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私の千日回峰行。note1,000日連続を目指す!

私、1,000日間noteを書きたいんですよね

メンバーシップのメンバーさんである松野えいさんと、スタエフコラボしていたら口から出た言葉。

話しながら、自分の願望に気づいた瞬間でした。

私、1,000日間連続でnoteを書きたいんだと。


30歳になってすぐのころ、千日回峰行というものを知りました。きっかけは、当時契約していた致知出版の雑誌だったと記憶しています。

千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)は、比叡山や奈良・吉野の険しい山道を7年間かけて歩き、一木一草に仏を見出しながら祈る修行です。

千日回峰行の主な特徴は次のとおりです。

・7年間かけて、比叡山や奈良・吉野の険しい山道を歩き、お堂や塔、お墓、石仏、草木などを拝み巡ります。
・1日あたりの歩行距離は30~60キロで、7年間で約4万キロを歩きます。
・5年目の700日を終えた後に9日間の「堂入り」があり、断食・断水・不眠・不臥の状態で不動明王を念じます。
・回峰行者は、頭には桧笠、白装束、八葉蓮華の草鞋を履き、腰には死出紐と降魔の剣を持ちます。

【引用】https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0004990941_00000

千日回峰行は、一度始めたら勝手に終わることは許されません。いかなる状況であっても、この修行を続けます。

万が一、実行できなかった場合は、身につけた紐や剣で自刃せねばなりません。

それくらい過酷なのが千日回峰行です。

比叡山延暦寺での千日回峰行を2回満了したのが、酒井 雄哉大阿闍梨(だいあじゃり)

そして、1300年の歴史で2人しか満行していない大峯千日回峰行の満了者が、塩沼亮潤大阿闍梨です。

このお二人の著書を読んで、感銘を受けました。

命を懸けて、勤行をさせていただく。

その謙虚さ、角のとれたお顔。
大らかでいて、本質を見抜く眼力。

これこそ、生きているお姿だと眩しくなりました。

仕事って何?
生きるって何?

迷走していた30歳の自分とは、対照的なお二人にすっかり心酔しました。

9年かけて行われたお勤め。
どんなお気持ちだったのだろうか?

私も何かに1,000日間、没頭してみたい。

ずっと心の底にくすぶっていた想いが、急に表面化してきました。10年かかりました。

でも、これも必然。

なぜなら、私はこのnoteに本気で向き合っているから。

Webライターとして、ゴリゴリにクライアントワークしているときも、いかに毎日更新するかを掲げてきました。

今日一日に何を残せるか?

本気で考えて、言葉を紡いでいます。
クライアントワーカーであったころから、ここで表現するのが何よりも楽しみであり、苦しみでもありました。

好きだからこそ、もっとできるようになりたい。

その想いで、毎日自分と向き合っています。

発信のヒントは心が教えてくれます。
心が動いたことを言葉にするため、思考と本音を深く掘り下げます。

鉱脈を見つける日もあれば、結局何が言いたいのか分からない日もあります。

それでも、淡々と向き合い続ける…
その先に何があるかは分かりません。
期待はしません。でも、純粋に書きたいんです。

幼少期、文字を書くことに没頭していた頃と似ているかもしれません。

今日この日、この瞬間と向き合う。
それは自分の命と本気で向き合うことと同義。

子どもの感覚に戻った私は、自分が追求したいからやり続けると決めています。そこに誰かの思考は及びません。

noteを書き始めて344日目。
656日後は、2026年7月26日。

43歳の私に出会うつもりで、書いてみます。
軽やかに、笑顔を携えて。

でも、視点は厳然と今を捉えて。

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おーつー(冨田裕子)
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