鉄塔から考える、「当たり前」は当たり前ではない
最近、鉄塔に興味を持っている息子。
その鉄塔が電信柱の電線で繋がり、我が家の電気として届くことが不思議でならないようです。
と、パパが答えると
と、毎回驚く息子。
私たち夫婦は、息子の反応に吹き出してしまいます。
子どもの純粋な興味関心に和み、当たり前の世界を新鮮なものとして捉え直すことができます。
電車も、エアコンも、冷蔵庫も。
すべては電気で動いている。
電線を繋げ、電柱を立て、鉄塔を配置してくれて、当たり前の生活を維持してくれてるって本当にありがたいな。
急な熱波で、冷房の効きが悪いと文句を言う自分がなんだか恥ずかしい。そう思いました。
今日は、図書館から借りていた絵本を返すために車で向かいました。移動中、とある場所に差し掛かると、息子が言います。
高架を上っていくとその鉄塔が見えるため、坂道を上がっていくと、毎回口に出すのです。
ワクワクとドキドキが入り乱れる口調の息子が、毎度かわいくて。
結局、お気に入りの鉄塔を見かけると
と、大騒ぎ。
大きな建物がそうそう無くなることはないと大人は思うけど、子どもはその概念がないのでしょう。
毎回、新鮮な気持ちで好きなものを見つけて歓喜の言葉を発します。まるで、初めて見たときをリピートしているよう。
なんか幸せな時間だなと、息子の高揚した声に耳を傾けながら頷きました。
すべては当たり前ではない。
この貴重な平凡な時間が、変化のない平坦な毎日が、どれだけありがたいことか。
それを思うと、ああ生きてるだけで本当に幸せだなと思います。
なんだか急に泣けてくる。
だからこそ、私はどんな自分でありたいのか?
命題が突き刺さります。
明日は、七夕。
星に何を願おうか。
静かな夜に想像してみます。
いいなと思ったら応援しよう!
noteを継続して発信するため、サポートいただけると嬉しいです!いただいたサポートは、自分の気づきや発見をするための活動に使わせていただきます!