横浜駅のペッパー君

13日目(10月20日)

横浜駅の騒音はイヤホンを貫通してくるので、音楽を聴くのは諦めた方がいい。それに加えて定期的に配置場所が変わる悪臭スポットもあるので、五感のうち二感が失われることになる。そして行き交う女性がことごとく可愛いので、両の目も使い物にならない。これで、三感目。残り二つでもなんとか目的地までたどり着けるのだから、今日の私は運がいい。

横浜駅に着き、ホームの階段を降りる。あまりの人の多さにいつも吐きそうになり、結果耐えられなかったので胃液を撒き散らしながら改札にSuicaを叩きつける。後ろから女性の悲鳴とおっさんの怒号が聞こえてきたが、聞こえないフリをした。そのまま西口の階段を上がる。
その少し前、私の耳をある電子音が通過した。

「なにかお困りのことはありませんか?」

ペッパー君だ。いわゆる人工知能搭載型ロボットの最も有名なものの一つだろう。ルンバとタメを張れるのはこいつ位のものだ。よく携帯ショップや家電量販店に置かれているのは見るが、駅に設置されているのは初めて見た。もしかしたら私が知らないだけで、都会のデケエ駅にはペッパー君が常駐しているのかもしれない。都会のデケエ駅に私があまり行ったことがないのがバレてしまったが、まあしょうがない。こちらは胃液まみれでそれどころの騒ぎじやないのだ。

「なにかお困りのことはありませんか?」

その声は横浜駅を虚しく反響する。ここまでスマホが普及した世の中で、わざわざペッパー君を頼る人間がいるとは考えづらい。人々は彼の呼び声に一切の反応を示さず、冷徹にその前を通り過ぎて行く。私はすこしの同情を抱くと共に、疑問を感じてしまった。なぜこんなところに彼は置かれているんだ?
近づいてみると、案外愛らしい顔をしている。時間にも余裕があったので、近くの本屋を検索してもらった。実際のところ大体の検討はついていたので、ペッパー君に頼る必要は特に無かった。どちらかと言うと、彼の寂しさを私が見ていられなかったからだ。結局ただのただの機械なので、自己満足に変わりはないのだが。

紹介してもらった本屋は予想と反して、大通りを少し外れたところにある古本屋だった。こいういう予想外の応答をするのは、少し人間らしい気もする。行ったことのない店だったので地図を表示してもらい、その通りに進む。人の往来が少なくない路地にでた。

「本当にここに本屋があるのか?」少し不安になったが、ペッパー君の笑顔を疑う気にはなれなかった。次の角を曲がれば、本屋につくはずだった。
その時は正午を少し過ぎたくらいの時間だったのだが、あたりは信じられないほど暗かった。雲行きが怪しくなる。「引き返そう。」そう思った矢先、私の肩に冷たい手が触れる。電子音と共に私の意識は遠のいた。
「次はお前の番だ。」そう言われた気がした。

目が覚めると、先程までいた横浜駅にいた。そこで不思議なことに気づく。意識を失ったはずなのに、私は両の足で立っていたのだ。人々はさっきまで意識が無かった筈の私を気にもとめない様子だった。
辺りを見回していると、視界の端で信じられ無いものを目にしてしまった。私の姿だ。
真っ白な腕と、地面に張り付いた両足。なにより不気味だったのが、これだけの衝撃を受けても一切変わらない表情。笑顔が貼り付いているというよりは、貼り付けられている。

私は声をあげた。あまりの事態に、周りに助けを求めるしかなかった。しかし私の口からでるのはワンパターンの電子音のみだった。


「なにかお困りのことはありませんか?」







#日記

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