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親愛なる祖父母へ

昨日、久しぶりに実家の二階にある物置を開けた。
久しぶりに、と言っても、我が家の物置を開けるタイミングは実は年に2回存在する。お好み焼きを作る際にホットプレートを出す時と、12月にクリスマスツリーやサンタのおもちゃを出す時だ。
そんな素敵な思い出が閉じ込められていると言っても過言ではない物置には、もちろんホットプレートやクリスマスの装飾以外のものがそれはそれはたくさん入っている。物を置く場所「物置」と呼ぶにふさわしい空間。例えば、子どもの頃大好きだったピーターラビットの音の出る絵本。就学前に通っていたお勉強教室のテキスト。小学六年生の頃、彫刻刀を駆使して頑張って作った、でこぼこした写真立て。
懐かしいと思うものを見つけると、昔こんなことあったよな〜なつかしいな〜と感じて、明日も頑張ろうかな、って思える。昨日はそんな気分になりたくて、滅多に開けない物置を開けた。

びっくりした。DSが出てきたのだ。こんな所にあったとは.........。更にびっくりしたのは、電源がつき、普通にゲームができる状態だったことだ。使わなくなってから12年?は経ってるはずなので流石に使えないかな、と思っていた。早速DS内にあるカメラアプリを起動させる。私は小学生の頃、DSで写真を撮ることが大好きだった。目に映るもの全てを写真に収める勢いで。

データは綺麗に全て残っていた。懐かしさに耽りながらサーっと写真を見ていくと、ふと「2010/05/04」とある写真に目が止まる。
それは、亡くなった父方の祖父と祖母が自宅で介護ベッドに座り、寄り添いながらこちらに微笑んでいる写真だったのだ。


私は涙がドバドバとあふれ、止まらなくなってしまった。祖父が亡くなってから12年、祖母が亡くなってから4年。12年越しに私のまだ知らない、新鮮な2人の姿に出会うことができた。
私の知らない顔で、でも確かにそこにあった顔で、2人がこちらに微笑みかけている。その事実だけで胸がいっぱいになってしまって、2人に無性に会いたくなってしまった。

伝えたかったこと、話したかったこと、見せたかった姿、たくさんたくさんあった。それに気づいたのは亡くなってしまった後で、時々思い出しては苦しくなる。もう会えないという事実を、私は何年も受け入れられないでいる。最近は思い出して苦しい気持ちになるのが辛くて、あまり祖父と祖母に思いを馳せることがなかったような気がする。

でも写真を通じて会えた。7歳の頃にDSで撮った写真が、巡り巡って私の心にピタッと寄り添ってくれた。そして、色々と思いを馳せた。祖父は祖母をとても大切にしていて、毎年時計をプレゼントしていたんだよな、とか、家に遊びに行った時、祖母は必ず「これでアイス買ってね」と言って500円玉を握らせてくれたな、とか。

人は知らない間にどんどん記憶をアップデートしていく。忘れたくないこと、忘れてはいけないものまで忘れてしまう。
私はその写真をiPhoneで撮った。時々こうして思い出して、涙を流せるように。また会いたくなった時に、すぐ探し出せるように。

親愛なる祖父母へ、沢山の愛情をありがとう。

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