そうじゃない毎日

152日目(4月11日)

 外国の映画を見てると、大体中盤くらいで主人公と誰かしらのベッドシーンになる。あれに「ん?そんな流れだったかな今?」となるの私だけだろうか。文化の違いなのか、キスシーンもなんか唐突に感じることが多い。これは私がまだ子供だからなのだろうか。だったら今すごい恥を晒してないか?くそったれ、まばたきの回数を減らすことにする。

 今日は午前の9時に起きることができた。昨日の今日で目標が達成できると思っていなかったので、正直歓喜に打ち震えた。体中で“勝利”を噛みしめた。そんなすがすがしい朝を今日は迎えた。
 昨日、昼寝をしなかった(ベッドに横になったいただけ)のが功を奏したらしい。適正な時間に睡魔が適切に私を遅い、11時に寝ることができた。正確に言えば意識がなくなったのは0時半くらいだがそれでも私にとっては大きな一歩だ。人類にとってはまあそれなりの一歩だろう。3時にようやくスマホを手から離していたいつかの私はもう居ない。これが健康なのだと確信した。いつもよりベッドが心地よかった。
 ということで今日は溜まっていたやらなければいけない事(ほんの少しのしょうもないこと)を終わらせた。いざ取り掛かってみると、あれほど避けていた作業は午前中で終わった。やれば大体のことは済む。私はいつまでたっても学習しない。実感を伴った学びをあと何回繰り返せばいいのだろうか。いやしかし。昨日までに比べれば確実に進歩している。自分の中の基準さえ超えていればいいのだ、学ぶとか学ばないとかは置いておけ。忘れたらまた学べばいいじゃないか。それよりも大事なことは、今、進んだという事実。そしてこの歩みは明日に確実に繋がる。今日の一歩、それが一番大事なことだ。

 友達の話。中学校の友達は今日10時間勉強していたらしい。え?なんで?なんでそんなことすんの?やめてよ。
 と思った。だってそんなことされたら私は何も言えないじゃないか。それは友達に対してではなく、自分自身に対して。慰めどころか言い訳すら思いつかなくなるような圧倒的な正しさ。純粋な努力の前では私の詭弁も虚しいだけだ。“費やした時間”というのはものすごく残酷で、才能やら何やらのせいにできない。責任があるとしたら自分なので、私みたいな人間はそこで手詰まりだ(年下のいとこにオセロで負けそうにかったことをなぜか思い出した)。

 そんなことを気にしていても仕方がない。仕方がないし、それをきっかけに私が急に変わる訳でもない。しかし忘れることも出来ない。頭の隅に陣取って動かず、何も言わず、昼寝をかます私をじっと見ている。なるべく目を合わさないようにするが、たまに目が合うことがある。そういう時は筋トレをしてみたりするのだが、「そうじゃない」という顔をされる。そんなことは分かっちゃいるのだけれど(結局オセロは意地になってギリ勝った)。






#日記

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