子どもから教わる「固定概念」からの解放
幼稚園に向かう車中で、息子が言った。
最近は、助手席に座るのをすごく楽しみにして、今日も乗れたことを喜んでいた。
その感情を伝えてくれて、私も幸せな気持ちになる。
つい数か月前の私だったら、片道5分のために車で行くなんて面倒だし、ガソリン代がもったいないと思っていた。
けれど、実家の宇都宮だったら、電動自転車に乗っている人の方が少数派。圧倒的に車で移動している人が多いから、それを当てはめればいい。
そう思った。
それに、息子が前向きに幼稚園へ行けたら最高じゃないか。
それにそれに、夏場は車のバッテリーがあがりやすい。近距離とはいえ、車を動かせば猛暑の夏も乗り越えられるかもしれない。
物事にはプラスもマイナスもあって、中庸でいることが大切なのだ。
それなのに、私は近視眼的な見方しかできていなかった。
息子のおかげで、「〜すべき」「〜しなければならない」から解放されてきている。
もっと広い視点で、息子を見守っていこう。
そう決めたら、自分の基準がどんどん下がっていった。
たとえば、
制服を着なくてもいい。
朝ごはんを食べなくてもいい。
クラスに入れなくてもいい。
式典に参加できなくてもいい。
息子が元気で笑顔なら、それでいい。
息子の言動のおかげで、どんどん許せる範囲が広がっている。私も相手に対して寛容になれている。
振り返ってみると、私がどれだけ固定概念の中で生きてきたか…
そんな自分の呪いに首を絞められていたのは、他でもない自分だった。
そんな固定概念から自由になりつつある。
4歳の息子が、師匠となり私を導いてくれる。
そんな言葉にならない笑顔を、今日も向けてくれる息子に感謝だ。
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