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「足るを知る者は富む」老子 渋谷教育学園幕張中学校過去問 国語

 渋谷教育学園幕張中学校の平成23年入試問題で、加賀乙彦さんの「不幸な国の幸福論」が出題され、老子の「知足者富」(足るを知る者は富む)という言葉が出題されました。

紀元前五世紀、中国春秋時代に生きたとされる老子の思想のなかで、最も広く知られているのは『老子』第三十三章にあるこの一節です。
何事においても足るを知って満足することのできる者が、本当の意味で豊かな人間なのだ、と老子は説いている。

『不幸な国の幸福論』(集英社新書)

としています。その一方で、

足るを知ることが大事だと言っても、何もせずに現状にとどまっていればいいというわけではない。老子は「知足者富」のあとに、「強行者有志」と続けています。つとめて行う者は志あり-自分を励まし、志をもって努力を続けようと説いています。

『不幸な国の幸福論』(集英社新書)

としています。知足と努力の両方が大事だと言っているのです。

 いけないのは過剰な欲望であり、モノと情報が過剰にあふれる現状を問題にしているのです。特に、

地球全体へと視野を広げれば、先進国と呼ばれる国に住む人間の際限なき欲望がそれ以外の国の人々や他の生き物たちを追い詰め環境を破壊しています。その結果、我が子や孫も含めた人類の未来でさえ危うくしている。そろそろ『快楽の踏み車』から降り、足るを知ることを学ばなければ、本当に取返しのつかないことになりかねないのです。

『不幸な国の幸福論』(集英社新書)

と述べています。

 「いいモノ」「いいコト」の価値基準が自分の外にあって、それを盲目的に追い求めていくなら、永遠に終わりのない無限ループとなります。「皆がいいモノ」「皆がいいコト」は、果たして自分にとって「本当に良いものなのか」「本当に良いことなのか」よく考えるべきなのです。ところが、今考える余裕を与えずに、「これが来ているとか」「今これを追わないと時代に乗り遅れる」「仲間はずれになる」と大量に情報を送り付け、このような疎外感をあおる脅し文句・殺し文句に簡単にのってしまいがちなのが、現代という時代であると思います。

 著者も、

外なる価値も人間にとって欠かせないものですが、外に求め、人に求めるほどそれらに人生を左右され、自分が自分の主人ではなくなってしまいます。だから、生きていくのに必要なだけあればいい、それ以上はいらないと、ついつい求めすぎる頭に自分自身でストップをかける。外的価値を高めようとあくせくしたり、他者の評価を気にしたりすることに時間とエネルギーを費やすのを思い切ってやめる。

『不幸な国の幸福論』(集英社新書)

ということを勧めています。

 唐代の禅僧、臨済彗照りんざいえしょう禅師は「随所に主とれば、立処皆な真なり」と言っています。(岩波文庫「臨済録」入矢義高訳注)
 自分の心の中にある光り輝く神性・霊性・聖性こそが本当の自分であり、これこそが本当の自分、即ち主人公なのです。自分をとりまく環境がどんなに闇であっても、この光り輝く神性・霊性・聖性こそが自分の本性であるという強い自覚があれば、どんな時代がきても、どんな環境にあっても怖いものは何もないのです。
 このように「外なるものを求めずに内なるものの価値に目覚めよ」ということは、洋の東西を問わず、時代を問わず、永遠不滅の真理だと言えるでしょう。

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