私の千日回峰行。note1,000日連続を目指す!
メンバーシップのメンバーさんである松野えいさんと、スタエフコラボしていたら口から出た言葉。
話しながら、自分の願望に気づいた瞬間でした。
私、1,000日間連続でnoteを書きたいんだと。
30歳になってすぐのころ、千日回峰行というものを知りました。きっかけは、当時契約していた致知出版の雑誌だったと記憶しています。
千日回峰行は、一度始めたら勝手に終わることは許されません。いかなる状況であっても、この修行を続けます。
万が一、実行できなかった場合は、身につけた紐や剣で自刃せねばなりません。
それくらい過酷なのが千日回峰行です。
比叡山延暦寺での千日回峰行を2回満了したのが、酒井 雄哉大阿闍梨(だいあじゃり)
そして、1300年の歴史で2人しか満行していない大峯千日回峰行の満了者が、塩沼亮潤大阿闍梨です。
このお二人の著書を読んで、感銘を受けました。
命を懸けて、勤行をさせていただく。
これこそ、生きているお姿だと眩しくなりました。
仕事って何?
生きるって何?
迷走していた30歳の自分とは、対照的なお二人にすっかり心酔しました。
9年かけて行われたお勤め。
どんなお気持ちだったのだろうか?
ずっと心の底にくすぶっていた想いが、急に表面化してきました。10年かかりました。
でも、これも必然。
なぜなら、私はこのnoteに本気で向き合っているから。
Webライターとして、ゴリゴリにクライアントワークしているときも、いかに毎日更新するかを掲げてきました。
今日一日に何を残せるか?
本気で考えて、言葉を紡いでいます。
クライアントワーカーであったころから、ここで表現するのが何よりも楽しみであり、苦しみでもありました。
その想いで、毎日自分と向き合っています。
発信のヒントは心が教えてくれます。
心が動いたことを言葉にするため、思考と本音を深く掘り下げます。
鉱脈を見つける日もあれば、結局何が言いたいのか分からない日もあります。
それでも、淡々と向き合い続ける…
その先に何があるかは分かりません。
期待はしません。でも、純粋に書きたいんです。
幼少期、文字を書くことに没頭していた頃と似ているかもしれません。
今日この日、この瞬間と向き合う。
それは自分の命と本気で向き合うことと同義。
子どもの感覚に戻った私は、自分が追求したいからやり続けると決めています。そこに誰かの思考は及びません。
43歳の私に出会うつもりで、書いてみます。
軽やかに、笑顔を携えて。
でも、視点は厳然と今を捉えて。