のスペースを空けて座っていた。
私はこの2人を見て「でかい駅でよく見る看板を持って立ってる仕事」だと直感した。しかし、その割には看板を持っている為の木の棒が付いていなかったし、2人の男性はいささか若く見えた。まだ力仕事も十分にできそうに見えたし、「看板を持って立っている仕事」をわざわざ選択する必要がないように感じた。なんでだろう?もしかして時給割と良かったりするのかな?ていうかそのバイトをしてたとして看板持ったまま電車に乗る業務内容って何?色んな駅でやってるのか?色んな駅でやってるのか…

※ここまで書いたことは私の予想でしか無いので何も責任は持てない

今日、初めてホラー映画というものを観た。正確に言うとホラーでは無いと思うのだが、私がその方面に明るくないため最も近い言葉を探すとホラーになってしまう。かっこ悪い言い方になってしまうが「怖い系」のくくりに入る映画を観た。「ビックリドキドキ系」でもいい。
その映画が始まる前に気づいたことが1つある。怖い映画の前に流れる予告も怖い。客層で流す広告を分けているのだろうが、こちらからすれば余計なお世話である。なんでこれから怖い思いするのにその前にちょっとビビらされなきゃいけないんだ。赤い風船とか狂ったピエロとかいい加減にしてくれ。もっと、中和させるような「くまのプーさん」とか流しとけ。ハチミツ大好き黄色いクマさんで恐怖を希釈しろ。そんなこんなで映画が始まる前から鳥肌が立ちっぱなしの私であった。

映画が終わった。スタッフロールが流れる時の音楽まで怖がらせにきてて正直引いた。友達と遊んだ後、別れの挨拶の時までボケてこられた時と同じ感覚だった。ムードを壊さないようにと言ってももうちょい手心があってもいいと思う。映画作りに容赦はいらないらしい。早く電気つけてくれ〜…という気持ちだった。

家に帰ると私のベッドのシーツが取り替えられていた。思えば今まで私は夏用の冷んやりするシーツをずっと使っていた。いつも冷え切ったベッドで寝ている私を心配してくれた親が取り替えてくれたらしい。もしくは、単純にそろそろ汚いということかもしれない。お母さんは綺麗好きなのだ。




#日記

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