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山本夏彦「門松」 【渋谷幕張中・過去問講座】

渋谷幕張中学の平成29年度入試問題で、1970年代に書かれた山本夏彦さんの「門松」という作品が出題されました。
当時の日本で、正月をお祝いしない家庭が増えつつあった状況を踏まえて書かれた文章です。

京都大学の中国史学者に貝塚茂樹さんという人がいました。あの有名なノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹さんの実兄に当たる人です。
その貝塚さんは、「正月には門松を立て、しめ縄を飾り、年頭の挨拶を交わして、はじめて正月がくる。そのけじめをつけなければ正月はこない」と言っていたそうです。
というのも、「論語」の次のような例があるからです。
中国の古代では「告朔こくさく餼羊きよう」という、毎月の一日(朔日)に羊をお供えする祝儀があるのですが、ある時、孔子の弟子の一人が、「そんなのは形式にすぎません。羊がかわいそうだからやめましょう」と、孔子に対して進言したという逸話が残っています。
その時、孔子は「お前は羊を惜しむか、私は『礼』が廃れるのを惜しむ」と言ったそうです。(「論語」八佾篇第三(十七))
原文では、次のようになっています。

子貢しこう告朔こくさく餼羊きようを去らんと欲す。子曰、「よ、なんじはその羊をしむも、我はその礼を愛しむ。」

(貝塚茂樹訳注「論語」中公文庫P.75)

「論語」における「礼」は、単なる挨拶や礼儀作法といった「人間関係のマナー」に限ったものではありません。「国と国の外交関係」や「死者と生者を結ぶ宗教儀礼的な戒律」「天地宇宙の法則」や「天道・地道・人道を一貫する大道」のような『大きな礼法』を指している場合もあります。
儒教は「礼教」とも言われているように、礼の教えの体系を意味しています。
このような体系を「人倫じんりん」と言うこともあります。
孔子は、ここに最高の価値を置いていました。
毎月の一日に行う宗教的儀礼は文化そのものです。文化儀礼が廃れてしまえば、食べるためだけに生きている動物と同じになってしまい、世の中の秩序が乱れ、国や天下は衰退するという危機感が、孔子にはあったのです。

山本夏彦さんは、正月にスキーに行くような親に対して、子供たちは反抗すべきであると主張しています。

子供たちよ、凧をあげよ。こまを回せ。ママの手と、進学塾とから脱せよ。脱しなければ盆も正月もこないと、いくら言ってもそんなものはこなくていいと、はじめママなるひとが、次いでパパなるひとがいうだろう。それなら、親たちはその子が大きくなったとき、結婚式もやめるがよい。男女が赤縄せきじょうでつながれたら、実際上の婚姻は成ったのである。その式を年々盛大にするのは矛盾である。

山本夏彦著「門松」より

子供にとって、大人になるために一番大事なことは、「何でも自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとる」という自立心を養うことです。
親や学校、塾など、他人ひとの言いなりになっているだけでは、何の疑問も持たずに生きていることになってしまいます。
これでは、本当に自立した大人とは言えません。
山本夏彦さんが伝えたかったのは、まさにこのことなのです。

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