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こんなに悔しくて憤ることってない

どうして、教育者たる人たちが6歳の子どもに対して、命をかけるような自立を求める発言をしなければならないんだろう。
私はそのことがとても苦しくて、悔しくて、やるせなくて、憤りを覚えた。
やっぱり、公教育にはまだまだ足りないことがある。
それは、背伸びでもぜいたくでも何でもなくて、ただ目の前の子どもが安全に教育を受けるという権利を享受するという最低限のラインにおいて。

私は、このnoteを書かれたきなこさんの文章がとても好きで、更新されるたびに読みに行く。
彼女の創作は、本を手に取って読んでいるような気分にさせてくれるし、何となくぼんやりと色のついているような彼女の作風が私の心に穏やかで心地よい揺らぎを与える。

そんな作品を生み出す彼女には、重度の心疾患のある娘さんがいる。
その娘さんのことも、ことあるごとにエッセイとして綴られてきたので、私は遠縁の親戚か、近所の顔見知りくらいの感じで娘さんのことを見守ってきた。
その娘さんが、今春小学校に入学した。
「ほんとにこんなに大きくなって」
というのが率直な感想だ。
身体の自由は利かなくても、心に羽の生えているような彼女のことだ。
小学校生活を小学生らしく謳歌してほしいと願った。
しかし、その願いはたいそう困難なことだったのだ。

彼女は酸素ボンベをつけて生活している。
移動することは簡単ではないし、その機器の取り扱いだって簡単ではない。
しかし、教員の守備範囲は限られる。
ならば、学校看護師の配置を求めるがそれも叶わない。
そのときに投げかけられたのがこの言葉だと言う。
「ご本人の自立を促す方向で…」
そして彼女はこう返したそうだ。

「6歳児は健常児でも自立なんかしてません」

自立してない。

そのとおり過ぎて何も言えない。
担当者もそうだっただろう。
そうだったと信じたい。
どうしてこの担当者はこの一言を言わないといけなかったんだろう。
私たち大人が作るこの社会のどんな歪みがこの一言を言わせてしまったんだろう。

残念ながら、自治体の財政状況はその地の公教育に大きな影響をもたらす。
そして、さらに残念なのは担当者によって課題への取り組む姿勢や熱意も変わってしまうことがあることだ。
だから、今この件をどうしたら解決できるかなんてことは分からない。
でも、知ること、心に留めておくことが社会を変える小さな一歩なのだと思う。

そして、遠く離れて電波に乗せてしか言えないけれど、彼女にとって今よりもよりよい安心して学べる環境が一日でも早く用意されますように。
そう願ってやまない。

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